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時事ネタ考察委員会 / 144

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詠み人知らず 2019/11/14 (木) 05:45:31 修正

というわけでね

枝葉末節を自らの手で腐らせ、割り箸が刺してある鉢を見て絶望している喧嘩初心者の霧雨サンを横目に、生き生きとした枝や葉を存分に芽吹かせてみようと思うわけです。
霧雨サンを除く他多数の方々につきましては、見識を深める一助となれれば幸いです。


🔸時事問題として見る多様性

俺たちが住んでいる日本という国は、良くも悪くも多様性との縁がひときわ希薄な国だといえます。
さまざまな人種や文化が入り乱れ多様化を果たしている諸外国と比べ、日本は人口の9割を日本人が占めるほど画一化された社会構造をしています。強調しておきましょう、画一化ってのは多様化の対義語です。
にもかかわらず「俺たちってちょっと特殊なんだな」と実感している人は少なく、そして以前までは新聞やテレビなどのメディアでも話題になることは稀でした。

しかし、少しずつではありますが、そうした傾向も昨今になって変わりつつあります。外国人労働者の受け入れがどうのこうのといった報道や議論が耳に流れこんでくる機会も以前より増えてきたことでしょう。

2015年に『女性活躍推進法』が公布されたことは記憶に新しい。
詳しい内容は割愛しますが、概して言えば「少子化ヤベェ労働力足りねぇ!いい加減そろそろ女性が働ける社会作らなきゃ日本ヤベェ」といった感じで、ルーツは少子化問題です。

看護婦ではなく看護師、保母ではなく保育士
スチュワーデスではなく客室乗務員、ビジネスマンではなくビジネスパーソン
魁!!男塾ではなく、魁!!人間塾

『女性活躍推進法』をキッカケに、ポリコレという概念は一気に浸透し始めました。
ポリコレを盾にして相手を叩く行為がポリコレ棒なんて呼ばれたりもしています。

タイムリーという意味での鮮度には欠けるテーマかもしれませんが
『将来のビジョン』に注目するなら、いま日本はユートピアに向かって歩を進めている最中、転換期のまさに渦中にいるわけなので、時事問題を扱うトピックで社会的多様性に関する問題提起をするのは十分に相応しい舵取りだと思います。
ちなみにユートピアの対義語はディストピアです。監視社会や弾圧的思想統一などが象徴する「一画化」の代名詞ですね。
もいちど強調しておきましょう、画一化ってのは多様化の対義語です。

霧雨サン、俺が言ってた「世界観」の意味、理解できましたか?

※女性活躍という見栄えのよい囮を配置したうえで「あとついでにこれも少子化対策になるよね!」という大義名分のもとゴリ押しされているのが、外国人労働者の拡大です。まったく安倍のヤロウはすこぶる敏腕だぜ。


🔸多様性を認めない個性

ポリコレを支持することと多様性を受け入れることは、似ているようで違う。

前述したように、ポリコレは目的とセットなんですよ。日本の場合は少子化問題の解決が目的の1つです。もっと大きい枠で言うなら「倫理の具現化」とも言えるやもしれません。
それに対して「多様性そのもの」とは目的に関わらず純然として存在しているものです。

例えば、ポリコレを可能な限り実現した末に辿り着くのは、倫理が様々なカタチで具現化されたユートピアです。
しかし、純然たる多様性の容認を究極まで推し進めた末に到達するのは「俺は〇〇だと思う」です。
そこには他人の個性を受け入れるも拒絶するもありません。

「多様性を認めない個性を認めろよw」

不届き者がこのように物申していたとして、『その不届き物の個性を認めないという個性』もまた同じく多様性の面においては「個」なわけですから。
「わたしはあなたの個性を受け入れません、それがわたしの個性です。」
「しかし、他の誰かはあなたを認めるかもしれません、それがその人の個性です。」

これが多様性の到達点です。ろくに社会性を帯びないという点においてポリコレとは違います。

倫類という言葉が示すように、倫理の「倫」とは人と人のつながりが作る輪を意味します。
倫理とは特定の輪における内発的な理であり、そこには自ずと社会的要素が含意されているのです。


ps

霧雨サン

動くな、手を挙げろ って言った人は、「手を上げること」だけは認めているに決まってる。

この指摘は大変けっこうだと思います。
でも、霧雨サンが上記の発想に辿り着いた段階で思考停止してしまっているというだけで、実際には意見を交わす余地がまだまだ残ってると思いますよ。
枝葉末節だとあなたが切り捨てた部分、芽吹く前のつぼみだったんですケド?

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