中学社会の勉強部屋

歴史 飛鳥文化

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6世紀半ばのお話。

 百済(くだら)から朝廷に仏像や経典が送られたことで、日本列島に仏教が伝わりました。
仏教は、実は、日本列島では、外来宗教だったのです。仏教が日本列島に伝わるまでは、自然の神々を信じて、素朴な死後の世界を考えていた人々が大半でした。そして、その日本列島の人々は、体系的で壮大な仏教の教えに圧倒され、

・祖先の死後の世界での幸福を求める
・病気の回復をいのる手段

これらを基本にだんだんと仏教を信じるようになった日本列島の人々でした。
古墳時代とも言われていた時代を経て、古墳が権威を示すバロメーターでしたが、このころは、だんだんと寺をつくることで、権威を示そうとする豪族たちもあらわれました。

 蘇我氏(そがし)は、聖徳太子とともに仏教を広めようとしていました。
大王(だいおう)がいた飛鳥地方(あすかちほう、現在の奈良盆地南部)を中心にして、日本で最初の仏教文化が栄えたのです。

これを飛鳥文化とよんでいます。
聖徳太子の時代に栄えたことも飛鳥文化の特徴です。
法隆寺(ほうりゅうじ)の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)は飛鳥文化の代表作です。
607年に聖徳太子(しょうとくたいし)と推古天皇(すいこてんのう)が完成させたのが、奈良県にある法隆寺(ほうりゅうじ)。670年には、火事で焼失しましたが、再建されたものが当時の姿を残しているといわれています。
現存している木造の建築物として、最古の法隆寺(ほうりゅうじ)。この法隆寺(ほうりゅうじ)の建築様式や文様などは、中国や西アジアの影響が見られ、おもに朝鮮半島からの渡来人(とらいじん)の子孫によって作られました。

法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂(こんどう)の組物(くみもの)は、中国の南北朝時代の影響を受けたものは、
・卍崩し
・人字形割束(にんじがたわりづか)
・雲斗(くもと)
・雲形肘木(くもがたひじき)

法隆寺(ほうりゅうじ)の七不思議
次のような不思議なことが江戸時代ころから、起こるといわれるようになったことは、

・クモが巣をかけない。
・鯛石とよばれる大きな石が南大門の前にある。どんな洪水でも、ここで水が止まり、踏むと水難に遭わないといいます。
・五重塔の上には鎌がささっている。鎌が上ると豊作で、下がると凶作になるそうです。
・不思議な伏蔵(ふくぞう)がある。境内の参道と、経蔵 、金堂の地下に莫大な財宝が隠されているといいます。
・目が一つの蛙(かえる)がいる。池は塀の中で入れないので、確認は、出来ていません。
・夢殿(ゆめどの)内の礼盤(らいばん)の下が汗をかいている。
・雨だれの穴があかない。

どうです。不思議な法隆寺(ほうりゅうじ)なのです。

よく似ている…
アジャンタ石窟(せっくつ)の壁画(5~6世紀)と法隆寺金堂(ほうりゅうじこんどう)の壁画(7~8世紀)
朝鮮半島(新羅:しらぎ)の弥勒菩薩象(みろくぼさつぞう:7世紀初め 高さ93.5cm 金銅像)と広隆寺(こうりゅうじ)の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう:7世紀前半 高さ84.2cm 木像)
中国竜門(りゅうもん)の石仏(せきぶつ 5~6世紀)と法隆寺金堂の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう 7世紀)

似ている仏像の作られた年代から、これらの技術が大陸から日本に伝わったことがわかると思います。

今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。

TakeTea_44
作成: 2021/07/06 (火) 12:32:08
最終更新: 2021/07/06 (火) 12:43:40
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TakeTea_44 2021/07/06 (火) 12:48:43

次回は、系図の見方についてです。