【作中の「キュリアに頼って身を潜めていた臆病者」という表現は「一部のNPCの意見」とすべきか、「開発側が与えた作中事実」とすべきか】
台詞が存在する以上は「開発側にそのようなイメージを持たせる意図があった」と解釈するのが道理で、NPCの言い分なので全く考慮に値しないとするのは難しかろうと思います。
仮に臆病者というイメージを回避しつつ対抗意識を煽るのであれば、「キュリアを使役しながら身を潜めていた卑怯者」など他の表現が幾らでもありますし。
その中であえて臆病者というワードを用意したのは、キュリアによる弱体化を図りつつ、メル・ゼナとの対決を避けて身を潜め続けていたスタンスを強調するものと考えるのが最も素直かと思います。
よって、そうしたイメージを踏襲した表現がなされる程度なら別段問題視する理由はないというのが個人的見解です。
【ガイアデルムのエネルギー系攻撃の使用可否】
そもそも使用可否については公式で明言されない以上は考察にしかなり得ないので、概要ではなく考察に記載すべきかと思います。
その上で使える可能性と使えない可能性について各々が論じればいいだけの話では。
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凍結されています。
元のツリーでは「NPCの発言=作中事実」というスタンスであれば賛成しかねる……という意図で発言をしましたが、ちょっと整理すると「開発側にそういうイメージを持たせる意図があった」というのは確かに否定できませんね。
ストーリー・演出上のロールと、世界観・設定上の事実との違いとでも言うのでしょうか。
原初メル・ゼナなんか顕著ですが、開発側が気合の入ったムービーで「メル・ゼナは救国の騎士」というイメージを演出していたのは事実ですし、その後ガレアスがフィオレーネを窘めるシーンで「メル・ゼナは単に縄張りを守っただけの獣」という事実を提示したのもまた事実。
「ロール」と「設定」は相反するものでもないと思い直しましたので、ガイアデルムは臆病者のイメージを持つモンスターだというのも一定の事実だと改ためます。
その上で……「件の台詞を踏襲する記述程度なら問題ない」というのは確かにそのとおりだと思います。
ただ、生物の自然な生態を勝手に人間の尺度に当てはめて否定や罵倒するのは倫理的にどうかという問題があるので、やはり手放しでその手の記述を放置したものでもないと考えます。
じゃあどんな基準を敷けばいいのかというと難しいのですが……その記述を読む人が「これはストーリー上のロールに沿った記述であって、必ずしも世界観上の事実とは一致しない」と分かる程度のフォローは認め、それを過敏だとか余計なお世話だとして排除するのは控える、というのはどうかと思います。
「ストーリーにおける余談」の冒頭部分がまさにその手の指摘ですね。
臆病者という表現は人間の尺度に当てはめたものである旨を追記しつつ細部を整えれば、総括的なフォローとして十分な内容になると思います。
フォローに関してはそれでいいとして、記事として問題ない記述とある記述の線引についてなのですが
演出と設定の区別がちゃんとついているか、は1つの判断基準になると思います。
百竜ノ淵源の乱入古龍の記述にある、百竜ノ淵源に地獄行きの判決を、とか神助の風翔としよう、みたいな記述は芝居がかっていて「ストーリーの演出を重視した記述なんだな」と分かります。
しかしメルゼナが倒されなければガイアデルムは永遠に引きこもっていたのか?みたいな記述は「書いた人が過去に複数の戦いがあったのを忘れてるのかな?」という印象しか受けないというか。
最初にこの記述について問題提起するとき、強そう弱そうじゃなくこの点をフォーカスするべきでした。
過去に複数回戦って追い返されたという苦い戦績があったからこそ、五十年前の戦いで退却寸前にキュリアを放つという搦手に出たと考えるのが自然では。
そしてメルゼナが毒に耐え切るばかりかキュリアと共生に成功し、その個体群を従えて新たな能力まで得るというのはガイアデルムからすれば完全に計算違いだったはずです。
そのような予想外の状況を受け、仕掛けるべきではないと判断して引きこもっていた、という想定は否定できるような内容ではない……というかむしろ考えられる可能性としては有力な物の一つだと思います。
実際そうした前提がキュリアに頼って身を潜めていた臆病者というセリフに繋がっているんでしょうし。
ガイアデルムがメル・ゼナをどう見ていたかについては、エネルギー系攻撃の使用可否と同じく考察に送って各論併記がいいかと思います。