ベイスターズファンの皆さん、他球団ファンの皆さん、楽しく雑談しませんか♪マンキーリストラ大爆笑
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ホラ吹きホラダンス5050の孫
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今日の試合は5回表の一挙7得点でほぼ勝敗が決したが、こちらの2度の走塁ミスに相手が付き合ってミスを連発してチャンスが拡大したという点で紙一重の感があった。東は2回に先制され40球近く投げてどうなるかと思われたが、終わってみれば7回2失点102球で勝利投手になったのは流石。あと東のバントの上手さをバウワ~や森は見習うべき。森と言えば5回の走塁で林が足を痛めて交替したので、その具合によっては次の中日戦で一軍帯同即スタメンがあるかも。
5回表に林が挟殺されかかったプレーをダゾーンで見直してみた。よく見ると山田が捕球するタイミングで林は山田側に小さな切り替えしを掛けている。それで山田との距離をぎりぎりまで縮めてタッチプレーに誘い、ダッシュ力で振り切って帰塁するというイチかバチかの作戦が功を奏した。
ちょっと前の球辞苑と言う番組でランダンプレイでアウトになる確率を述べていたが、確か9割くらいで、なんだほぼ10割ではないんだと思ったことがある。走塁側の技術、守備側の技術を述べると共に、審判も大変だと言うことを述べていた。昨日の動画を見ていないが、ギリギリまで縮めてタッチプレイに誘ったと言うことは、審判もおそらく誘われているので、その後、ダッシュで動いたのではないかと思う
最近、挟殺プレイを見ていると、ランナーの側がほぼ諦めかけていると思うものに出くわすことがある。ランナーはどちらの塁にも数秒で到達できる位置にいるわけだから、守備側の一瞬の隙をつこうとする努力だけでも見せてほしいものでだと思う。
https://x.com/ted2_2023/status/1818285543047962922
この1週間、風邪による頭痛がひどく、細かい画像を見るのもつらかったのだが、ようやく治りかけたので、昨日の林選手のランダンプレイの動画を見てみた。
これは、山田選手が気を抜いた一瞬の隙をついた素晴らしい走塁だ。山田選手は、多分、相手が全速力で逃げずに、塁間で右往左往するのを前提に8割の力で追いかけたのだろう。ボーンヘッドと言えば、それまでだが、そこに賭けた、若しくは、それを引き出した林選手の走塁は素晴らしい。
やはり、廣岡達朗氏は、巨人のトレードを批判している。それも予想通り、FAに頼り、選手を育てない阿部監督の指導力を批判している。
https://sportsbull.jp/p/2072876/
秋広優人・大江竜聖とリチャードの衝撃トレードに広岡達朗が「釣り合っていない」と語る理由
<以下抜粋>
「阿部は育ち盛りの選手を褒めない傾向がある。自分にはできたという自負があるのだろうが、それでは指揮官として不十分。選手の個性を見極めて、適材適所で育てていくのが指導者の役割だ。最初から何でもできる選手ばかりに目が向いてしまっては、成長途中の選手の心情は理解できないのではないか。特に大型野手は一人前になるまで時間がかかるのに、巨人はじっくり育てる体制が整っていない。それが毎年のように外国人補強やFAに頼る要因になっていると私の目には映る」
いよいよだな!マンキーマジック大爆笑
https://youtu.be/C-wzDdS_9FM
スーツで呼ばれるんですね。ベンチ入りするのがいつか楽しみだが、中継ぎと抑えで苦労しているチーム事情を考えると意外に早いのでは🤔
今年のオープン戦で見た事のないピッチャーが投げていると思ったら、それがマルセリーノだった。その時は早々に相手の一発をくらっていたという記憶しかない。
これ迄2軍で14回投げて28奪三振という成績は驚異的。一軍では外国人枠があるので先発3人とウイックのうち誰かが不調になった時に一軍入りのチャンスはある。オースティンの代わりになる打者を取って欲しいが筒香への出費で今年の補強は無理かもしれないので、外人投手5人を登録して先発とウィックに加えてマルセリーノをベンチ入りさせるのもあり得る。
オースティンは、時々爆発するが、フル出場からは程遠い。フォードを取っておけば、もっとチームの士気も上がったのではないかと思う。筒香に使ったお金は返ってこないが、外人枠を浪費しているわけではないから良しとしよう。
