中学社会の勉強部屋

歴史 大和政権

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大和政権はどのような発展をしたのでしょうか。
何回かに分けて考えていきましょう。

3世紀後半のお話です。
3世紀後半を西暦でいえば、250年以降の話ということです。
覚えていない人は、年表を見て確認をするとよいでしょう。
ちょっと、復習です。

奈良盆地を中心とする地域に、王を中心として、近畿地方の有力な豪族が支える強力な勢力集団である
大和政権(やまとせいけん)」が誕生しました。その地域には、大きな古墳(こふん)が作られました。
その大きな古墳(こふん)には、王や豪族が葬(ほうむ)られました。

大和政権の勢力は拡大していき、このような大きな古墳(こふん)は、前方後円墳が有名ですが、さまざまな形をした古墳(こふん)が全国各地にちらばる豪族によって、作られようになったのです。

古墳がさかんに作られた6世紀末ごろまでを「古墳時代」とよんでいます。

大仙古墳(だいせんこふん)
または、仁徳陵古墳(にんとくりょうこふん)、伝仁徳陵古墳(でんにんとくりょうこふん)

 大阪府にあります。5世紀に作られた古墳で、近畿地方の豪族の連合政権である大和政権(やまとせいけん)または、王権(おうけん)の墓といわれています。
周囲の長さは、2718m。全長が486m。幅が305m。面積が46万平方メートル。
日本最大の古墳です。面積では、世界最大の古墳だそうです。

 この大仙古墳、現在は緑の木々に囲まれていますが、この古墳が作られた当時は、白灰色の墓石が約540万個敷き詰められていました。そして、約1万5千個の埴輪(はにわ)によって周囲が取り囲まれていたそうです。

 この古墳、1980年代以降、韓国でも前方後円墳の発見が相次ぎました。このことから、日本の前方後円墳の起源は朝鮮半島にあったと考えられましたが、日本の古墳よりも比較的新しいこと、主に九州地方で見られる石室やそれに類似するものが韓国の古墳に見られることから、韓国の古墳が、日本の古墳の影響を受けたのではないかと考えられています。

 日本の前方後円墳の大きさは100m以上のものが多いのですが、韓国のものはそれよりも小規模なものが多いようです。

 有名な古墳としては、稲荷山古墳(いなりやまこふん)、五色塚古墳(ごしきづかこふん)、大仙古墳(だいせんこふん)、造山古墳(つくりやまこふん)、森将軍塚古墳(もりしょうぐんづかこふん)があります。

森将軍塚古墳(もりしょうぐんづかこふん)は、丘陵(きゅうりょう)地形を利用して支配していた地域を見下ろせるようなところにあります。そして、ややゆがんだ前方後円墳になっています。この古墳の上には、さまざまな形の埴輪(はにわ)が並べられていたのです。

この時期の古墳の日本の分布は、関東地方、近畿地方、そして、九州地方の一部に集中しているようでした。

古墳の形状の種類ですが…

オーソドックスな前方後円墳。
前方中円墳。
前方後方墳。
帆立貝式古墳(ほたてかいしきこふん)。
円墳(えんふん)。
上円下方墳(じょうえんかほうふん)。
方墳(ほうふん)。
といろいろな形状の古墳があります。

全長の長さ ベスト5」は、
1位が、大阪府にある大仙古墳(だいせんこふん)の486m。
2位が、やはり、大阪府にある誉田山古墳(こんだやまこふん)の420m。
3位が、大阪府にある陵山古墳(みささぎやまこふん)の365m。
4位が、岡山県にある造山古墳(つくりやまこふん)の360m。
5位が、大阪府にある河内大塚山古墳(かわちおおつかやまこふん)の335m。

今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。

TakeTea_44
作成: 2021/06/22 (火) 22:59:08
最終更新: 2021/06/24 (木) 12:09:58
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TakeTea_44 2021/06/22 (火) 22:59:47

次回は、「古墳文化」についてです。