平素よりお世話になっております。
第73代主将を務めさせていただきました松井康赳です。
11月1日~4日に江ノ島ヨットハーバーにて開催された全日本学生ヨット選手権大会をもちまして私達4年生10名は現役生活の幕を閉じました。
インカレ期間、大変多くのOB・OGの皆様やご家族の皆様、関係者の皆様からご支援ご声援をいただきました。結果で恩返しすることができず大変申し訳ありません。皆様のおかげでどんな時も前を向き、4日間帆走りきることができました。誠にありがとうございました。
インカレが終わって数日が経ちましたが、正直引退したという実感はあまり湧いていません。平日に滝港マリーナに行きましたし、土日祝日月曜日にバイトを入れることにまだまだ抵抗があります。部活が終わり、研究1本で行けるはずなのですが、研究になかなか集中できず、ヨット部での最後の1年間が頭から離れません。
「もっとできたはず」
これが今の率直な気持ちです。自分に対して、チームに対して、部活に対して、同回に対して、後輩に対して、ヨットに対して、ペアに対して、OB・OGの皆様に対して、保護者の方々に対して、応援してくださっている方々に対して。これらすべての事に真正面からぶつかりきることができませんでした。あと少し視野を広く持てていたら、嫌われる勇気を持てていたら、衝突をすることを避けていなかったら、自分の意見に確固たる根拠と自信をもてていたら、他人を頼れていたら、結果は変わっていたかもしれません。自分に厳しくし続け自分を変え続けることができず、自分の弱さが最後の結果に直結したと思います。自分自身に対して厳しく仕切れなかったことが1番の後悔です。
また、年始に令和6年度能登半島地震が発生しました。艇庫は半壊し使えなくなり、これまで通り七尾で活動することができなくなりました。1月は本当に先が見えず不安な毎日でした。しかし、OB・OGの皆様や保護者の皆様など多くの方々のご支援・ご協力のおかげで2月末には練習を再開することができ、その後の活動も滞りなく行うことができました。この場をお借りして改めて感謝申し上げます。
しかし、震災が起こって、悪いことばかりではありませんでした。3月の琵琶湖合宿、新たな他大学・団体さんとのつながり、滝港での練習、岩城さんとの出会い等。これまでになかった新しい事にチャレンジする機会を沢山いただき、自分たちに世界を広げると共に大きく成長することができました。苦しい状況には変わりないですが、その一つ一つの出会いやつながりが私達の心に光をともしてくくれていたのだとすごく感じております。ありがとうございました。このつながりを大切に今後も活動していきます。
後輩達へ。
1年間自分達についてきてくれてありがとう。結果で恩返しすることができず申し訳ない気持ちでいっぱいです。納得いかないことや、辛いこと、大変なことを沢山させてしまったけど、江ノ島インカレ最終日まで共に帆走りきってくれてありがとう。皆の支えのおかげで最後までやり向くことができました。皆は個性にあふれています。個性が豊かな人が集まると様々な価値観や考え方を学ぶことができると同時に、意見の衝突も多々起こります。そんな時は思いっきりぶつかって下さい。自分の意見をしっかり伝えて、相手の意見もちゃんと聞いて受け入れる。自分の意見ばかり押し付けていては喧嘩になってしまうので、相手を認めることを忘れないで欲しいです。そうすれば本物の絆が生まれてくるのではないでしょうか。
また、震災が起きたことで、大きく変われるチャンスが沢山転がっています。多方面から様々なお声掛けをいただいていると思います。「これまで」に縛られることなく、どんどんチャレンジして、多くを学び、人とのつながりをどんどん広げていってほしいです。
また、今後ネガティブな精神状態になる時期が訪れるかもしれません。でも、どうかヨット部を続けてほしいです。お金では絶対に買えないかけがえのない経験がきっと沢山できるはずです。
同回へ
4年間本当にありがとう。当初の半数以下になってしまったけど、この10人で最後まで活動できて本当に良かったです。1年間共に「部活」と向き合い、チームを作っていけたことを誇りに思います。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。
最後に拓武へ
最後まで一番近くで戦ってくれて本当にありがとう。
なかなかいい景色を見せてあげられなくてごめん。楽しいレースを毎回してあげられなくてごめん。上手くいかなくてむしゃくしゃして雰囲気悪くしてごめん。自分の技術不足で拓武の悩みの種を増やしてしまってごめん。沢山辛いしんどい思いをさせてしまってごめん。ジャボってごめん。拓武の優しさとちょっとゆっくりな話し方に何度も救われました。我儘で、上手くいかないと拗ねて、ミスを引きずって、本当にめんどくさい手のかかるスキッパーだったと思うけど、最後まで一緒に乗れてありがとう。ハーフ~フルトラくらいの拓武のヒールトリム、めっちゃ好きでした。自分にとって間違いなく拓武がNo.1のペアです。来年、最高のペアと最高の景色を見てきてください。今まで本当にありがとう。
