中学社会の勉強部屋

歴史 エジプト文明

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今回からは、アフリカ、アジアを中心に発展した文明について
勉強します。
 言葉の問題ですが、文明と文化の違いってなんでしょうか。
文明は、物質的なもの(都市、建築物など)
文化は、精神的なもの(生活習慣など)
と覚えておくとよいでしょう。

さて、文明は、大河のほとりに発展しました。
なぜ、文明は大河のほとりに発展したのでしょうか。
ちょっと、考えると…
氾濫して、被害が多そうではありませんか。
はい、じつは、川が氾濫すると、肥沃な土地が河川敷一体に堆積し、
土地が肥沃になり、農耕が簡単にできるようになったり、
飲料水を簡単に得られるなど
人間の生活に欠かせない生活・農耕の基本条件がそろっていたから、
度重なる氾濫にもめげず、人々は移り住み、人口が増え、文明が築き上げられたのです。

もちろん、地形は平なところ、そう、平地が選ばれました。
だれも、山奥に住みたいって言う人はいませんよね。

さて、それでは、エジプトから見ていくことにしましょう。

紀元前3000年までは、
ナイル川は、よく夏に氾濫(はんらん)していました。
そのあとにたまった肥沃な土を利用した
農耕が発達したのです。
そのころ、この地域には、小さな国がたくさんできました。
生活ができ便利になると自然と人が集まりますから
小さな国がこの地域でたくさんでき始めたのです。
そして、その国々が統一されていったのです。
強い国が弱い国を吸収して、より大きな勢力になっていったのです。
つまり…
小さな集団は大きな集団に統合され国が形成されていったのです。

エジプトといえば、ピラミッド。
それは、その国々の国王の墓であるピラミッドです。
それがつくられるようになったのもこのころです。

ナイル川の氾濫(はんらん)は、恵みももたらしますが、
被害ももたらせたのです。
そのため、氾濫(はんらん)する時期を予測すれば、
被害も最小限に食い止められると考えました。
そして、
このエジプトの人たちは、星と関係がありそうだと気づき、
天文学』が発達していったのです。
その結果できたのが
太陽暦』。
簡単に説明すれば、太陽中心の暦です。
人が集まれば、コミュニケーション能力を高める必要もでてきます。
そこで、文字の発明もされました。
この地域では、象形文字(ヒエログリフ)が発明されたのです。

いままでのことをまとめると…

エジプト文明は、
時期:紀元前3000年ころ
地域:ナイル川周辺
大河の氾濫(はんらん)→ 農耕の発達 → 天文学の発達 → 太陽暦
文字の使用:象形文字(ヒエログリフ)

いかがでしたか。
今回は、ここまでにしましょう。次回まで、さようなら。

TakeTea_44
作成: 2019/10/10 (木) 17:53:14
最終更新: 2021/06/16 (水) 20:34:02
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