ネット上ならわかるがリアルで「お前、偽善者だな」とか言ってる人は見たことがない
みんな偽善者だからうわべを繕ってるんだろうね。
自然なことだよ。
そもそも偽善者って自分を卑下するときに使う言葉であるべきで人に対して使っていいような言葉じゃない
人に対して使っていいかどうかを勝手な価値観で決めてる偽善者だね。
「いじめはいじめられる側が悪い」なんてことを考えるのはいじめられた側だけで十分
とか言いつつ
いじめた側や無関係な第三者は絶対にそんな言葉を吐いてはいけない
と、無関係な第三者のお前が言及してる時点で同じ穴の狢、つまり偽善者だね。
「金が全てじゃない」って言うのは金持ってる人間が辿り着く発想であって、誰から見ても不幸そうな貧乏人が自分の身を顧みずに呟くようなことじゃない。
これも偽善だね。
他人への誹謗中傷なんて要らない。
中には「単なる誹謗中傷ではないもの」や「意味のある誹謗中傷」もあるのでは?
一概に何もかも決定してしまっているその姿勢は全体的に偽善だね。
その生意気で小賢しいだけの語彙力は自分を律するために使えばいい。
そもそも「偽善である」と指摘することが「悪」に直結するとは限らない。
リアルでも「偽善者だ」という表現はしないかもしれないが、「うわべを繕って本心を言わないこと」が問題視されるケースは、学校でも仕事でも恋愛でもあるんじゃない?
全体的に痒いところにまったく手が届いてない文章だなと思いました。
これだけだとあんまりなので、肯定的な意見も載せておきます。
本心ではない
これは「偽善」の「偽」にあたる部分。
しかし「優しい嘘」という例外もあるのでは。
一概に本心ではないという事象だけを取り上げて咎めることには違和感を抱く。
さらに言うなら「本心」をすべて曝け出す必要もないと思う。
だってそれが「正しい」とは限らないから。
「本心」が「正しくないもの」であったとき、それを表に出せば批判を受けるリスクがある。
そういう人はむしろ「隠す」べき。
自分を守るために。
人間は動物と違って「我慢」という素晴らしい能力を持っている。
「ありのまま」の自分(本心)が自分以外に受け入れられない側面があることに自覚的な場合は、本心を出さなくていい。
どうしても本心を出して自由奔放に生きたいのであれば、「本心を変える」しかない。
方法はもうひとつある。うわべを繕う
つまり演出。
他人に受け入れられる努力をするということ。
ただしこの手段が悪用されたとき、はじめて「偽善」と言えるのかもしれない。