データを詳細に見ていないが、最近、セパ共に大量得点が入るようになったと思うのは気のせいであろうか。3割打者は依然として少ないが、スコアを見ていると、投高打低と言われる割には点が入っている気がする。
ところで昔、落合が、勝つ時には僅差で勝ち、負けるときには大敗が理想と言っていた。一方で、98年のレジェンドの一人だったと思うが、ビッグイニングを作ったり、大差で勝つことは意義があると言っていたことがある。
前者は、効率の良さを考えてのこと。後者は、相手に苦手意識を持たせたり、また、相手チームの投手を多く使わせて次の試合以降の投手力で比較優位に立つことに意義があるとのことだった。
ベイスターズの試合を観ていると、後者の理論に立っているのか、結果としてそうなっているのか分からないが、勝つ時は打線が爆発と言うのが多い印象がある。昨年の日本シリーズのような見事な継投も、これから夏場以降、復活してほしいが
マシンガン打線爆発で大量得点による勝利は勢いをつけるにはいいだろう。しかし打線は水物なので、昨日のような接戦を確実に拾えるかどうかが重要。4月は失策数がリーグでダントツ一位だったが、ここへ来て下から数えて3位になっている。
昨日も接戦で、山本捕手の悪送球が決勝点につながった。東は、自責点ゼロで敗戦投手。
失策は、ヒットを打たれる以上に受けるダメージが大きい時もあるが、昨日は、それだったのでは。
こういう時こそ、抑えるのがエースの役割と東は言っているようだが、それでも不利なことには変わりない。
ただ、失策で、接戦を落とすことが度々ありながらも、貯金3で首位と1.5ゲーム差なのだから、いいところにつけていると思う。
ところで、以前も書いたかもしれないが、里崎氏が、ベイスターズの優勝の条件としてバウアーが15勝と言うのを少し前に挙げていた。バウアーの調子があがってくると、ベイスターズも急に変わるかもしれない。今は、三浦監督は、我慢してバウアーの好きにさせているのであろうが、本格的な夏場に入ってもこの調子だと、傍若無人としてもいられなくなるかもしれない。
確かに昨日の試合の山本の送球ミスは痛かった。一方序盤の牧の2併殺及び7回に牧の3打席目にヒットが出てノーアウト1,3塁のチャンスにオースティン以下で一点も取れなかった時点で終わっていた。優勝するチームでも年間60試合程度は負けるので、試合の流れが悪かったと諦めるしかない。ここへ来て9カード連続負け越し無しというのは戦えている証拠だし、交流戦迄最低5分でいければ悪くはない。
バウア~については次の試合でまた駄目だったら一度中6日で投げさせてみて、それでも駄目なら下に落とす判断をするところ迄来ていると思う。
今日は中5日でバウアーか。ちょうど昨日、月曜日が試合のない日だったので結果的に5日になったのか、首脳陣がわざとそう持って行ったのかは分からないが、どうなるか楽しみだ。
バウアーは昨日、半分が三振か。いきなり2球でツーストライクに追い込む場面も目立ち、阪神打線を手玉に取ったとの論評が目立つ。あれだけの投手だから、相当研究されているいるだろうにもかかわらず、その裏をかくリードが冴えたのであろうか。ちょっと目先を変えると昨日みたいな圧巻の投球になるのであろう。次が楽しみである。
パ・リーグでは、日ハムのレイエスが、万波、山川とならんで本塁打トップであるが、昨年のようにバカスカ打つ感じではない。相当研究されているのであろうと思い、配球を見ると、投手の攻め方に傾向があると、さすがに私でも分かったので、これからどう周囲がアドバイスをしていくのか期待している。
思うに、NPBはMLBに比べて球団数も交流戦も少ないので、データ中心の野球になるのだと思う。よく言えば、統計に基づいた頭脳戦である。MLBから来た選手は、それに対応できるかも問われているのだと思う。
ホラ吹きザルはイライラすると出没するな。毎日、何やってもいるんだろね、マサコはもういないか♪マンキー廃人大爆笑
まさ子は逃げたかお亡くなりになったかのいずれか。普通に考えればポランコの傍若無人振りと自己顕示欲の強さにあきれて前者だわな~ それで老後資産が半減し、カツカツの生活に陥っている。
笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
相変わらず、三浦監督に失礼なことを言うやつだ。ラミレス監督に対する不敬罪で早々と打ち首にしておかなかったのが悔やまれる。
