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パルスという生き方 / 63

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パルス 2019/11/24 (日) 18:05:09

>> 60

ごめん先に気になったんだけどお前LINE民かひま部民かなんかか?

まあいいや。
マジで「説明してない!」とだけ言って結局説明が理解できずに説明されていることに気づけないバカってだけだろうから、コピペするわ。

「究極のところ宇宙が始まる前は」、って言うてたから、話してるお題がちがうぞいって言ったんやで。内容についてちがうぞいって言ってるんやないぞ。
世界五分前仮説も否定できないんだから、「宇宙が始まる前」を究極とするのはおそらくトピックのお題を捉え違えてるんやろなって話やで。
さっきも言っているけど「考察提案」の否定等していない。俺は「究極のところ」とするのに問題があると指摘してるんだよ。
究極・・・物事をつきつめ、きわめること。また、その最後の到達点。
1.つきつめんのは証明であって、故に論理的帰着点を指す。残念ながらお前個人の思考の帰着点が論理的整合性に反していた場合にそれを無の証明の究極と言い切ることはできない。論理によって批判されれば尚更だ。
2.そもそも「~~やろ?」って確認をとっている時点で、お前の外部に存在する"モノ(無の証明の究極のところ)"について、お前の認識が合っているかの確認をしているのって明らかだし、言い訳するの下手すぎて笑っちゃうね。
お前の論理における補助仮説の崩壊を1つの例を以て指摘してんだよ。
別に「世界五分前仮説」じゃなかろうと一般的なものなら仮想現実論もあるし水槽の脳もある。少し発展させれば、「実在は本質に先立つ」といった考え方をとれば、無という本質において「無が存在する」という「無の有」的なパラドックスも起きるわけだ。
あくまで「世界五分前仮説」は一例だが、それを否定な時点で「宇宙が始まる前は無」であったのかすら不明だよ。あくまで「宇宙が始まる前は無」は"科学"という哲学によって、我々の得た知識を以て、現在我々が存在する時空間と同様の性質を過去から維持していると"仮定"した場合に成り立つ、一種の学説に過ぎん。この「仮定の上の証明」は詠み人知らずも理解しているぞ。
あくまで可能性論的な学説の存在述べてて「確証付けられてない」って話でしかないんだからチェリーピッキング的なもの(チェリーピッキングではなく論理的に主張に適切な例示)は成功してまーす!!!wwww中身すっからかんレスポンスくそだるいからもうワンパンでwww
宇宙の存在否定を俺はどこでしたんやwwwwwwほんで俺は「有は確証付けられないこと」を言ってるだけで「無を主張する立場」なんて一度もとってねーぞwwwww出直してこい
俺はお前の言っている内容を批判したんではない。
「無の証明の究極」なんだから、証明自体の認識可能な範囲での始点の部分では?という話をしてる。
少なくとも「無の証明の究極」は発展的に具体化させた宇宙の無の部分ではないだろうという話だよ。
こう説明したがもっと根本的な部分が理解できてないようなので言っとくと、俺は「無の証明って究極のところ」って「無の証明の究極」であって、「お前の究極」ではないだろ?ってことを言っているんだよ。
俺が宇宙の存在そのものを無としてどこで論じたかって言ってんだよ。
俺が言ってるのは有の確証が得られないことで、それって別に無の主張ではねーんだよ。
理解できないかな…?さすがは論理的思考が苦手なだけあって、集合的な解釈ができていないようだ。

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