アナルの話には興味ないから、保留にしてたこっちの話の続きさせてもらうよ。
まず一番最初に思ったことは、「読み手の知性」または「読み手の知性」に合わせる所作に甲乙つけられるか?という問題。
たとえばピカソの絵を見ても芸術の予備知識がない人からすれば何がどうすごいのか紐解けなかったりすると思うんだけど、それとは逆に、読み手の知性に合わせて「140文字以内で収められた秀逸な文章」としてたくさんの人の共感を誘うことってあると思うのよ。
それって文学オタクじゃなくても「いいね」って共通の認識を持ってる人が多い、つまりバズってるってことは事実なわけじゃん。
それは「優れてる」とは言えないのか?
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おいやめろアナルに興味ないなんて言ったら白鳥さまがお怒りになるぞ
俺の二の舞になってもいいってのかよ!手遅れになる前に訂正したほうがいいぜ・・・?
これは尺度による。
基本的に、「バズってる」ってのは文章の性質(良さ)を共有しているというより偶然の一致だと俺は思ってる。
ある140文字の羅列を見たときに、膨大な内容を限られた文字数に凝縮している技量に対してイイネする人もいれば、パンチラインに感動してイイネする人もいるわけよな。
前者はある種のオタクなので、その文章がいかに良いかを共有する(予備知識との適合性を確認する)ことは比較的容易だろうけど、後者はイイネという結論が偶然一致しただけなので、そこには調和がない。
さらに言えば「無理して140文字に拘らなくていいぞ、もっと分かりやすく書くべき」なんて思うやつもいるだろう。
結果論とはいえバズってるからにはどこかに優れた部分は備わってるんだろうけど、「良い文章とは〇〇だ!」って結論を模索する時の参考にはならないと思う。
例外となるのは「大体の人に備わってる予備知識だけで価値を判断できる文章」くらいだ。