この場合の「誰でもできる」は実際に誰でも出来るという意味ではない。
日本語を話せない外国人やアルツハイマーの高齢者、全身麻痺の病人や幼稚園児、あと霧雨もコンビニバイトの業務を十分にこなせないわけだからな。
「誰でもできる」の意味合いとしては、『低賃金で募集をかけても求人が埋まりやすい』くらいのニュアンスではなかろうか?
学歴や偏差値だけでなく、知識や技能やコネなどの諸々を含めた総合的な「就職力(転職力)」について言うならば
どう転んでも持つ者と持たざる者が出てくるわけで
世の中にある様々な求人のうち、優先的選択権を持つのは「より持っている者」なわけだ。
これはコンビニアルバイト内にも言えることで
例えば時給800円でアルバイトを募集している🏠霧雨マートと
時給1200円で募集をかけている🏬ポーヤンホールディングスの2社があったとして
この2件の業務内容が同じくらいの難易度で同じくらいハードだったとしたら、「霧雨マートにしか就けないやつ」ってのは必然的に出てきてしまうわけだ。南無三ッ!!
持たざる側の人たちは選択権の優先度が弱いんだよ。
難易度が高くてハードなのに給金はあまり高くないような職に就かざるを得ないというシチュエーションは想像に難くない。
なので「ハードなのに低所得!」ってのは(改善されるに越したことはないけど)資本主義的に言えば自然な現象だ。
・・・というのを念頭に置きつつ「とある意識の高いエリート学生」のエピソードに触れていくわけですが
霧雨、テメェ〝やった〟な?
俺でなきゃ見逃しちゃうところだったぜ・・・?
話の本来の軸は「コンビニのバイトは誰でもできる」という内容だったはずだ
「アルバイトで能力を発揮し、本社勤めのチケットを勝ち取ること」は誰にでもできる芸当ではないだろうが。
>> 1の主張内において成立している比較は
- 一流企業の求人に応募する
- バイトから正社員登用を目指す
- 優秀なエリート的にはどちらの選択がよりベターか?
単にこの比較しかなされていない。「誰でもできる」に関連付けた比較としては全く機能してないぞ。
さらに言うなら
「本当に優秀ならバイトから正社員に昇格して本社勤めになれるはず」という条件まで追加されてしまっている。
それなら「本当に優秀ならバイトを経ずとも一流企業に就職できる」という軸も立つはずなんだが。
優秀なエリートはコンビニのアルバイトに向いてないなんて、まさに物は言いようだよな。
バイトに求められる素質を欠いている、ってことか?
「優秀」という曖昧な言葉の中身を都合よくコネコネしてませんか?