最後になりますが、4年間本当に多くの方々にお世話になりました。ご迷惑をおかけする場面も多々あったと思いますが、それでも最後まで私達を見守って下さり、またご指摘してくださりありがとうございました。今後は現役の一番近くで、新たな目標に向かって全力でサポートしていきます。後輩の皆さんいつでも応援しています。
多くの人と出会い、沢山の事を学び経験した金沢大学体育会ヨット部に感謝申し上げます。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
いつもお世話になっております。
第73代副将を務めさせていただきました大塚涼平です。
まず、インカレ本戦をはじめ、震災直後から現在まで活動が続けられたことを幸せに思うとともに、皆様のご協力があってこその1年間でした。この場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。結果で示すことができず申し訳ありません。そして、何より自分ら4年生全員が満足のいく結果ではないのが心残りです。
後輩や同回に向けての言葉は予選が終わったときのふるはいくや本戦後のMTGで伝えたので、ここでは1年前にふるはいくで書いた言葉の答え合わせをしようかなと思います。
そのふるはいくには、“自分が選ぶ道を正解にする努力をする。”と書きました。ここでいう正解とは目標(インカレ総合10位)達成すること。そして道には数ある選択の中で特に、“スキッパーに転向すること”という決意表明を込めました。結果の面だけ見ればもちろん正解にはならなかったですが、この1年間を終えて得られたものは自分の中でかけがえのないものとなりました。例えば、OBやOGの皆様との関わりが増えたことです。どんな悩みを相談しても広い心をもって受け止め、解決策まで出してくださるし、技術の質問をしても+αの回答までしてくださり、早くヨットに乗りたい!とまで思わせてくださるその引き出しの多さとその引き出しから瞬時に適切な回答を持ち出す力、、もっと早くから関われたら、、と引退した今になって思いますし、直近の先輩方も皆同じようなことを言っていたなぁ、と思い出しました。あとは、純粋にヨットの楽しさが増えたことです。クルーの時に見られなかった視点でヨットをみることができました。どのヘルムが早いのか、どうやったら前に出すことができるのか、挙げだしたらきりがないですが、2人乗りである以上、やはりペアとのコミュニケーションが欠かせません。まだまだスナイプという艇種を極めていきたいし、他の470やシングルハンドの船はどうやって走らすのか、クルーザーにも興味がありますし、とにかくヨットという競技に対してさらなる知識を深めていきたいです。
きれいな文章でまとめられず申し訳ないですが、もし、後輩のみんなの中でこの言葉を少しでも意識してくれる子がいたら、自分の経験から、次のように考えてほしいです。
これから選んでいく選択肢はどれが正解でどれが正解ではないのか、もちろん誰にもわからないです。けれど、正解のわかった選択をするよりも未来がどうなるかわからないまま悩み、考え、それでも突き進んだ選択をする方が結果的に後悔するかもしれないけれど、その分得られるものは大きく、納得のいく終わり方ができると思います。つまり、先行きが見えなくてもとにかくチャレンジしてみてください。ただがむしゃらにやるのもいいかもしれないですが、ちゃんと“自分なりに努力する“までがセットです。これからも応援しています。
最後になりますが、改めまして、文面上ではありますが、先輩方にはたくさんのご指導や激励のお言葉をいただきました。同回には今まで一緒に戦ってくれてありがとう。最後まで迷惑ばっかかけてごめん。もうちょっと素直になればよかった。後輩には、関わりづらい先輩かもしれないけどみんなの言葉や笑顔が心の支えでした。また、ヨット部への入部を許してくれた母親もありがとうございました。皆様のおかげで自分の中でかけがえのない4年間を過ごすことができ、幸せでした。今後ともどうぞよろしくお願いしたします。
失礼します
お世話になっております。
今年度470主将を務めさせていただきました、後藤広睦と申します。
最後のふるはいくということで、自分の現役生活を振りかえって感じたことを伝えたいと思います。非常に長い文章になりますが、最後まで読んでいただけますと幸いです。
昨年の11月、大敗を喫した小戸インカレを終えて、最後の1年間は誰よりも勝利に貪欲で、上手くて、速くて、強いプレイヤーになろう、常にその姿を見せ続けよう、と決意しました。
