霧雨
窓際族 niarytsim
2019/12/06 (金) 15:02:40
見直すということは、自分の出せる知識や発想、そして注意を張り巡らせてるということなので、技術力が低くても自然と論理の質は上がる傾向はあると思わないといけない。それで論理の質は上がらなくても、そう信じて実行することで、実行しなかった時よりも結果的に強い喧嘩師になれる。
見直す前と後とでどちらが正しいのかが分からないと意味がないので、やっぱりご都合主義なのでした。
ある男が計算テストをやるとします。
6÷2(1+2)
「お、こんなの楽勝だな。いや、だが先生は見直し(否定的意識)が大事だと言っていた…舐めてかかると痛い目見るぞ!」
一回目の答えでは3が出ました。しかし、否定的意識を持って取り組むべきだと教わったのでもう1回やってみたら、今度は6が出ました。しかしやはり否定的意識はもっと必要だと思いもう1回やってみたら、今度は9が出ました。
さあ正しい答えはどれなんだろう?3?6?はたまた9?見直した後だから正しいとは限りません。なぜなら計算間違い(論理的瑕疵)を見抜く技術がないからです。
ちなみに正解は1だったので、計算力(技術)の乏しい彼は否定的意識を持ちながらも答えにすら辿り着けませんでした…w
「そもそも俺、計算力(技術)なかったわwwwwwwwww」
もう一度言うけど見直しや否定的意識を持つことを否定をしてるわけじゃない。結局正しいことを書くには、技術で解決するのが一番なのです。その上でこそ否定的意識が役に立つのです。
通報 ...
投稿するにはメンバーである必要があります。