★喧嘩板における口喧嘩の定義
2012年か2013年か2014年くらいに俺が綴った文章が迷子なので、今一度ここに残そうと思う。
先ず。
けんか
【喧嘩】
《名・ス自》(ことばや暴力による)争い。いさかい。
ここに書いてあることは、つまり。
争うこと、だけだ。何かしらの手段である。
目的かもしれない。喧嘩をしたい、なら、それは目的だ。目的であるが、手段も喧嘩であるため、手段と目的が同じである。
喧嘩したいから喧嘩するということだ。
しかし、殆ど、喧嘩は手段でしかないから。
喧嘩がしたいだけ、でなく、何か目的が必要である、と考えたい。
喧嘩をして得るものは何か。
それは本やテレビでいいのでは。対話がほしいなら、議論でいいのでは。
喧嘩は争うわけだから、自分が正しいと主張していくものであり
本来、相手の主張というのは、忌むべきのはずだ。
知りたい、などとは喧嘩とは真逆の発想だ。
一理ある。勝てるのであれば。それが実現できるのならば。
しかし、負けた時、むしろストレスを溜めているのでは?
勝ったとしても、その過程でストレスを溜めていたら意味がない。
本当にストレスを発散できていると胸を張って言える人は、事実そうなのだろう。
しかし、そうでない人。無理にこれを目的とするな。そして、喧嘩はやめた方がいいだろう。
上に同じである。しかしこれは、かなりタイムリーにそんなことを言っている人がいた。
その彼のネットの評価は、目を覆いたくなるようなものであったが…。
本当に優越感に浸ることができているのか、今一度考えてほしい。
表現の自由というが、それはあってないようなものだ。
Twitterを規制されるとき、
上司にイラついたとき、
電車のイスで酔っぱらいが横になってるとき、
思うはずだ。本当に表現の自由があるなら、こんな不自由は絶対しないのに、と。
思ったことなんて言えないのである。
そんな、世界と一線を画するのは、
喧嘩板…喧嘩サイトだけである。
そとれびぎんゆぬむ