クラスリーダーを務めるうえで、苦しい思いをすることや、人間関係、結果に悩むことが来ることは前々から承知でしたし、実際にとても苦しく、何度も1人で悩み続けた1年間でした。
人それぞれ価値観や考え、勝ちに対する意識も異なるため、それを1つにまとめあげることは非常に難しく、最後までリーダーとしての役割を果たせなかったです。迷惑をかけた部員のみんなには、申し訳なく思います。
しかし、どんな時でも常に前を向き、純粋にヨットを楽しみ、「インカレ総合10位」という目標に向けて覚悟をもって臨み続けた1年間でした。
宣言通り、自分は誰よりもヨットに乗り、楽しみ、速くて上手くて強いプレイヤーへと成長できた自信があります。部員1ポジティブである自信があります。異論はあると思いますが、認めたくありません。
そのくらいの覚悟をもって、スローガンの「強くあれ」をもとに活動してきたつもりです。
どんなに自信があっても、どれだけ強くても、どれだけ練習をしてきても、やはり結果が全てであることは変わりありません。インカレに両クラスで出場できなかったこと、全国の他大学を前に全く力が及ばなかったこと、これは誰も納得のいかない結果ですし、悔しくて悔しくて江の島が嫌いになるくらい悔しい結果ですが、今は素直に受け止めることが出来ています。
最後の大会だからこそなのか、自分の力はこんなもんじゃない、まだやれる、そんな気持ちが1日目、2日目とレースを終わるたびに溢れ出し、いつも通りの100%のパフォーマンスでレースに臨めませんでした。情けない気持ちでいっぱいでした。
勿論、強風域でのクローズやスタート技術など、明らかに他大学と比較して大きく劣っていた部分がありましたし、最後までこの課題を解決できないままインカレを迎えてしまったことなど、様々な要素が合わさって23位という結果となったことは紛れもない事実です。技術的に、人間的に、総合的な面で自分たちの力が足りていなかっただけです。この悔しさをどう晴らそうか、まだ決まっていませんが、とりあえずは後輩たちに託そうと思います。
さて、4年間の現役生活を振り返ると、自分は非常に恵まれた、貴重な経験をさせてもらった身であるなと感じます。
1年生の頃は今でもずっと憧れの4年生のもと、ただただ楽しくヨットに乗っていました。ただ部活にいるだけで、目的意識などはあまり持っていませんでした。
2年生では、絶対にメンバーになると決めインカレにも出させてもらいましたが、ヨット部という組織の在り方や部員間の意識の差に疑問を持ち始め、インカレ後に部活を一度離れました。当時迷惑をかけた先輩方、最後まで向き合ってくださりありがとうござました。
3年生は、とにかくインカレで勝ちたい、全国でインパクトを残したいという気持ち一筋でヨットに、部活に取り組んでいました。全国で勝つためには、覚悟と練習時間が全然足りていないことに気づきました。
4年生では、今まで蓄えた知識や技術が一気に結びついて、一緒に乗っていた山内と名和も必死についてきてくれて、今思えば1番楽しく乗れていた時期なのではと思います。2人に対しては、高度な要求をしていたと思うけど、ヨットに夢中になってくれて、一生懸命楽しそうに乗ってくれてありがとう。
悩み事は1番多い1年間だったけど、岩城さんのご協力もあり、セーリング競技の真の面白さ、奥深さに気づくこともできました。
3回のインカレに出場させていただき、震災が起きたこの1年間も常にヨットに集中することができ、本当に恵まれていましたと改めて思います。
これらを踏まえて、後輩たちには、とにかく目標達成に向けて、勝利に向かって貪欲に活動し続けてほしいです。最終日にも少し言いましたが、ヨット部は体育会部活動であり同好会ではありません。常に勝利を目指すべき組織であり、全員がその意識を持たなければ一体感というものは生まれず、ただの仲良し子好しの組織として成立してしまいます。
1年前のふるはいくにも書いた気がしますが、今よりももっと闘志を燃やして努力してください。負けたら死ぬほど悔しがって、勝ったら素直に喜んで、本気で上手くなろう、上手い奴を抜かしてやろうという気持ちをもって活動してください。自分が下手だと思うなら、1番に出艇して、誰よりも練習時間を取ってください。毎練習みんなよりも5分早く出艇するだけで、いずれは大きな差になります。
これらの勝利への意識はヨット部に所属しているうえで1番の義務であると思います。そして、プライドなどは早いうちに捨てて、素直な気持ちをもってにセーリング競技と向き合ってほしいです。
