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ゼロサムを超えて ー喧嘩2.0を考えるー / 7

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KANAME 2019/11/12 (火) 11:14:37

せっかくだしもうちょっと踏み込んだ話をさせてもらおうかな。
俗に言う「古参」ってのはもはやそこまで勝敗に固執してないよね。
むしろ喧嘩に何らかの意義を求めていると言っていい。

得るものがない喧嘩ほど不毛な時間はないし、何かを得ようとするには対価が必要で、何かを与えなければならない。

与えられるものが何か、というのも各々のスタイルや価値観によってさまざまでしょう。
またそういったものがぶつかり合うスタイルウォーズがプロレス的なおもしろさを生み出すと言ってもいい。

重要なのはそういう視座に立てるユーザーがどれだけいるのかということで、ランキング制度を導入しながらもなんだかんだ勝敗だけに固執しない、いやかえってその態度のほうが評価される場合もある、というような畑作りを行なっているわけだ。

最初に導入したレーティングシステムからソーティングシステムに移管したのもそのような理由からだよ。
むろん、言わなくてもできちゃってるユーザーってのがすでに結構いる。

そういう意味じゃ「喧嘩2.0」は少しずつではあるけど、平成喧嘩塾がたどり着けなかったひとつのゴール地点に近づきつつあるのかな、と思います。
「先鋭化した喧嘩」だけでは通用しないユーザーがいるおかげでね。


りかあめは惜しくも破滅の道を選んだが、彼の言ってることもわからなくはなかった。
無作為な書き込みが常時横行している(板によるが)5chの常識と比較すれば、喧嘩界は閉鎖的と言える側面もあるだろう。
その回答としては、ウィキペディアとアンサイクロペディアを足して2で割ったような方式をとっていると思ってくれれば幸いだ。

記事の編集に際しては最低限のルールや事実性、またはセンスが求められる。
これらを著しく損なうようなユーザーは異議申し立てが行われ、場合によっては編集の権限を奪われる。
情報サイトとしての品質が下がるからだ。

俺が管理人として採用している考え方がこれに近い。
もちろん喧嘩界は情報サイトとしての在り方も含んだ言論サイトなので、そのへんの判定は一般的な情報サイトに比べてかなりゆるい。
よほどのことがない限り規制するつもりもない。

「なんでも言える」という権利は、それをうまく活用できるユーザーに与えたい。
「なんでも言える」から俺への当てつけとかで意図的にゴミを量産する、とかそういう奴には不向きと言える。
そういうことがしたいなら5chだけやってればいい。


平成喧嘩塾出身者は大体こう言うと思う。
運営が書き込みのスタンスにまで介入するのは極めて独裁的で、本来であれば自然栽培が好ましいと。
まったくの同意見だけど、現実はそう上手くいかない。
平成喧嘩塾もあのザマだし、キャスフィや部落、その他軒並み潰れた議論サイトにも言えることだけど、ただでさえ人と人とが衝突しがちなサイトでは、人為的な手を加えなければ荒れたり廃れたりしてまともなコミュニティとして成立しないという考え方が俺の根本にある。

そこで、俺の本音としては

荒れてつまらなくなるくらいなら、たとえ5chのように一日中書き込みがなかったとしても、ときどきでいいからおもしろい喧嘩ができたり見れたりするほうがマシだ

というのがある。
最近は大会の影響もあって書き込み数が増えているけど、別にこの盛り上がりを維持しようなんざ思っとらん。
居心地よくなって住み着きたい奴は勝手にそうしてくれていいし、そう思えない奴は離れてくれていいと思ってるんだよ。


俺の言う「喧嘩2.0」は人を増やすことでも一般的な論客の理解を得ることでもない。

それは「喧嘩3.0」の領域じゃないか?とすら思うわけ。
そもそも「喧嘩2.0」、つまり先鋭化していない喧嘩があの時代どれだけの人ができていたというのか?
指折り数えるほどじゃないか?
俺はあれが定着する前に喧嘩界は一度終焉を迎えたと認識してるよ。

そしてRonperでは「喧嘩1.0」しか知らない新参と古参の間で乖離がありすぎてその認識の相違が埋め合わせられることなく終わった。

だから「ランキング」として明文化したんだ。
理解しなければインセンティブが得られないという構図。

ゼロサムゲーム化による非ゼロサムゲーム

俺がここでやってんのはこれや。
俺にこの話を引き出させたのもこのトピックを立てたのもぶっちゃけ啓蒙の一環でしょう。
これが吉と出るか凶と出るかは知らんけどな(苦笑)。


おまけにもうひとつおもしろい話をしておこう。

上記の引用の通り、喧嘩によって相手の自尊心・評価・価値を貶めることは原始的な感情を呼び起こすと感じますが、
それと同レベルで、つながりを持つことは原始的な欲求を満たす行為です。
それゆえにSNSがインターネットのトラフィックの大半を占め巨大産業化したのでしょう。
喧嘩がゼロサムを超えるために、ユーザー間のつながりを価値の中心に置くことは有効であると言えそうです。

これな。
「つながり」による共感や評価を求めるあまり、SNSの議論は、お前の言葉を借りれば「先鋭化」、別トピの詠み人の言葉を借りれば「陳腐化」しているとは思わんか?
何が言いたいかというと、喧嘩界は確かに個人運営レベルだけど、ここほど数や雰囲気に左右されない場はないという点で議論の内容がオープンであると言えると思うんだよね。
というより、それが喧嘩界の特色なのでは?と思っちゃうね。

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