王国について、昔見た記憶があったが、とても精査された文章で感心したので、飲茶氏の文章に俺の考えを当てはめて表現することにする。
喧嘩において、論者同士は『対等であるべき』だが、『対等に喧嘩をしていないと見なされた者』は王によって排除される。
喧嘩界における管理人と論者の関係は
『王と騎士』の関係である。
王は騎士の『生殺与奪権』を持っており、気に入らないものを文字通り『消す』ことができる。
それゆえ騎士は王に絶対逆らうことができない。
王は『神聖』な存在である。
したがって、神である王の言葉に対して、なんぴとも『無作法に異を唱えてはならない』。
こういった関係で喧嘩界の運営を行う方が、『対等』の関係で喧嘩を行う騎士の『自由』を守ることができ、効率的であると考えられる。
「『対等』な関係で喧嘩が成立しないことがある」のはなぜか。
その答えは単純に、彼らがみな『どうしようもなく未熟』だからだ。
自分の意図しない方向に喧嘩が傾けばイライラし、『自分とは違う論理体系を持つ人』に出会えば腹立たしさを感じ、顔を真っ赤にして罵りたくなる。
そして、ときには
相手に無理解な態度を示し、『喧嘩の場にふさわしくない投稿』を繰り返し続けたり
『非生産的な要因による悪意』によって、場の喧嘩・コミュニティの破壊を試み、機能不全に陥れることを直接の目的としたり
周囲に注意を喚起されても無視し続け、さらに悪質な荒らし行為に走り出したりする。
(それ自体は悪くない。腹が立つものは腹が立つ。しかし『対等』から外れたそれらの行為を『王』は許さない)
だから、そろそろ気付いたほうがいい。
『王と騎士』といった独裁的運営でもない限り、『俺たちはまともに喧嘩なんてできない』ということに。
俺は、ネット上の喧嘩を見続けた結果、ネット上の『対等な喧嘩』というものに『絶望』してしまった。
その『絶望』から次のような『新しい喧嘩サイト』のあり方を考えてみる。
『王と騎士による喧嘩の概要』
まず、『志(議題)』を持つKANAMEが『王』であることを宣言し、
何もない荒野に『王国(喧嘩界)』を建てる。
『王』の『志(議題)』はさまざま。
『王』も『騎士』として『コロシアム(トピック)』で剣を握ることができる。
今回の『志(議題)』は喧嘩界運営について。
『喧嘩界の自由を荒らしに与えるべきではない』
この『志(議題)』に惹かれた人たちが『騎士』として『コロシアム(トピック)』にやってくる。
『騎士』は『王』に意見し、『王』はその意見をまとめ、『喧嘩界』に反映する。
概要は以上である。
まさに今行っていることである。
『荒らしを野放しにした場合の結末』
「相手が『対等』な喧嘩をしないやつなら、こっちも相応の対応をしてしかるべきだ!」
『ヒーーートアップ』
見るに耐えない不毛なやり取りが続き、それだけでトピックが埋め尽くされる。
こんなリスクを孕んでいる不愉快なサイト、誰が書き込みたいと思うだろうか。
こうして何の益もないまま、トピックが消費され続け、やがて喧嘩界は終焉を迎える。
『前提を疑うこと自体は不当ではない』
まず、「前提を疑うこと」で、有益に喧嘩界が運営されることは十分にありうる。
たとえば、先の議題でいえば、前提を問い直すことで、
「荒らしを根絶する必要はない」
もしくは
「荒らしの根絶ではなく、被害が許容できる範囲で運営できればいい」
といったふうに管理人の考え方が変わるかもしれない。
そうなれば、荒らしの是非に関する議題自体が消滅するわけだが、これはある意味では、
『管理人の議題に対して、より本質的な意味で答えを与えた』
とも言えるだろう。
繰り返すが、このように『前提を疑うこと』で、『有益に喧嘩が発展すること』は十分にありうる。
したがって、この独裁的な喧嘩界運営のやり方は、けっして
「単純に、前提を疑うことが無益で無価値だから、やってはいけない」
ということを意図してはいない。
『前提はいくらでも疑いが可能であり、疑いの止めどころは存在しない』
むしろ、問題はこちらの方である。
あらゆる前提について、常に『終わりなき疑い』が可能である。
前提を疑い出したら、きりがない。
だから、どこかで「ここから先は疑いません」という『疑わない地点』を
誰かが『決断』しなくてはならない。
この『決断』は、論理的で合理的なものにはなりえない。
どうしても『単なる好き嫌い、個人的な趣向』になってしまう。
それは『何も規制しないことの正しさ』についても同じことが言える。
論理的に、合理的に、前提が正当であることを主張したくなるわけだが、そんなことはそもそも『不可能』である。
(なぜ不可能かというと、それはまさに言葉のとおり『前提だから』だ)
前提というものは、
「一方が独裁的に決定し、他方がそれに疑義を停止して同意する」という形式でしか、本来、成り立たないのである。
(もちろん、話し合いを重ねて、「全員が合意できる喧嘩の前提」を見つけることはできるかもしれない。が、それは恐ろしく非効率であり、たいていは、途中で『モチベーション』が尽きる)
『騎士』に、これら喧嘩の前提を
『無根拠に独裁的に設定する権限』
を与えることは可能である。
もしかしたら、「そんな権限を与えたら特権濫用する人(独裁者)が現れるのではないか」
と心配する人がいるかもしれない。
そこで、『王』の独断と偏見で「この人なら大丈夫そう」という人に与えることにしている。
実は結構前から数名には『王』の権限を俺から与えている。
したがって、別の『王』が他の者に権限を与えることも可能であり、規制することも可能である。