とはいえ、活動していく上で個々の価値観の違いや、意見の衝突は避けられないですし、冬は寒いし春は風強いし、他のことに時間使いたいって思うこともあるし、勉強との両立も大変って思うこともあると思います。思い通りにいかなくても、どんな時にも、みんなの持つ心の根底に「勝ちたい」という意識を持っていれば、同じ土俵に立って争いができます。根本的な意識の部分にずれがあると、どうしてもまとまりがつかず、課題解決が困難になってきます。行き詰まった時は、それぞれが向かってる方向が、意識が、行動が一致しているのかよく見直してみてください。
みんなが体育会として一体感のある組織で、江の島で僕たちの無念を晴らしてくれることを願っています。
この4年間、OB・OGの皆様、家族、先輩後輩、様々な方のご協力もあり、自分もなんとか最後の1レグまで走り抜くことができました。大学では遊びまくる予定でしたが、2名の先輩からのお誘いを受けたおかげで、その計画は白紙になり、こんなにも魅力的なスポーツに出会ってしまいました。自分をセーリング競技に出会わせてくださり、新歓で拾ってくださり、本当にありがとうございました。
結果と言う形で恩返しはできませんでしたが、残る方法はただ1つ、セーリング競技を今後も続けることだと自分は考えています。何かしらの形で今後も携われるように、努力したいと思います。
最後になりますが、本当に良い経験ができました。間違いなく一生で1番濃い4年間でした。ありがとうございました。ただただ、勝ちたかったです。
今後とも金沢大学体育会ヨット部をよろしくお願いいたします。
第73代470主将 後藤広睦
いつもお世話になっております。スナイプ主将を務めていました。小田学人です。
今回は最後のふるはいくということでどんな内容を書こうか迷いましたが、お世話になった方への感謝を書かせていただこうと思います。
はじめは先輩方への感謝です。
まずはなんといってもヨット部に誘っていただき、楽しい試乗会をしてくださりありがとうございました。大学に入学したら部活はやらずにほどほどにバイトして、ほどほどにサークルして、ほどほどに遊んでというような大学生活にしようと考えていたところでヨット部が魅力的に感じ、4年間ヨット部で頑張ろうということを決めました。自分を入部させてくれたおかげで他では経験できないような貴重な4年間を過ごすことができました。本当にありがとうございました。また、いま自分がこうして4年間をやりきれたのは先輩方が技術的にも人間的にも教育してくれたからだと感じております。特に自分が4年生になってからは個人的な技術面でもチーム全体としてもクラスリーダーとしてもたくさんのOBさんに協力していただきました。たくさんの先輩方にお世話になりましたが、個人的には岩城さん、山口さん、岩谷さんには特にお世話になりました。残念ながら目標達成とはなりませんでしたが、初めは近北で最下位を争っていたようなチームが予選では予選突破できると希望を持てるくらいのチームにまで成長できました。ここまで成長できたのは先輩方のおかげだと感じています。本当にありがとうございました。
次は後輩に向けてです。まずはヨット部に入部することを決めてくれてありがとう。個性的で頼れる後輩たちに囲まれて楽しく部活をすることができました。とくに今年は幹部としてクラスリーダーとしての自分と1年間一緒に戦ってくれてありがとう。不満がたまることもいっぱいあったと思うけどいつも楽しそうに活動する後輩たちを見て元気をもらっていました。また、部活外でも一緒に遊んでくれてありがとう。先輩として楽しませなければいけない立場にもかかわらずご飯いったり、飲み会したり、カラオケ行ったり逆に楽しませてもらっていました。特にほのかには最後の1年間はすごくお世話になりました。そもそもチーム事情でクルーにコンバートさせてしまって、クルーになったかと思えば配艇でもいろいろと振り回してしまってごめん。それでも最後まで文句を言わずクルーとしてびっくりするような速度で成長をしてくれて本当に助かりました。予選で一緒にトップホーンを鳴らすことができて本当にうれしかったです。後輩のみんなはやる気があってヨットもうまくて本当に期待しています。これからの成長をとても楽しみにしています。楽しむことを忘れずにこれからも頑張ってください。できることはなんでもやります。
同回にむけて、最後までこの10人で部活をやりきることができてうれしく思います。自分がスナイプチームの成長に集中できるような環境を作ってくれてありがとう。この10人だったから楽しいこともつらいことも一緒に乗り越えられたと思います。自分たちの代で目標達成できなかったのがすごく心残りですがみんなで過ごした4年間はほんとうにかけがえのないものです。引退しても一緒に遊んでください。
最後に保護者の方への感謝です。まずは、ヨット部入部を許してくれてありがとう。やりたいことをやらせてくれてありがとう。なかなか帰省できなくて申し訳ないです。部活も引退したことなのでこれからは時間があれば帰ろうと思っています。交通費だけ出してくれたらうれしいです。