三浦監督のリーダーシップは、選手の自主性に任せて奮起を待つ、それまでは分かっていてもジッとしているし、文句も言わないことだとお見受けする。これは、権藤監督から習ったのか、長く低迷するチームの中で選手として頑張る中で得た知見なのかどうだか、分からないが、一つのリーダシップのありかたであり、また、これを実行するのにもリーダーとしての胆力が必要だと思う。
そうしたリーダーの精神力や苦労も知らずに、野次を飛ばすような書き込みをするのは、青の掲示板の中でも低層の部類に属すると思わざるを得ない。
寒いわ!マンキーマジック大爆笑


雨の中、応援ご苦労様です。
雨のハマスタは、数年前に経験したことがあるが、とにかく寒かった。思わず、確かホットコーヒーを売り子さんから買った覚えがある。
ところで、ハマスタの生ビールは、現在、一杯1,000円とか?数年前までは、神宮より100円安く、700円くらいだった気がする。
>> 9465
ハマスタのビールだが900円だわ。
貧打阪神ファンはカバンにスーパーで買った100円の缶チューハイを忍ばせて飲んでいるので貧打阪神トピで散々、からかったわな♪マンキー貧乏大爆笑
ホラ吹きザルが今度は福岡まで貧乏乗り鉄旅するようだぞ♪マンキー貧乏大爆笑
交流戦の時期は青春18切符の夏期間前なので、乗り鉄ではないだろう。ここへ来てベイが好調なので、去年同様に成田空港からピーチ航空の格安が残っていたのに飛びついたと見た。
笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
往復のフライトはこれね。

笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
これは安い。今、バスを調べてみたが、福岡だと夜行しかないので10,000円はする。
以前からチケットを見せろと言っても、一度も見せたことがないホラ吹き氏なので、
このフライトはドンピシャかもしれない
横浜は、今日、開港記念日か。今年も大黒ふ頭の辺りで花火かな。
横浜の開港は、ご存知ペリー提督の圧力で行われたと言うのは、大抵のアメリカ人でも知っているが、
横浜に来ると、街並みに英国風の場所があるだけならともかく、左側通行であるのを不思議がる。(日本全体もそうだが。)
横浜スタジアムの場所も、かつては、クリケット場だった。(のちに旧制第一高校の生徒が在日アメリカ人と野球を始めたりしているうちに野球場になった。)
英国の植民地統治と言うのは、原住民を残酷なまでに掃討してしまうアメリカやカナダ、ニュージーランドやオーストラリア型、原住民の民族間の対立を利用して、収奪の限りを尽くす、インドやブータン王国型が主流だと思う。インド、パキスタン等の分裂や対立は、元をただせばイギリスの植民地支配にも根源がある。
日本も、戊辰戦争の際、薩長には英国、佐幕派にはフランスが支援していたが、英仏本体同士はやり合うつもりはなく、願わくは、戦乱が長く続いて、植民地化することを考えていたようだ。蝦夷共和国など、明治新政府よりも正式な外交を始めていたようだし。
そう言うのを知ってか、当時の横浜に来たアメリカ人は、日本はアメリカ人の靴工場になるだろう、と言っていたそうだが、戊辰戦争も長く続かず、列強の植民地化を免れたのは、靖国神社に銅像のある大村益次郎のおかげであろうか。
大村益次郎の銅像は、台座に漢文で説明があると言う、銅像の中では威厳のある形になっている。
一方、反乱を起こした西郷隆盛は、軍服を着た銅像は許されず、犬を連れて歩いていると言う姿で、当時は見せしめだったのかもしれないが、現在となっては、親しみがあり、上野と言うロケーションからか、こちらの方が有名なのは皮肉なものである。
長嶋茂雄終身名誉監督の追悼一色だが、長嶋監督のおかげで、私も野球に興味を持ったのかもしれない。
まだ、ベイスターズが横浜に来る前、プロ野球と言えば、後楽園が圧倒的な存在だった。現在の東京ドームとは異なり、オヤジ臭の漂う場所で、確か観戦中、喫煙可能だった気がする。
今でも覚えているのは、選手時代の長嶋選手へのデッドボールと、監督時代に、王選手が2回とも真上に上がるキャッチャーフライをあげたことだ。長嶋選手が打席に入るときの観客の拍手と盛り上がりは、初めてのプロ野球観戦でビックリしたのを覚えている。
