九二式や同軸機銃を搭載しなかったのは、まず銃眼や対戦車砲陣地、トーチカを速やかに撃破するため片手で装填できる九七式57mm戦車砲が選ばれた。あと九二式歩兵砲は純粋に精度が悪いからまず無理。同軸機銃は日本軍が機動射撃を重視して片付け砲塔にしたから。機銃付けたら肩にとんでもない負荷が掛かるからやりたくなかった。反面車体機銃と砲塔後部にかんざし式で配置することにより、車体機銃で射撃、砲塔は6秒ほど掛かるが機銃部を正面に向けてから撃つことで対処。あと自衛時はハッチから身を乗り出して拳銃や騎兵銃を撃ったり、ガンポートから拳銃を撃っていた。
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なんか色々とへんてこやったんやなぁ…まぁ試行錯誤の時代やししゃーないんやろなぁ…イケる思ってイケんことで世の中溢れとるし…
同軸機関銃に関しては、理由はわからないけど最終的には軽戦車だけで良いという結論になった。ここでいうところのKe-NiやKa-Miがまさにそれ
実際チハはM4中戦車が現れるまでは装甲とか機動性、火力では不満は特別なかったし、チハとは一世代違うM3スチュアートとの戦闘では榴弾ボカスカ撃ってチハ側は1輌被弾貫通、乗員負傷無しで行動可能という損害に対して5輌ほど撃破している。チハ改に至っては遠距離からM3スチュアートを撃破できたから普通にチハは頼りになっていた。そう、M4シャーマンが現れるまでは…まあ実際は対歩兵戦が圧倒的に多く、ワリと活躍したらしい。航空機や対戦車砲が一番脅威だとか。
思うんだが対戦車砲って37mm砲を想定で装甲を決定したんか?後に大口径の対戦車砲が配備される、とかって考えには至らなかったんかね?
チハとM3スチュアートの戦績を一例を持って挙げるのは流石のワシも感心しない話し方だってわかるぞ…欧州西部戦線なんかでも虎や豹はおろかドイツ装甲部隊と遭遇することは珍しく、対戦車砲や歩兵相手に榴弾ぶっ放す方が遥かに多かったって聞くなぁ
↑×2もしかしてwikiからの引用だったりする?もし違ってたらスマンが、wikiにありがちなんだがチハのページってデータを一部の戦果、それも勝った系の話に偏ってるのよね。良い方へ良い方へ持ってこうとしてる感が凄い。
さすがにwikiだけからの引用ではない しかし記録に基づき事実は事実ですし まあ気を悪くしたのならすまんな
詳しくないから何がどうとか知らんが、それが全体としての例なら別にいいんじゃね?一部の、特例的な戦果を出して持ち上げてるならあれだけど。
つまりアレだな、多分チハへのsageが足りねえ!!ってことだな。チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい
↑×6 当時の基準だったら1番メジャーなのが37ミリだったから…(当然野砲や高射砲にも徹甲弾があったけど)本格的に耐えられなくなったら後継機種の出番ってところかと。当時75ミリに耐えられる装甲ってガチガチの重戦車だし、それを標準装備にはさすがにできないでしょ
↑3 なら大丈夫そうね
あと葉3が言っているのは多分初期のビルマ攻略戦でのことやね。 他にマレー侵攻、ガダルカナル、サイパン、末期フィリピンとマレー、中国大陸、占守島、硫黄島の戦いとかいろいろあるけど、総合的に見て活躍したことはまず間違いないと個人的には思う
当時の「対戦車砲」といえば37mm級火砲だから。未来の視点から言えばそこから50mm級、75mm級、90mm級…と戦車の発展に従って強力になっていくけど、大半の国で50mm級は大戦直前か大戦直後くらいから開発配備されたから…ノモンハンで対決した赤軍19-K 45mm対戦車砲なんかは世界的には例外的な非常に強力な対戦車砲だったけどこれは運が悪かった、75mm級…軽野砲や高射砲クラスの攻撃を受け流せるような戦車は当時だと最新鋭の重戦車に匹敵するけどチハはそういう性格じゃないから…
チハの開発目的はトラックについていける中戦車がすぐにでも欲しかったからであって、主砲を新規開発する余裕がなかった。野砲や山砲を載せてしまえばいい話だけど、そもそもそれら大口径砲を搭載する車両は中戦車とは別に「砲戦車」として開発されてたはず。まあ結局は対戦車能力向上のために中戦車も大口径高初速砲へ移行するわけだけど…