あまり上手な文章ではありませんでしたがとにかくお世話になった方への感謝を伝えたくこの内容にしました。これからは逆に感謝されるような存在になれるように努力していこうと思います。4年間本当にありがとうございました。
平素よりお世話になっております。
第73代学連兼県連を務めさせていただきました坂東菜摘です。
「ふるはいく」での最後のごあいさつということで、自分からはヨット競技をするにあたって、この4年間多くの方に支えていただいたことへの感謝を伝えさせていただきます。
石倉監督をはじめとした金沢大学体育会ヨット部OBOGの皆様、高木さん
温かく、時に厳しく、私たちを支え、またご指導いただき、ありがとうございました。失礼ながら、1年生の時にはあまり理解していなかった皆様との繋がりのありがたさが、学年を重ねるごとに沁みこんでいきました。最後結果で恩返しすることができず、本当に申し訳ありませんでした。石倉監督や岩城さん、またこの部活に誘っていただき指導をしていただきたくさん相談に乗ってくださったOBOGさんには特に感謝しています。
4年間この部活を続けて、金沢大学体育会ヨット部の繋がりの一部になることができたことを誇りに思います。
ヨット競技関係者の皆様
(主に近畿北陸学生ヨット連盟の皆様、他大学ヨット部の皆様・関係者の皆様)
4年間、どんなコンディションの中でも素晴らしいレース運営をしていただき、ありがとうございました。特に近畿北陸学生ヨット連盟の金沢大学の代表として関わった経験から、ヨット競技ほど「自然を相手にしながらも選手のために高いスキルを持った多くの方が携わるスポーツ」はないと思いました。また、琵琶湖水域の大学ヨット部の皆様には、特に今年は震災関連でたくさんのご支援をいただき、また合同練習などで技術的な成長の機会もいただきました。普段のレース前後では無知な私に情報の共有をしてくださりました。女子インでは関西大学の皆様に本当にお世話になりました。まだまだ多くの関係者様に良くしていただき感謝しきれません。
幹部の学連兼県連という役職に携わり、他校の方々やレースに携わってくださる方々との繋がりを持つことができて本当に良かったと思っています。
後輩の皆さん
新歓でヨット部を選んで、私の後輩になってくれて本当にありがとう。いつもなにか慌てていて頼りない先輩だったと思いますが、たくさん応援して、支えてくれて、ついてきてくれて感謝しています。これから、マイナスな気持ちになることがあったり困ることがあったら、そうでない時でも、力になりたいです。ヨット部の4年間で自分が納得のいくほど努力をして、いざというときに自分を一番の味方にできるように頑張ってください。
同回のみんな
4年間ありがとう。すごいたのしかったです。
これからもよろしくお願いします。
両親・姉妹へ
ずっと文句も言わず続けさせてくれてありがとう。おかげでこの4年間でしかできない経験や、今後もずっと自分にとって大切な繋がりができました。
最後に皆様のおかげでここまでたくさんの学びを得れたこと、幸せに思います。これからはいちOGとして微力ながら金沢大学体育会ヨット部の役に立てればと思います。
今後とも金沢大学体育会ヨット部をよろしくお願い致します。
失礼します。
お世話になっております。
第73代OB係を務めさせていただきました。
4年スナイプスキッパーの川谷愛海と申します。
まず、インカレ予選・本戦をはじめ、震災後からこの一年間、本当に多くの方々が金沢大学ヨット部を支えて下さったおかげで、最後まで目標に向かって真摯に部活動に取り組むことができました。部員一同心からの御礼を申し上げます。感謝しても感謝しきれませんが、結果で恩返しをすることもできなかったことが本当に悔しく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
この投稿が、自分の気持ちや思いを伝えられる最後の機会となると思いますので、正直な気持ちを書きたいと思います。長くなると思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。
ヨット部を引退して数日経ちますが、何かに打ち込むという自分の中で当たり前だった環境がなくなって、心が空っぽな日を過ごしています。授業に卒論に車校にバイト、、、部活優先でそっちのけにしてきたやらなきゃいけないことが山程あるのに、4年間の反省ばかりだしてやり場のない気持ちに息が詰まりそうです。考え始めたら色んな感情で心がぐちゃぐちゃになり始めて最近は泣いてばかりいました。インカレが終わり、次こそいい景色を見るためのチャンスがある、改善していける機会がある、頑張れる場所がある、後輩たちが凄く凄く羨ましいです。めちゃくちゃ応援してるのでヨットにも、自分自身にも、ペアにも、チームにも、真剣に向き合って努力してほしいと心から思います。