ガラパゴスと言えばそれまでだが、世界的には、野球よりも、クリケットやサッカーの方が、観戦者が多く、選手の給与も多くの場合、高い。大谷選手が高給取りと言っても、メッシやロナウドには敵わず、確か、ロナウドの4分の1くらいだったと思う。そのなかで、日本だけは、野球中心のスポーツ振興が進んだのは、長嶋茂雄人気によるところは大きいだろう。
1970年代、横浜に大洋ホエールズが移転してきたときの盛り上がりも忘れられない。真新しいスタジアムとスター選手達。その中の一人、高木豊氏も、自身のYouTube番組で長嶋監督の思い出を涙目で語っていたが、それだけ影響が大きかったスター選手だったのだろう。
ところで、長嶋一茂氏は、母親に勉強を強いられたと想像する。インテリと言われることはないが、やはり、元スポーツ選手の中では珍しく、これだけ色々とエンタメ系の番組だけではなく、情報番組もこなしているのは、小さい時に勉強を習慣としていたおかげなのではないかと思う。単に親の七光りではないはずだ。そう言う意味で、父親の生き方と隙間風が吹いた可能性もあると思ったりもする。全くの想像だが。
ところで、柴田勲、末次や、他のV9時代のお歴々は、コメントを出さないのであろうか。
御年93歳の廣岡達朗氏もコメントを出されているのに。
教育的指導をしておいた
6月6日、羽鳥慎一モーニングショーに生出演した長嶋一茂を見たが、敬虔なクリスチャンの一面を見た気がする。
「神様は辛さとか、自分の人生の喜びだったり幸せは、皆さんに平等に訪れるって僕は勝手に思っているので、自分だけの辛さが、他の人よりつらいっていうことは、僕はないというふうに思っています」
とか、兄弟姉妹みんなで笑って父長嶋茂雄を見送った等のコメントをするのを見ていたが
あれだけどこに行っても小さい頃から注目され、そして、巨人軍から戦力外通告を受けた後、タレントとして、元スポーツ選手では、異色の活躍をしているのは、日常生活の苦しみを神様の与える試練として受け止めると言うクリスチャンの精神が支えになっている、と見ていて感じた。(勝手に思った、と言うべきかもしれない。)
中学の時に野球をやめたのも、長嶋一茂が野球チームに入った途端にそのチームが100人以上の大規模になり嫌気がさしたらしいし、高校受験の時、長嶋一茂は、私の母校を受けたのだが、補欠の一番で、合格者掲示板には番号しか表示されていないのに、あれが長嶋一茂だと言うことは、なぜか、学校のみんなが知っていて、一茂が合格発表に来ないか、みんな注目していたのを覚えている。
蛇足だが、羽鳥慎一氏も高校で野球部だったのだが、身内が一緒にやっていた。私もどこかで見かけたかもしれないが、特に目立つ生徒ではなかったと思う。横浜高校の鈴木尚典を2連続三振に切って取ったと言う逸話が残っているが、鈴木尚典コーチに直接聞いたら、全然覚えていない、と言っていた。
ちょっと遅れたが昭和100年、いわいる一つの「昭和の終わり」だわな♪マンキーマジック大爆笑
追悼記事では、これが一番良かったな。
【追悼】広岡達朗が語る、長嶋茂雄という「憎めない後輩」との記憶 「オレが頼みごとをすると、いつもあいつは嫌な顔をせず『いいですよ』と言う」
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2025/06/04/post_134/
【ホームスチール事件】
「長嶋は立教(大学)時代、監督の砂押(邦信)さんに鍛えられたこともあって、入団してから4年間はほんとにうまかった。まず、ボールに対して直線的に入って捕球する姿には、目を見張った。ところが5年目以降は、初回の守備についてからショートのオレに近づきながら、『ヒロさん(広岡)、ヒロさん、今日動けませんのでよろしく』ってこっそり言ってくるんだ。ほんとに動きやしない。まいったね。動けない理由はタニマチだよ。毎日、タニマチに連れて行かれなきゃなぁ」
ダイナミックで華やかな長嶋と、堅実で静かな広岡。対照的なふたりだが、共通点といえば、どちらも東京六大学のスターだったことだ。長嶋より4歳上の広岡は、早稲田大で「貴公子」と呼ばれるほどの人気を誇っていた。
一見、水と油のように見えるが、人懐っこい長嶋が「ヒロさん、ヒロさん」と慕ってくるものだから、広岡もかわいがった。
そんなふたりの間に"亀裂"が入った事件があった。
広岡のプロ11年目に起きた「ホームスチール事件」だ。
1964年8月6日、神宮球場での国鉄(現・ヤクルト)対巨人の一戦。巨人の先発は伊藤芳明、国鉄は金田正一で始まったナイトゲーム。
