古墳の多くは、表面に石がしきつめられ、いろいろな埴輪(はにわ)も置かれていました。
埴輪(はにわ)のかたちはさまざまで、たとえば、円筒形のもの、武人の形をしたもの、人物の形をしたもの、家の形をしたもの、馬の形をしたものなどがあります。
古墳内部の石室(せきしつ)や死者をおさめた棺(かん)には、副葬品(ふくそうひん)とよばれるものがおさめられていました。
はじめのうちは…
銅鏡(どうきょう)、玉(たま)、銅剣(どうけん)、耳かざり、まが玉(たま)などの祭りの道具とされるものがおさめられていました。
のちには…
かんむり、馬具(ばぐ)、鉄製の武器(太刀や鉄製のかぶとやよろい)や農具などがおさめられるようになりました。
さて、当時の人々は、太陽神(たいようしん)や、水を支配するへびの神、稲作に関係する自然の神々、一族を守る神を信仰していました。古墳の石室の壁に絵が描かれていることもあり、たとえば、福岡県の珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)の石室の壁には、船のへさきにとまっている鳥が描かれ、それは死者の魂を導いていると考えられています。
また、神話がまとめられ、その内容からも死後の世界についての考え方を知ることができるそうです。こうやってのちにでてくる「古事記(こじき)」「日本書紀(にほんしょき)」「風土記(ふどき)」などが奈良時代に編纂(へんさん)され、国のおこりや大和政権の王たちについての神話や伝承(でんしょう、いいつたえ)も、形づけられていったのです。
今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。
次は、その当時の中国・朝鮮半島と日本の関係です。
テーマがちょっと、長いのですが、気にしない!
ちょっと、
次回のテーマを「大王の時代の中国・朝鮮半島・日本」
にします。
いつの時代か明確になっていたほうがよいかと思って、変更しました。
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