さて、ヨット部に入部して約4年間のうち、私にはターニングポイントが3回ありました。誰のためにも何の参考にもならないかもしれませんが、記録として残しておきます。
1回目。2年生のインカレ後。2年生の時、ヨットにも乗れないし、チームでの立ち位置もよく分からず、勝ちのために自分が貢献できることも分からず、色々悩んだ結果病みました。正直ヨットもヨット部もめちゃくちゃ大嫌いでした。自分のこのどうしたらいいか分からない気持ちを上回生のせいにしました。沢山迷惑をかけてしまい、とても弱くて、未熟で、本当に情けなかったと思います。インカレが終わり、上回生からのお言葉を頂いた時、自分のことしか考えてなかった自分にようやく気づき申し訳なさでいっぱいでした。目の前のことでいっぱいいっぱいになるのではなく、俯瞰的に見てチームのために何ができるのかを考えることが大切だったと思いました。学年、レースメンバー、サポートメンバー等々、それぞれの立場で考えることや思うこと、求めること求められること、すべきことが違うくて、これが正解っていうのはなくて、皆が目標達成のためにただ必死に頑張っていたことに気づきました。(抽象的な表現ですみません)この時気づけていなければ多分そのまま辞めていました。
2回目。4年生の岩城さんとの出会い。岩城さんに毎週のように練習を見ていただけるようになってから、単純に練習することやヨットに真剣に向き合うことの楽しさが分かりました。岩城さんにとっては些細なことだったかもしれませんが、少し帆走らせ方が独特な私を、間違ってるよこうだよと型にはめて決めつけず、受け入れて長所として伸ばして下さり本当にありがとうございました。私はそれにすごく救われました。私は自分に自信がありませんでした。スタートも帆走も動作も何もかもが全て中途半端で誇れるものが無くて、何を武器に戦っていけばいいのか分かりませんでした。そんな私に光を与えてくれたのは、紛れもなく岩城さんだと思っています。軽風クローズで無双してやる。私にしかできない帆走らせ方で勝ち抜きたい。もっと努力して、長所は伸ばして、苦手は克服して、誰にも負けたくない。絶対絶対負けない。いつの間にかこういう強い気持ちをもって練習やレースに出ていました。この1年で、予選前に緊張とストレスで胃腸炎になるほどの激弱メンタルが強メンタルに成長しました。
3回目。4年生の女子イン。女子インで関西大学さんに刺激を受けました。矢田さん、松下さんが、個人遠征で2人で女子インに参加した私たちに関西大学さんたちとのパイプを繋げてくれました。気にかけて下さった矢田さんや松下さんをはじめ、選手、マネージャー、監督・コーチの方々は、温かく私たちを迎え入れて下さいました。そこで、関西大学ではない私たちの気持ちをも1つにするような一体感にすごく驚きました。誰一人気持ちが置いていかれてなくて、皆さんが勝ちに向かって目標を見据えているような雰囲気を感じ取りました。関西大学さんの集合で皆さんのやる気のボルテージがどんどん上がっていくのを感じて、勝手ながら私もやる気が湧きでて、不思議なパワーをもつ関西大学さんに憧れて集合中涙が出ました。技術面でもチーム面でも大きな影響を受け、この日から、はやく少しでも追い付きたい、追い付いてインカレで戦いたいとより一層強く思うようになりました。女子インが終わって予選まで、活動日が本当に僅かしかなかったのが悔しいですが、私の闘志は予選最終日までメラメラ燃えていました。これを読んでくれているかは分かりませんが、本当に感謝しています。ありがとうございました。
このように、私が部活動に対しての見方が大きく変わった/自分が成長したきっかけはほとんど4年生の時です。現に、私は4年生になってから心・技・体全てがめちゃくちゃに成長しました。ただ、振り返ってみると開花し始めるのが遅かったと感じます。正直まだまだ出来てたと思うし、今でもまだまだ成長の余地があると思います。だから、後輩のみんなには早いうちから自分の力で気づくことを大切にしてほしいです。部に対する不満や、嬉しいこと、感動したこと、なんでもいいのでそれを自分に昇華させて、どんどん成長していってほしいです。私もみんなに絶対負けない気概をもって新しいヨットの道へ進みます。これからも一緒に頑張ろう! ※書いてる意味がよく分からなかったらいつでも連絡してください。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。まとまりのない文章失礼しました。
最後になりますが、4年生をこのチームで戦えて本当に良かったです。1年生、2年生、3年生、4年生の皆、OBOGの皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございました!