この日の金田は、早いテンポから繰り出すストレートに威力があり、さらにブレーキ鋭いドロップが面白いように決まるなど、6回まで巨人打線を完璧に抑えていた。ヤクルトの2点リードで迎えた7回表、巨人はようやく反撃に出て、一死三塁のチャンスを得た。
三塁ランナーは長嶋、打席には6番の広岡が入った。カウント2ストライクからの3球目だった。金田がセットポジションから足を上げた瞬間、スタンドにいる観客がワーッと騒ぎ出した。ランナーの長嶋が猛然とホーム目がけて突進し、足からスライディング。土煙のなか、キャッチャーミットと交差する。
「アウト!」
球審の手が高らかに上がった。
無謀とも思えるホームスチール。まさかの奇策に、バッターの広岡は逆上した。体中の血が沸騰し、バッティングどころじゃない。そして広岡は次のボールを怒りに任せてフルスイングし、空振り三振。バットを地面に思いきり叩きつけた。
三振したことが悔しかったわけじゃない。不可解な采配に怒りをぶつけたのだ。2点差での7回ワンアウト三塁。外野フライ、もしくは緩い内野ゴロでも1点入るケースで、ホームスチールなどあり得ない。
「よほどオレのバッティングを信用できないのか......」
【試合中にまさかの帰宅】
屈辱にまみれた広岡は首脳陣を見向きもせず、そのままロッカーへと直行して帰宅したのだ。試合放棄である。広岡のなかには、監督の川上哲治が長嶋にしかわからないサインを出したとしか思えないという確信があった。
「ふたりだけのサインなんて、そんなのは野球じゃない。怒るのは当たり前だ。長嶋はいいヤツだから、サインどおりにやっただけ。あとでどうなるかなんてことは考えてないから。問題は川上さんよ。オレを嫌うのはいいが、こんな仕打ちをするのかという怒りと苛立ちで、そのまま家に帰ってやったよ」
この一件以来、広岡と長嶋は険悪な雰囲気となり、仲違いしたというのが通説になっているが、じつは根も葉もない噂である。
もともとクールな広岡はこの仕打ちでさらに口を閉ざすようになり、チームメイトは近寄りがたくなってしまった。怒りの矛先は監督の川上だったのに、チームメイトは長嶋にも向けられていると勘違いしたのだ。
「ああ見えて長嶋は利口なヤツだから、表向きはオレと距離をとっているように見せていたが、実際は『ヒロさん、今日の夜空いていますか?』と一週間に一度は誘ってくる。あいつなりに気を遣っていたんだろう。毎晩のようにいろいろなタニマチが飲みに連れて行くから、長嶋も大変だったと思う。オレも連れて行かれたことがあったけど、まあすごいわな」
何がどうすごかったのか、広岡は口を割らなかったが、日本の中枢を司る財界人からきらびやかな映画スターといった社交界は、まさに現代の竜宮城だったのだろう。
「結局、試合中に家に帰ったことで、オレと川上さんとの間の溝はますます深くなり、66年に引退することになる。この時、オレのところにあいさつに来たのは、長嶋と森(祗晶)だけ。裏で川上さんが『見送りなんかするんじゃないぞ!』とでも言って、圧力をかけていたんだろう。丁寧に教えてくれたヤツがいたから、間違いない。
でも長嶋は『ヒロさん、13年間お疲れ様でした。これ、ヒロさんが大好物って言っていたから』と、ハチミツをくれた。オレ、ハチミツが好物なんてひと言も言ったことがないし、好きでも嫌いでもなかった。まあ、ありがたくいただいたけどな」
なにより広岡は、権力に屈しない長嶋の律儀さに感心したという。
【引退後も続いたふたりの交流】
そんなふたりは、互いに引退してからも交流は続いた。
1988年に『日米ベースボール・サミット』を開催するにあたって、主宰の広岡は長嶋のブランド力がどうしても必要で、正直に「ぜひとも成功させたいから、おまえのネームバリューを使わせてほしい」と話すと、「ヒロさん、全然いいですよ」と快諾し、長嶋はアンバサター的な立ち位置で盛り上げてくれたという。
「オレが頼みごとをすると、いつもあいつは嫌な顔をせず『いいですよ』と言う。ほんと、かわいいヤツだったよ。先輩である千葉(茂)さんが、巨人のブランドを圧倒的に示すために、オレを(巨人の)監督にして、長嶋をヘッドコーチにするという構想を持っていたらしいけど、もしオレが監督になっていたとしても、長嶋をヘッドコーチに置かないよ。ヘッドコーチを勘でやられたらたまらんからな(笑)」
広岡にとって長嶋は、最後までかわいく憎めない後輩だったのだ。
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
ホラ吹きザルは疫病神♪マンキー疫病神大爆笑