俺は幼少期、いじめたことも、いじめられたこともある。
その経験から言わせてもらうと、いじめってのはやはり気に入らない人物に対して行われるもの。
外見や素行など、他人とは違うという部分が運悪くピックアップされて複数人でそれが共有されてしまうと、どうしてもその点についていじりたくなる。
そして、いつしかそれがいじめとなる。
逆に、いじめから抜け出す方法は、その環境から逃げ出すか、大人に庇ってもらうしかない。
いじめという強烈な集団意識は、ちょっとやそっとの対抗では反発できない。
ところが、大人の世界でもいじめは存在する。
俗に言うパワハラやモラハラ、セクハラその他。
「キミ、高学歴なのにそんなこともわからないのかネ?」
「◯◯くんって常識ないよね。わかる?ジョウシキ」
「要領悪いし他の人に任せるからもういい」
「同期で入ったアイツはこれだけできてるのに、どうしてお前はできないんだ?帰って仕事の勉強してるか?」
「自分はこんなとこで終わる人間じゃないって顔してるが、能書きばかり垂れ流して行動しないのがお前の悪いとこだぞ。だから後輩に舐められるんだ。悔しくないのか?」
などなどいろんな圧力をかけてくるかもしれないが、言い方はともかくとして糧にすることはできるんじゃないかな?
ここで子供の話に戻そう。
俺は小学生のとき、競泳でそこそこ早かったので特待生コースにいたが、そこは選りすぐりのエリートが集う環境で、当時の俺は一番タイムが遅かった。
つまり能力的に劣っている、というのが理由でいじめられ始めた。
誰にも認められた気がしなかった。
他の子の素っ気無い態度、練習中に足を引っ張られるイタズラ、遅いのを理由に笑われたりもした。
今思うと、まったく大したことではない。
それでも俺は練習に行くのが嫌になったし、最初は負けじと頑張ってたけど、最後は耐えかねて辞めたよ。
とても辛かったし、涙も流した。
が、子供たちがいくら悪意に満ちて当時の俺をいじめていたとしても、彼らは何も間違ってなかった。
そう、俺は能力的に劣っていたからだ。
競泳においては泳ぐのが早ければいい。
それ以外は必要ない。
泳ぐのが遅い、そんな奴は競泳をやるべきではない。
もちろん並の小学生よりはずっと早かったよ、それでもそいつらには勝てなかった。事実だ。
劣っている、負けている奴に発言権はない。
幼くして俺はそれを学んだ。
とてもいい経験だ。
他人をいじめようと粗探しから放たれた鋭利な言葉、それは場合によっては正確な批判ポイント、つまり自分に不足している部分を教えてくれる貴重な意見となる。
よっていじめかどうかはさほど関係なく、そこから何を学ぶか、プラスにできるかということが重要じゃないかな?と思います。
ちなみに学校でいじめていた子とは途中で和解した。
そのせいで俺もハブられたりしたこともあったがまったく気にしなかった。
俺はいじめ反対など言うつもりは毛頭ない。
どんどんいじめられて、どんどんいじめればいいと思ってるよ。