今後とも金沢大学体育会ヨット部をよろしくお願いいたします。
お世話になっております。
保険係を務めました。丸尾千佳です。
まず始めに、4年間本当にお世話になりました。誠にありがとうございました。
結果で恩返しすることが出来ず、申し訳ありません。
両クラスでインカレの舞台に立ちたかった、目標に挑戦したかった、目標達成したかった。それだけです。
大学入学前は自分がこんなに打ち込めるものに出会えるとは思ってもいませんでした。ヨット部を通じで出会えた仲間、経験すべてが自分にとっての大きな財産です。
本当にありがとうございました。
自分がコンバートして感じたこと、2年間部の運営に携わって感じたこと、震災が発生し感じたこと、多くの方に助けて頂いたこと、インカレの景色、最後のふるはいくに書きたいことはたくさんありますが、同回のふるはいくを読んで図々しくも勝手に自分の気持ちが伝わった気でいるので、今回は少し違う視点から書きたいと思います。
ヨット部には山ほど「誰かがやらないといけないこと」があります。
それは結果を追い求める上で直結することもありますが、時に「本当に勝つためなのか」・「自分がするべきことなのか」と疑問に思う仕事も多々あります。
私はこの2年間幹部となり、その「誰かがやらないといけないこと」をたくさん見てきた気がします。
自分に余裕があれば、快く引き受けられていたかもしれませんが、余裕がないと「なんで自分がしないといけないの」とマイナス感情しか持てませんでした。その中、ヨットの話で盛り上がっている同回を見ると怒りの沸点が低くなっていました。
勝手に同回が信じられなくなるし、嫌いになります。
私は、みんな「勝つために」自分の知らないところで苦労していることがあると言い聞かせていました。今となればSOSを出していたら良かったのかな、もっと同回と向き合えていたのかなと思います。
(まとまりがない上に、少し愚痴みたいになってしまいすみません)
この経験から後輩に伝えたいことは、
「報・連・相」をどんな時も大切にすること。
絶対に仕事を抱え込まないこと。
誰かを頼ること。
誰かに頼むのがめんどくさいから、自分でしようと思わないこと。
その時はめんどくさくても後々楽になると思います。
そうすることで自分がヨットと向き合える時間が増えます。
そして、全員に
ヨットに乗れる・大会に出れているということは多くの人が関わってくれていること。
そこには部の誰か、またヨット部でない人がしてくれている仕事があるということ。
私は、震災を経験してから部活動をするためには様々な仕事があることを知りました。
幹部・主務を中心に事務的な仕事をこなし、後輩は何も知らなくても良いのかもしれません。ただ技術向上を目指し努力することが良いのかも知れません。ですが、私は少しでもみんなに「誰かがしないといけないこと」を知ってほしいと思います。
そうすることで、全員が「ヨット部」と「ヨット・セーリング競技」に向き合うことが出来るのかな、勝ちにつながるのかなと思います。
同回はたまたま同じ年に金沢大学に入学してたまたまヨット部に入部してここまで続けてきただけの関係かもしれないけれど、ヨット部で出会えたこと・目標に向かって一緒に帆走り続けたことは一生の宝物だと思います。
だからこそ、同回は信用できるし、信頼しあえる関係でありたいし、どの代もそうあってほしいです。
最後に、震災があり、ヨット部の歴史が詰まった艇庫をまさか自分たちの代で壊すことになるとは思いもしませんでした。ですが、多くの方にご協力いただきヨット部の歴史を繋げることが出来て、74代にバトンを渡せました。74代に私たちが達成できなかった目標を託します。
私にできることは全力でサポートします。
ずっと応援しています。
長々と読みにくい文章を失礼しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後とも金沢大学体育会ヨット部をよろしくお願いいたします。
お世話になっております。
金沢大学体育会ヨット部第73代主務を努めさせていただきました、4年470スキッパーの寺島春樹です。
第73代最後の大会から2週間が経ちました。
自分の今の率直な気持ちを綴らせていただきます。
まずは4年間、本当に多くの方々に支えられて活動を終えられたことを嬉しく思います。いちばん身近な同回達はもちろん、後輩たち、OB・OGの皆様、高木克也さん、ご家族の皆様、大学・高校時代の友人たち、また顔も合わせたことがないような方々からも応援され、支えられてきた4年間でした。言葉では言い表せないほど感謝しています。本当にありがとうございました。
率直な気持ちと言っても、あまり自分の中で整理が付いていないというのが正直なところです。後輩達にも、OB・OGの皆様に対しても、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、好きで乗れていたヨットから今は距離を置きたい気分です。
インカレ直前、計測の前日、滑りの練習中、Luceに修復困難な損傷を与えました。
