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第73代幹部引退挨拶 / 8

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4年 470スキッパー 寺島春樹 2024/11/18 (月) 09:13:01

お世話になっております。

金沢大学体育会ヨット部第73代主務を努めさせていただきました、4年470スキッパーの寺島春樹です。

第73代最後の大会から2週間が経ちました。
自分の今の率直な気持ちを綴らせていただきます。

まずは4年間、本当に多くの方々に支えられて活動を終えられたことを嬉しく思います。いちばん身近な同回達はもちろん、後輩たち、OB・OGの皆様、高木克也さん、ご家族の皆様、大学・高校時代の友人たち、また顔も合わせたことがないような方々からも応援され、支えられてきた4年間でした。言葉では言い表せないほど感謝しています。本当にありがとうございました。

率直な気持ちと言っても、あまり自分の中で整理が付いていないというのが正直なところです。後輩達にも、OB・OGの皆様に対しても、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、好きで乗れていたヨットから今は距離を置きたい気分です。

インカレ直前、計測の前日、滑りの練習中、Luceに修復困難な損傷を与えました。
スキッパーとして、また大会で結果を出そうとする者として決してやってはいけないことをしました。

その時の景色、音、後悔が今も夢に出てきます。大会期間中は後悔していても結果は変わらない、できることをやるしかないと強制的に切り替え望むことができていたように思いますが、悲惨な結果に終わった今、後悔と申し訳なさで後輩たちと先輩方に合わせる顔が全くありません。本当に申し訳ありません。

4年間を振り返って、結局良い船に乗せてもらえるだけのスキッパーになれていなかったんだと思います。

技術も知識も身体もメンタル面でも全て中途半端で、妥協ばかりの4年間でした。

これ以上書くと文章としてまとめられなさそうなので、4年間を無駄にした自分から後輩達に、せめてものメッセージを残せればと思います。

1つ目は、勝負することを楽しんで欲しいということです。
ヨットは乗っているだけでも楽しいです。
だからこそそこに甘んじず、競技として、勝負の場としてそこで勝つことを考えて楽しんでほしいです。

自分はそこに気づくのがあまりにも遅すぎました。はっきりとは覚えていませんが、2年のインカレ後くらいだった気がします。3年の時は松井とノムさんに、走りで決して負けないことを意識し練習に望んでいました。4年の時は松井と後藤に、ペアとしてどの風でも負けないということを意識していました。良いライバルに囲まれていたからこそ、また良いペアに恵まれたからこそ飛躍的にヨットが楽しくなった時期でした。

ヨットにおける勝負では、風やバウの高さなどの条件を限りなくイーブンにしてスタートすることが重要です。何で負けたのか、どうして前に出たのか、同回達と、後輩たちと、岩城さんと、研究し尽くしてください。

2つ目は、「なぜここにいるか」を常に意識して欲しいということです。

逃げる理由はいくらでもあります。お金のこと、時間のこと、友達付き合いのこと、身体のこと、いくらでも適当に理由をつけて逃げることはあまりにも簡単で、本当に楽です。言い方は悪いかもしれませんが、そういう選択を取った元同回達を羨ましく思うこともあります。

問題は、逃げない理由、なぜここにいるのかという理由がいくつあるかです。自分の場合はヨットが好きだったことと、やっぱり1番になりたかったこと。そして何より、逃げない理由にしがみついて諦めなかったという経験が欲しかったというのが理由でした。

楽な道を選ぶことは悪癖になります。これはヨット部においてと言うより、人生においてです。楽な道を選び続けた結果自分が見た・見せた景色が江ノ島インカレでの悲惨な結果です。逃げればいい、妥協すればいいという思考は必ずどこか大事な場面で絶望的な壁として報いを与えてきます。どうか選択を迫られる時、自分の中で選択をしなければならない時、自分が強くあれる方を選び取って欲しいです。

自分には金大ヨット部に対して罪滅ぼしをしなければならない点がいくつかあります。今すぐにできることはそんなに多くないと思うので、時間をかけてゆっくりと、確実に返していきたいと思います。

長文駄文失礼しました。

金沢大学体育会ヨット部
第73代主務 寺島 春樹

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    4年マネージャーリーダー兼会計 櫻井祐樹 2024/11/18 (月) 20:21:11 >> 8

    お疲れ様です。
    第73代でマネージャーリーダー兼会計を担当していました櫻井祐樹です。

    この4年間はたくさんの方々から支えられ、そして後押しされてきた日々でした。石倉監督を始め、たくさんのOB•OGの方々、保護者の皆様(もちろん自分の両親も)、青年の家やハーバーの方など自分たちの活動を支えてくれている関係者の皆様、そして同回、後輩のみんな、僭越ながら深く感謝いたします。ありがとうございます。

    自分はマネージャーにコンバートしてから、練習やレースで選手たちが少しでも多くヨットのことを考えられるように、今までのマネージャーとは少し違う自分なりのイメージを描いて活動してきました。それは時に下の子達を振り回してしまったかもしれません。
    第72代の先輩方が引退してから新しい1年生が入ってくるまでは、自分と2つ下の桃井の2人での活動が続きました。時には1人でご飯作りを任せてしまったり、時には練習、レースに2人で海上に出て運営回したり、支援艇乗ったりして、かと思えば着艇後にご飯作りRTAしたり、今思えばすごいことをしてしまったなと思います。そんな大変な日々が続いた中でも、付いてきてくれたかなにはとても感謝しています。ありがとう。

     同回のみんなには、いつも迷惑かけてばかりで申し訳なかったです。それでも同じ方向を向いて「強くあれ」のスローガンのもと最後まで駆け抜けられて本当に良かったです。まだやり残したことで手を煩わせることがあると思いますが、よろしくお願いします。

    自分たちの最後の年は、想像を超えた前例のないことが起こり右往左往することが多かったですが、様々な方からのご支援をいただき、形は違えどヨット部としての活動を続けることができました。そのことを胸に今度は自分たちが後輩たちの活動を支える番です。第74代の人達に求められるような自分になりたいと思います。
    まとまりがなく稚拙な文章ですが、ご覧くださりありがとうございました。
    今後とも金沢大学体育会ヨット部をよろしくお願いいたします