なごむ
(っ ' ᵕ ' c) fuwafuwa
2020/05/18 (月) 16:35:30
芥川龍之介の小説に、『黄粱夢』という話があります。
これは、盧生という人物が夢の中で、自分の一生を経験するという「邯鄲の枕」から題材をとった物語です。
その小説の最後の方に、こう書かれています。
「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」
ここが夢だとしても現実だとしても、自分が生きたと言えるほど生きれば、それでいいんじゃないですか?
死んだあとのことなんて死んだ人にしか分からないんですから、杞憂だと思いますよ。
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生きたというのは言えると思います。
例え夢の中だとしても生きているような感覚はあるのですから。
死にたくないから死んだあとを考えるんですよ。死んだあとに希望があるのならこれについて悩んでいる人にとったら気持ちが軽くなると思うんですよね。
因みに私の言う希望はその先も生きているような感覚などのことです。
君には我思うゆえに我ありという言葉を教えてあげますからこれを以て自己解決しなさい。
しかし他の人の意見を見ても思考停止ばかりなんじゃないですか。