スキッパーとして、また大会で結果を出そうとする者として決してやってはいけないことをしました。
その時の景色、音、後悔が今も夢に出てきます。大会期間中は後悔していても結果は変わらない、できることをやるしかないと強制的に切り替え望むことができていたように思いますが、悲惨な結果に終わった今、後悔と申し訳なさで後輩たちと先輩方に合わせる顔が全くありません。本当に申し訳ありません。
4年間を振り返って、結局良い船に乗せてもらえるだけのスキッパーになれていなかったんだと思います。
技術も知識も身体もメンタル面でも全て中途半端で、妥協ばかりの4年間でした。
これ以上書くと文章としてまとめられなさそうなので、4年間を無駄にした自分から後輩達に、せめてものメッセージを残せればと思います。
1つ目は、勝負することを楽しんで欲しいということです。
ヨットは乗っているだけでも楽しいです。
だからこそそこに甘んじず、競技として、勝負の場としてそこで勝つことを考えて楽しんでほしいです。
自分はそこに気づくのがあまりにも遅すぎました。はっきりとは覚えていませんが、2年のインカレ後くらいだった気がします。3年の時は松井とノムさんに、走りで決して負けないことを意識し練習に望んでいました。4年の時は松井と後藤に、ペアとしてどの風でも負けないということを意識していました。良いライバルに囲まれていたからこそ、また良いペアに恵まれたからこそ飛躍的にヨットが楽しくなった時期でした。
ヨットにおける勝負では、風やバウの高さなどの条件を限りなくイーブンにしてスタートすることが重要です。何で負けたのか、どうして前に出たのか、同回達と、後輩たちと、岩城さんと、研究し尽くしてください。
2つ目は、「なぜここにいるか」を常に意識して欲しいということです。
逃げる理由はいくらでもあります。お金のこと、時間のこと、友達付き合いのこと、身体のこと、いくらでも適当に理由をつけて逃げることはあまりにも簡単で、本当に楽です。言い方は悪いかもしれませんが、そういう選択を取った元同回達を羨ましく思うこともあります。
問題は、逃げない理由、なぜここにいるのかという理由がいくつあるかです。自分の場合はヨットが好きだったことと、やっぱり1番になりたかったこと。そして何より、逃げない理由にしがみついて諦めなかったという経験が欲しかったというのが理由でした。
楽な道を選ぶことは悪癖になります。これはヨット部においてと言うより、人生においてです。楽な道を選び続けた結果自分が見た・見せた景色が江ノ島インカレでの悲惨な結果です。逃げればいい、妥協すればいいという思考は必ずどこか大事な場面で絶望的な壁として報いを与えてきます。どうか選択を迫られる時、自分の中で選択をしなければならない時、自分が強くあれる方を選び取って欲しいです。
自分には金大ヨット部に対して罪滅ぼしをしなければならない点がいくつかあります。今すぐにできることはそんなに多くないと思うので、時間をかけてゆっくりと、確実に返していきたいと思います。
長文駄文失礼しました。
金沢大学体育会ヨット部
第73代主務 寺島 春樹
お疲れ様です。
第73代でマネージャーリーダー兼会計を担当していました櫻井祐樹です。
この4年間はたくさんの方々から支えられ、そして後押しされてきた日々でした。石倉監督を始め、たくさんのOB•OGの方々、保護者の皆様(もちろん自分の両親も)、青年の家やハーバーの方など自分たちの活動を支えてくれている関係者の皆様、そして同回、後輩のみんな、僭越ながら深く感謝いたします。ありがとうございます。
自分はマネージャーにコンバートしてから、練習やレースで選手たちが少しでも多くヨットのことを考えられるように、今までのマネージャーとは少し違う自分なりのイメージを描いて活動してきました。それは時に下の子達を振り回してしまったかもしれません。
第72代の先輩方が引退してから新しい1年生が入ってくるまでは、自分と2つ下の桃井の2人での活動が続きました。時には1人でご飯作りを任せてしまったり、時には練習、レースに2人で海上に出て運営回したり、支援艇乗ったりして、かと思えば着艇後にご飯作りRTAしたり、今思えばすごいことをしてしまったなと思います。そんな大変な日々が続いた中でも、付いてきてくれたかなにはとても感謝しています。ありがとう。
同回のみんなには、いつも迷惑かけてばかりで申し訳なかったです。それでも同じ方向を向いて「強くあれ」のスローガンのもと最後まで駆け抜けられて本当に良かったです。まだやり残したことで手を煩わせることがあると思いますが、よろしくお願いします。
自分たちの最後の年は、想像を超えた前例のないことが起こり右往左往することが多かったですが、様々な方からのご支援をいただき、形は違えどヨット部としての活動を続けることができました。そのことを胸に今度は自分たちが後輩たちの活動を支える番です。第74代の人達に求められるような自分になりたいと思います。
まとまりがなく稚拙な文章ですが、ご覧くださりありがとうございました。
今後とも金沢大学体育会ヨット部をよろしくお願いいたします