中学社会の勉強部屋

歴史 渡来人

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前回、書いたように朝鮮半島の諸国との交流から、日本列島に移り住む一族が増えました。
こうした人たちを渡来人と呼んでいます。

それだけ、当時は、朝鮮半島と日本列島の交流は盛んだったのです。

こうした渡来人は、鉄製の農具をはじめ、次のような技術を広めたのです。

・農業用の大きなため池を作る技術
・須恵器(すえき:高温で焼き上げるかたく黒っぽい土器)の技術
・上質の絹織物をつくる技術

技術だけではなく、

・漢字
・儒学(じゅがく)
・仏教(6世紀半ばのことでした)

渡来人が伝えたのです。

そして、朝廷の記録や外国への手紙の作成、財政面や政治面でも活躍した渡来人なのです。

須恵器について
あながまという釜で、高温の空気を出せるので、硬い土器である須恵器ができました。
この須恵器は、水を入れても漏れにくい上等な土器だったのです。

建築技術について
礎石(そせき)の上に柱を立てる建築方式も渡来人が伝えました。
掘立柱(ほったてばしら)に比べ、柱が直接、土に触れないため、腐りにくくて長持ちして、瓦(かわら)の重さにも耐える頑丈なつくりができる建築技術を伝えました。法隆寺にその建築技術が見られます、ぜひ、写真で確認してみましょう。もし、旅行する機会があったら、見て確かめてくだださいね。この法隆寺は、世界遺産に指定され、国宝でもあります。

大和政権(王権)は、渡来人を次のように組織化しました。

陶作部(すえつくりべ):須恵器をつくる部署
韓鍛冶部(からかぬちべ):鉄などの金属を加工する部署
錦織部(にしごりべ):絹織物(きぬおりもの)をつくる部署
鞍作部(くらつくりべ):鞍(くら)などの馬具をつくる部署
史部(ふひとべ):記録をする部署
画部(えかきべ):絵を描く部署

渡来人は、そのほかにも、漢字、墨(すみ)、暦(こよみ)、絵の具も広めたのです。
とっても、日本列島に貢献した渡来人だったのです。

今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。

TakeTea_44
作成: 2021/06/27 (日) 05:59:22
最終更新: 2021/06/27 (日) 20:56:10
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TakeTea_44 2021/06/27 (日) 06:31:27

次回は、「聖徳太子がめざした政治」についてです。