中学社会の勉強部屋

歴史 日本列島が誕生しました。

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 実は2万年前、日本は、列島ではなく、大陸と地続きでした。
衝撃的な事実…ではもう、ないですね。
そうなんです。実は、大陸と日本列島だったところは行き来が自由でした。
大陸と地続きの時代は、ちょうど「旧石器時代」にあたります。
そう、打製石器を使用していた時代です。
狩りや採集による生活をして、簡単な小屋を建てたり、洞窟や岩陰に住んでいたりしていました。
いたって簡単な住居でシンプルな生活だったと思います。
ただ、その頃の動物は大きかったので、命を守ることに必死だったかも知れません。

ちょうど、日本列島が形成される少し前のこと、
紀元前1万年ころ、
縄文土器磨製石器を使用する時代、そう、「新石器時代」となります。

そして、今のように日本列島になったのは、紀元前8000年ころのことです。

旧石器時代の生活は前述にもありますが…
 竪穴住居に住み、土偶が作られ、抜歯(ばっし)や屈葬(くっそう)がおこなれていました。
人々は集まって住むようになり、集落ができ、そのそばには貝塚ができたのです。
この貝塚は、いまでいうゴミ捨て場です。

順を追ってみてみると…
氷河時代が約一万年前まで続いていました。
このころの海面は、今の海面よりも120mは低かったといわれています。
この氷河時代には海は凍っていました。
あれ、って思いませんか?
水の三態変化による体積の変化は…

水 < 氷 < 空気

ですよね。ということは、凍りついた海面って盛り上がっていたような気がするんですけど。
教科書には、「海面がいまより100m以上も低く…」と表現されています。なぜでしょうね。考えてみるといいです。

さて、話は元に戻り、この時代の地続きだった日本列島には大きな動物たちも大陸からやってきていました。
マンモス、ナウマン象、オオツノシカ、野牛。

マンモス
 肩までの高さが3m。牙(きば)の長さが3~4m。体は約80cmの長い毛で覆われていました。いまのつるつるな象とはだいぶ違いますね。

ナウマン象
 肩までの高さが2~3m。牙(きば)の長さが2m以上。頭にでっぱりがあるのが特徴です。

オオツノシカ
 肩までの高さが約1.7m。角(つの)の左右の長さは、約3.7m。

ヒト
身長150cm。ちいさいですね。この150cmの身長は、港川人(みなとがわじん)の推定身長です。港川人(みなとがわじん)は、1970年に沖縄沖縄県具志頭村(ぐしかみそん または ぐしちゃん:現在の 八重瀬町(やえせちょう) )の採石場で発見された数体分の化石人骨から、このように身長を推定したのです。

この港川人(みなとがわじん)は、日本列島出土の更新世(こうしんせい)の人類化石のなかで,最も完全に近いものです。男性が約155cm,女性が約144cmといわれています。あなたの身長と比べてどうでしょうか。

ちなみにこの「更新世(こうしんせい)」というのは、
地質年代の最後の新生代の第四紀前半をさし、約250万年前から約1万年前までにあたります。
じつは、この初期に猿人が出現し,末期の新人まで進化したのです。
いわゆる氷河 (ひようが) 時代にあたり,4つの氷河期と3つの間氷期を繰り返したのです。

このころの生活
 大きな動物が日本列島まで移動すると、人々もその動物を追いかけて移り住んでいきます。そう、日本に移り住んだ人たちは、あの遊牧民族のような生活をしていたわけです。この大きな動物を捕らえたり、植物を採集して生活をしていました。ちなみに倒した獲物の肉は食料になりますが、骨は道具するために利用していたそうです。

 そのうち人々は10人前後の集団を作るようになりました。住居といえば、簡単な草ぶきの小屋や岩かげでした。
獲物である動物を追いかける移動の多い生活だったようです。

 このころ、火の使用もあり、調理の幅も広がったことでしょう。

 遠くの地域との交流もあり、ものの流通もあったようです。

 最後の氷期(ひょうき)が終わったとき、氷が解けて海面が上昇します。海面が上昇すれば、大陸と地続きであったところが水没し、日本列島が誕生したのです。

 どうですか。本当は、地続きで大陸の一部だった日本、いまは、島国根性!って叫んでますけど、ね。

 それから、日本には旧石器時代がないとするのが定説でしたが、相沢忠洋(あいざわ ただひろ)さんが、岩宿遺跡で石器の破片をみつけたことにより、「旧石器時代」があったことが証明されたのです。

 相沢忠洋さんは、納豆の行商をしながら遺跡を調べて、1946年、彼が20歳のときにこの大発見をします。ところが、地質調査をした研究員の間でも年代の意見の相違があったり、日本には旧石器時代は存在しなかったという定説があったため、すぐには認められず、3年の月日を要したのです。この岩宿遺跡は、関東ローム層で更新世(こうしんせい)に堆積した赤褐色の火山灰層です。この火山灰層からは、遺物が発見されることはないというのが定説だったので、なおさら、相沢さんの発見は、当時、受け入れがたいものだったのです。20歳の発見が日本をゆるがせました。みなさんは、20歳のとき、どんなことをしているのでしょう。

今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。

TakeTea_44
作成: 2021/05/27 (木) 20:59:11
最終更新: 2021/05/27 (木) 21:42:10
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1
TakeTea_44 2021/05/27 (木) 21:00:04

次回は「縄文文化」についてです。

2
TakeTea_44 2021/05/27 (木) 21:01:49

教科書には簡単にしか書かれてありませんが、読み込んでいくと、さまざまなことが隠されています。
その隠された内容を調べるのが、勉強なのです。
実は、推理小説を読み進め、難解な事件を解決する作業が、「勉強」というものです。

3
TakeTea_44 2021/05/27 (木) 21:02:47

わからないから、眠くなる。
そのとおり!
大切なことは、

わからないことは、わかるまで調べる!

それが、勉強なのです。