中学社会の勉強部屋

歴史 邪馬台国(やまたいこく)

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3世紀の中国のお話。
各国の位置関係は、その頃の地図を見て確認しておきましょう。
さて、後漢がほろびてしまい、魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉(ご)の三つの国に分かれて争いが絶えませんでした。ここの時代を三国時代といいます。

 このころ、日本では、邪馬台国(やまたいこく)という国があって、魏(ぎ)に朝貢(ちょうこう)をしていました。この朝貢(ちょうこう)というのは、中国の周辺諸国が、中国の皇帝に貢ぎ物(みつぎもの)を送ることです。その代わりに国王の地位を認めてもらう関係を保とうしていたのです。倭の那国や邪馬台国の王に与えられた金印は、国王が皇帝にあてた文書に封(ふう)をするために用いるものでした。

魏志倭人伝(ぎしわじんでん 魏(ぎ)の歴史をしるした三国志魏書(さんごくしぎしょ)の倭人伝の部分)に
邪馬台国(やまたいこく)の女王である卑弥呼(ひみこ)は、倭(わ)の30あまりの小さな国々を従えていたことやその国々では、身分の差があったこと、卑弥呼(ひみこ)が魏(ぎ)の都に使いを送ったところ、

皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」という称号を与えられ、金印も授けられ、銅鏡100枚など、たくさんの贈り物を受けたことが記されていました。

この卑弥呼(ひみこ)は、呪術(じゅじゅつ)を用いて政治を行っていたといわれています。

その「魏志(ぎし)」倭人伝(わじんでん)によると…

倭(わ)は島に国をつくって、30カ国が使節を送っていました。
元々、男の王が国を治めていたが、70年から80年、経過したとき、戦乱の世になり、なかなか収まらなかったのです。
混乱の世の中を治めるために女性である卑弥呼(ひみこ)を王としたのです。
卑弥呼(ひみこ)は、鬼道(きどう おまじない)をして、人々を治め、その弟が卑弥呼(ひみこ)を助けながら国を治めたのです。王になった卑弥呼(ひみこ)のことを見たことのある人は、ほとんどいませんでした。千人の女性の奴隷に、宮殿には、物見やぐらや柵が作られて、兵士が守っていました。

卑弥呼(ひみこ)が死んだときには、直径100歩はある大きな墓が作られ、百人の奴隷と一緒に埋められたそうです。
そして、卑弥呼(ひみこ)の死後、男が王になりましたが、国中が混乱し、服従することがなくなってしまったので、卑弥呼(ひみこ)の血を引いている13歳の少女である壱与(いよ)を王としました。そうすると、国がうまく治まることができたそうです。

 この「魏志(ぎし)」倭人伝(わじんでん)には、朝鮮半島から邪馬台国(やまたいこく)までの方角や距離が書かれています。一つの解釈では、九州の南の海上になり、おかしなことになってしまいます。もう少し詳しく史料を読み進めていくと、どうも近畿地方か九州地方にあったのではないかと考えられています。ちなみに…

近畿地方に邪馬台国があるとする説を 畿内説(きないせつ)
九州地方に邪馬台国があるとする説を 九州説といっています。

ところで、卑弥呼(ひみこ)の宮殿はどこだったのでしょうか。

 2009年に奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)は、3世紀前半の大規模な建物跡が見つかりました。
宗教にかかわる施設、ほかの地域の土器も見つかっています。つまり、この遺跡には、権力者がいたことを者がっているのです。この地域は、古い前方後円墳が集まる場所で、邪馬台国と大和政権の関係を知る上で重要な遺跡だと考えられています。この纏向遺跡(まきむくいせき)は、吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)によりも大きく、日本で発見されているこの時期の建物としては、最大規模とされています。大きさは東西に12.7メートル。南北に12.3メートル。高さは約10メートルです。纏向遺跡(まきむくいせき)には、箸墓古墳(はしはかこふん)などの古墳が集中していいて、宗教に関する遺物やほかの地域の土器なども出土しているので、大和政権につながる政権の宮殿だったと考えられています。

箸墓古墳(はしはかこふん):奈良県桜井市箸中にある古墳です。あの有名な前方後円墳です。どなたが埋葬されているかは、不明ですが、宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇(こうれいてんのう)皇女(孝霊天皇の娘)の倭迹迹日百襲姫命(やまと ととび もも そひめ の みこと)の墓とされています。いろいろな研究から、この箸墓古墳(はしはかこふん)は、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)の墓ではないかとする学説もあるのです。

卑弥呼(ひみこ)の宮殿は、このあたりだったのでしょうか。まだ、謎に包まれたままなのです。

話はつきませんが…
今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。

TakeTea_44
作成: 2021/06/16 (水) 19:25:26
最終更新: 2021/06/16 (水) 19:34:35
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1
TakeTea_44 2021/06/16 (水) 19:26:14

次回は、「大和政権」についてです。

2
TakeTea_44 2021/06/16 (水) 19:54:14

ここまで、順番に読んだ人は、稲作が日本列島に伝わり、どのような社会に変化したのかを
「戦争」「小さな国」「王」
この三つの言葉を使って説明してみましょう。