お前のスタンスは才か。
どちらか一つに決めるのは難しいとの意見は、強ち間違っちゃいない。
なぜなら、対立関係にはならないから。
このテーマは言ってしまえば、手段を取るか、力を取るか。
もっと分かりやすく言えば、力を引き出す手段を取るか、引き出された力を取るか。
そして、どちらが重要であるか。
これが今回のテーマである。
少し解釈がズレていたらその都度訂正していこう。
前置きはこの辺にして、俺のスタンスは努力となった。
お前のメイウェザー論法を崩すために、まずはお前の主張をざっくり纏めてみると、
「努力も才能の内」と言っているようなもの。
ざっくりすぎたか??
つまり、メイウェザーが強い理由は「才能があったから」ということになる。
だから、才こそ必要であると。
しかし、その主張は努力が才能よりも優れていることの説明にはならない。
なぜならば、どちらも【必要不可欠である事実】であるから。
なぜ才能に努力が含まれるだけで、才能の方が努力より優れているのかが、掘り下げられてない。
つまり、比較になってない。
では、俺が努力が才能よりも優れる点を挙げていくとしよう。
まず、才能とは結果から見て分かるものであり、努力とは当人にしか分からないものである。
「才能がある」とは、客観的に下される判断であり、
「努力した」とは、本人やその練習風景を見ている人間にしか分からない。
そういう説明をしてしまうと、練習風景を見ている人間最強説となってしまうのだが、この様に考えてみると努力を支持する根拠を述べるのは簡単で、客観的な才能と、自分で行う努力に対する認識は別のものであるから、つまりこの差は
【周りから評価を得なければ認識できない点】
【自分で認識できる点】
の違いがあり、才能か努力、どっちが自分にとって把握しやすいのかと言えば、圧倒的に努力である。
才能は結果を残さなければならないが、努力は自ら行うことができる。
この時点で優劣があることに気づきはしないか??
才能は結果を出すまで気づかないが、努力は日々の積み重ねが自信へと繋がる。
つまり、精神的な面で優れているのは努力である。と主張する。
時間が推してたので、最後雑になってしまった。