人々の身分
8世紀前半の日本の人口はというと、約450万人といわれています。これは、推定値だと思いますが、お米の出来高で推定します。ヒトが1年間に食べられる量って決まっていますもんね。
さて、奈良時代の日本は、大陸のお隣の大国である中国に負けず劣らず、律令国家を目指していました。
その律令と呼ばれるきまりにそって、6年ごとに作られる戸籍に、良民(りょうみん)と奴婢(ぬひ)などの賤民(せんみん)に分けて登録をしていたのです。
良民(りょうみん):貴族や一般の民衆(公民、ほとんどが農民です)そして、税の負担がかせられました。
賤民(せんみん):家人(けにん 家族を持てた奴隷)、奴婢(ぬひ 家族を持てず、持ち主が自由に売買できた奴隷)
この戸籍に登録された6歳以上のすべての人に、性別や良賤(りょうせん)の身分に応じて口分田が与えられたのです。
各身分による口分田の広さ
良民(りょうみん)の男子には、2段(たん):約2300㎡
良民(りょうみん)の女子には、男子の三分の二の広さ
賤民(せんみん)の男子には、良民男子の三分の一の広さ
賤民(せんみん)の女子には、良民女子の三分の一の広さ
けっこう、広くありませんか。6歳の子に耕せますかね。よく、考えてみてくださいね。
ただ、人が死ぬと、国にその口分田を返す必要がありました。
この制度を「班田収授法」といいます。
国は、口分田を6歳になった人々にくばり、亡くなったら、国に口分田を返すのがこの班田収授法なのです。
戸籍を作った理由は、税を取り立てるために、班田収授をして、課税台帳をつくるため、そして、氏姓を確定したり、身分の把握をしたりするためでした。
さて、奈良時代の人々がどのように分けられていたかを表にしてみると…
男 女
3歳以下 緑子(りょくじ) 緑女(りょくじょ)
4歳~16歳 小子(しょうし) 小女(しょうじょ)
17歳~20歳 少丁(しょうてい) 次女(じじょ)
21歳~60歳 正丁(せいてい) 丁女(ていじょ)
61歳~65歳 老丁(ろうてい) 老女(ろうじょ)
66歳以上 耆老(きろう) 耆女(きじょ)
丁妻(ていさい)は、夫がいる丁女(ていじょ)のことをいいます。
奈良時代の生活の様子
貴族の食事といえば…
はすの葉で包んだご飯
干し柿などのお菓子
なす と うりの和え物
漬物
蘇(そ)チーズに似た乳製品
焼きあわび
たけのこ・ふき・菜の花のゆでもの
くるまえびの塩焼き
乾燥なまこをもどしたもの
干した たこ
生かき
鹿肉の塩辛
生しゃけ・大根・しそ
はすの実入りご飯
しょう油ににた調味料
塩
鴨・せりの汁
リストを見ただけでも豪華ですねぇ。
一般の人々の食事といえば…
玄米
塩
青菜の汁
これがメインディッシュで、煮物がつけられることもあったそうです。
このころの食事は、朝と晩の一日に二食が一般的でした。重労働をする一般の人々は、間食と呼ばれる昼食をすることもあったそうです。すべては、ふところ具合というところでしょうか。
それでは、衣服はどうだったのでしょうか。
もちろん、貴族は、絹織物で、一般の人々は、質素な服装で麻布(あさぬの)でできた着物を着ていたのです。
市(いち)は、毎日、正午に開かれていました。そして、日没前に終わり、東と西は交互に開かれ、1ヶ月を半分ずつ営業していたそうです。市(いち)では、各地の産物が売買されていましたが、地方では、自給自足の生活をしていました。
暮らし住まい
貴族は広い屋敷に住んでいました。4町もある大きな屋敷です。4町≒6万3千㎡
屋敷のほかに…
生活に必要なものをつくる作業所
使用人の住居
倉庫
がありました。
一般の人々の暮らしすまいは…
まだ、竪穴式住居に住んでいたそうです。
今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。
今回は、奈良時代の人々の身分、くらしのようすを中心にまとめました。
次回は、奈良時代の人々の負担について、まとめます。