パレスチナ地方はローマ帝国に支配されていました。
この地方では、ユダヤ教という一神教が信仰されていました。
そのとき、イエスは青年でしたが、形式的な面を重視するユダヤ教を批判し、
神の愛と隣人愛を説いたのです。
イエスは、神の国の出現を予言します。
ところが、ローマ帝国に対する反逆の罪として、
紀元30年ごろに処刑されてしまったのです。
その後、イエスの言葉は、
「救世主(キリスト)の教え」として、弟子により伝えられていきます。
キリスト教は、聖書を経典としています。
十字架をイエスの処刑の象徴として、
「父なる神 子なるイエス 聖霊(せいれい)」の三位一体(さんみいったい)を説いて、
ヨーロッパ中にキリスト教は広がりました。
古代の地中海地域 ⇒ ヨーロッパ
古代の地中海地域からヨーロッパの地域に、
ギリシャ、ローマの文明
キリスト教
が尊い遺産となったのです。
多様な文化を持つヨーロッパの小さな国々を結びつけたのがキリスト教。
教会の頂点に立ったのが、ローマ教皇(法王)です。
信仰心のある人々は、聖地とされるところ、エルサレムへの巡礼の旅も盛んに行われるようになったのです。
イエスの生涯
紀元前4世紀から紀元30年ころまで。
イエスが生まれたころのローマ帝国は、重税を人々に課し、しかも、飢饉(ききん)などによる不作も重なり
人々のローマ帝国に対する不満は高まっていました。
そんなときに生まれたのが、イエス。
12月25日、ベツヘレム(パレスチナ)の馬小屋で、母 マリアから生まれました。
30歳ころ、イエスはヨルダン川で洗礼を受けて、弟子たちと布教活動を行ったのです。
その後、ユダヤの王を語った罪で十字架にかけられ、その前夜、弟子たちと最後の晩餐(ばんさん)をとったのです。
イエスの死後、3日目に救世主(キリスト)として復活したのです。
デンマークの国旗
ちなみにデンマークの国旗の十字(じゅうじ)は、十字軍が由来とされています。
カタコンペ
カタコンペとは、キリスト教の地下墓地のことです。
キリスト教がローマ帝国から迫害を受けたとき、この地下墓地を礼拝所としたのです。
迫害の歴史は、人々の信仰心をあおり、ますますキリスト教は広まっていきました。
そして、ついに
392年 ローマ帝国の国教(こっきょう)となったのです。
その3年後、
395年 ローマ帝国が東西に分裂したとき、キリスト教も東西での対立が起こります。
11世紀には、カトリック教会 vs 正教会(ギリシャ正教)の構図が出来上がり、分裂してしまいます。
まだまだ、キリスト教のお話は尽きないですが、ここではこのあたりまでにしておきます。
学習するときには、
・16世紀の宗教改革
・17世紀ころの日本におけるキリスト教の歴史(キリスト教の禁止、宗門改)
で、また、キリスト教のことを学ぶことになります。
実際、キリスト教とはいえ、三位一体説に諸説があるので、よく考えてみると面白いです。
「父なる神 子なるイエス 聖霊(せいれい)」
父 = 神
子 = イエス
だとすると、
父から生まれた子は、神?ってなります。
つまり、
父 = 神
子 = イエス = 神
でも、イエスは、人から生まれたとするのが一般的で神ではないとする考え方もあるのです。
似たような考え方は、日本にもありますよね。
あまり、詳しく書いていると、何を勉強したらよくわからなくなってしまうので、
この辺でやめておきましょう。
今日は、この辺でおしまいにしましょう。次回まで、さようなら。