中学社会の勉強部屋

歴史 二官八省(奈良時代の役所のしくみ)

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国(くに) : 国府(こくふ)そして国司(こくし)

 奈良時代の日本は、国々に分けられ、そこには、国府(こくふ)と呼ばれる役所が置かれました。
その各国には、国司(こくし)という役人が都(みやこ)から派遣(はけん)されたのです。それは、全国を統一支配するためした。以前にも書きましたが、当時の日本は、国際的にも外交的にも大きな国、おとなり中国のようになりたいと思っていたのでしょう。ですから、当時の中国をまねた政策を行い、律令国家として中央集権を目指したのです。
ちなみに、824年の時点で66国と2つの島がありました。それぞれの国や島に国府(こくふ)ができ、国司(こくし)が派遣され、それぞれの国の行政をつかさどったのです。

郡(ぐん)と郡司(ぐんじ)

 国(くに)のなかには、郡(ぐん)とよばれる行政区画がありました。そこには、国司(こくし)によって地方の豪族が郡司(ぐんじ)に任命され、郡(ぐん)の行政つかさどったのです。郡司(ぐんじ)は、郡(ぐん)の中の2~20里(り)と呼ばれる行政区画をつかさどっていたそうです。当時、郡(ぐん)は、全国に約600あったそうです。

里(り)と里長(りちょう)

 里(り)というのは、郡(ぐん)のなかにある小さな行政区画のことです。この里(り)も管理しないといけませんね。郡司(ぐんじ)が、各里(り)の有力な農民を里長(りちょう)に任命して、里(り)の行政をつかさどったのです。そのなかには、いわゆる各ご家庭を意味するのでしょう、戸(こ)があり、里長(りちょう)は、約50戸(こ)を管理していたといわれています。当時、里(り)は、全国に約4000あったそうです。

 余談ですが、4000の里(り)があったとすると、一つの里にいくつくらい、戸(こ)があったんでしょうね。

里(り)x 戸(こ)≒ 当時の日本の人口

ってなるような気がするんですけど、どうでしょうね。 当時の日本は、産業もなく、ほぼ全員が農民といって過言でないですから、きっと、この計算はまんざらでもないでしょう。ただ、一般的には、お米の収量からその時代の人口を割り出しているのが普通です。ちょっと、脱線しちゃいました。

さて、律令国家、ニッポンですから、天皇のもとに役所は構成されました。
天皇の下には、

御衛府(ごえふ):都(宮・京)の警備を行う
太政官(だじょうかん):政策の決定を行う最高機関です。
 太政官(だじょうかん)には…
  太政大臣、左大臣、右大臣、大納言などがいました。
神祇官(じんぎかん):祭りや神社の管理を行います。組織的なことですが、この神祇官(じんぎかん)は、太政官(だじょうかん)とならんでいますが、じつは、太政官(だじょうかん)の命令で運営されていました。

九州地方の政治、外交、防衛を行う大宰府(だざいふ)が、現在の福岡県に設けられていました。当時の九州地方は、9国と二つの島がありました。ここでいう二つの島は、壱岐(いき)と対馬(つしま)です。

これで、二官です。太政官(だじょうかん)神祇官(じんぎかん)です。

東北地方の政治や軍事を行うために多賀城(たがじょう)が現在の宮城県に設けられていました。

こうやってみてみると、畿内を中心に日本全国を統一しようという意思が見られますね。

各行政区画を結ぶ道路ができ、その道路をもって、行政区画に分け、それぞれの地域に分かれて、行政が行われたわけです。この国(くに)、郡(ぐん)、里(り)に分かれて行政を行うことを国郡里制(こくぐんりせい)といいます。

そういえば、よく「日本全国」っていいますが、奈良時代のこの状況を考えれば、ごく自然な表現だということがわかりますね。

さて、太政官(だじょうかん)には、八つの省(しょう)があります。
それぞれをみていきましょう。

1.宮内省(くないしょう):天皇や皇室の雑務を行います。
2.大蔵省(おおくらしょう):物資の管理、朝廷行事の準備を行います。もちろん、出納(すいとう)も行います。
3.刑部省(ぎょうぶしょう):裁判や刑罰、良民(りょうみん)や賤民(せんみん)の決定を行います。
4.兵部省(ひょうぶしょう):軍事、武官(ぶかん)の人事を行います。
5.民部省(みんぶしょう):戸籍(こせき)や租税(そぜい)の管理、国家財政について行います。
6.治部省(じぶしょう):貴族や僧尼(そうに)の儀式や外交事務を行います。
7.式部省(しきぶしょう):文官(ぶんかん)の人事や教育を行います。
8.中務省(なかつかさしょう):天皇の命令書の作成や国史(こくし)の編纂(へんさん)をおこないます。

これで、八省です。
二官八省がでそろいました。
こうやってみてみると、現在の日本の行政とやり方が似ていますね。

現在の日本は奈良時代にあった!

といっても、過言ではないかもしれません。

今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。

TakeTea_44
作成: 2022/01/12 (水) 16:24:06
最終更新: 2022/01/23 (日) 21:21:13
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TakeTea_44 2022/01/12 (水) 16:46:26

次回は、奈良時代の「身分と負担(税)」についてです。