チャットとかSNSのライブ感の延長ってのはよくわかるしそういう使い方をしてくれてもいいんだけど
原則として掲示板ってほら。
文字数の制限はないも同然だし、焦って返信する必要もないし、おまけにzawazawa掲示板は文章を見やすくできる機能が備わってるわけだ。
それらの特性を使わない手はないだろうって話。
LINEは個人的に仕事とプライベートで使うことがほとんどだから論争みたいなのはイメージしにくいんだけど
たとえば見ず知らずの人の話題になっているテーマを主体として行われる議論はTwitterなんかだとアジリティを追求したデータバンクの設計上分刻みの言葉の応酬とか展開されがちなわけじゃん。
もっと言えば昔はチャットサイトがあってそこで行われる喧嘩的コミュニケーションは「タイピングの速度」が重要視されてた時代なんてのもあるわけで。
逆に言うとスパンが短かったり限られた制約の中でどれだけ効果的な文章が作成できるかってのもこれまた即興力が問われるポイントで
「印象に残るフレーズ」とか「注視してもらいたい内容に目を向けるさせるための動線確保」とかいろんなことやってる奴がいたわけよ。
「オーディエンスに見せるだの魅せるだの」ってまさしく論理の領域じゃないのか…な?
それを切り分ける意味ってあるのか…な?
ここまで掘り下げなくてもシンプルに感覚的な話として一気にまとめたほうが読みやすいに決まってるんじゃないのか…な?
「抽象的な論理から演繹的に展開する思考スタンス」をそのまま惰性でトレースすること自体、従来の掲示板のような使い方をしているユーザーに対してまるで適性がない(形式としてのスタンスに折り合いをつけられない)と思われちゃうのではないか…な?
以下余談。
パルスくんって論理至上主義者っぽいけど「あなたが論理を選ぶ価値判断の正しさを論理的に説明してください」って要求されたらどう返すの?