文章のデコレーションはさておき、連投癖は治した方がいいんじゃない?
投稿が分岐してると内容だけを通しで読解しようとしたときに視認性を妨げる要因になると思うし
たとえ正しいことを言っていたとしても「ちゃんと読んでもらえない」とか「見落とされる可能性」を考慮すると、あえて連投する必要はないんじゃないかなと思うんだよね。
もちろん連投であることがなんらかの価値を帯びるようなユーモアも存在してるとは思うけど
「論理だの思想だのそっち勢」というなら、なおさら「内容に目を通してもらうこと」の優先順位って高いよね。
その場の思いつきで後から投稿を追加していくような書き方だと
それって全体として見たときに推敲されてない文章なのかな?とか思っちゃうし
後付けするってことは大抵の場合「前述した事柄に不足があった」ということの裏返しで
「だったら最初からそう書けよ」みたいな部分が散見されると読み手の努力も徒労に終わることが多いからまともな論客として見なされないリスクを孕んでると思うわけ。
誰かさんの言葉を借りると
頭の中によぎったイメージを順不同の無調整で文章化しているような印象
寝てる時に見た夢をそのままの順序で文字に書き起こしたみたいな、そんな感じ
に思われてしまう危うさを秘めてるよねって話。
内容をピックアップしてここがどうとかまで指南するつもりはないけど、俺からすると変なところで損してそうだなぁって印象だ。
参考までに。
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すまんLINEとツイッターのクセでござる。治します。
順序に関しては、一応俺の認識として、批判は立論全体に対するものではなく立論のパーツに対するもので、反証可能性的な認識をしてたから、相手のレスポンスの順序に応じて断片的に返してたけど、確かに一気にまとめた方が周りからは読みやすいかも。オーディエンスに見せるだの魅せるだのじゃなくて単純に論理だけで考えて、相互で論理的に昇華させる論争をやってたときのクセなんだろうけど、今後は掲示板に合ったやり方になるように気を付けるね。
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具体的にはこういうので良き?