そもそもさ、ここで多様性の是非について語ってる奴ら全員に言えちゃうことだと思うんだけど
無意識に「多様性を認めない」という姿勢に嫌悪感示してると思わない?
おにぎりですら「多様性のなさは甘んじて受け入れなければならない」みたいな論調だし。
自分でも薄々気付いてると思うけど
画一的ってなんか融通が効かない強情な人って感じしない?
多様性ってなんか柔軟でスマートな感じしない?
こういう先入観ありきで話しちゃってるとこあるだろ?
それを踏まえたうえで詠み人の意見を見ると理解が深まるぞ。
「わたしはあなたの個性を受け入れません、それがわたしの個性です。」
「しかし、他の誰かはあなたを認めるかもしれません、それがその人の個性です。」
ただこれを「多様性の到達点」とまで言っちゃうのはいささかいたずらが過ぎるのではないかと思う。
それこそ思考停止なのでは?
ライオンシーン二世が言ってる
規定を明確にした上で、社会的な合理性(たとえば倫理、法律、経済)なんかによって「多様性を認めない個性」を枠外に置く妥当性を補強
これ。
物は言いようだけど、俺はおにぎりの妥当性を補強しようとする試みは素晴らしいと思ってるよ。
「俺は嫌がる幼女を無理やり侵すことでしか射精できないんだよね」
これ認められる?
答えは✖。理由:法を侵しているから
では法って何ですか?
答えは画一的判断です。
この意見に真っ向から向き合うべき。
どうしてそのような画一的判断が法によって定められているのか。
それは「ひどい行為」あるいは「自分がされたら嫌だから」というような倫理的判断に基づいてるわけだろ?
じゃあその「倫理」って何よ?
ほらテコ入れしてやったぞ。
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