指摘1
確かに能動的行為が無意識下で行われることはありえないことではありません
かくいう私も気づけばポテチを食べていたなんてことが度々あります(体重39kg)
ただ自覚してほしいのは、
「能動的行為=自らの意識を明確に行っている」
という主張を私がしていると思っているのならば、それこそが勘違いであるということです
そのことは、次の文を読んでもらえば理解できると思います。
> 自ら意識して再生しておきながらもそれを「しらずしらず」なんて言われても筋が通りませんよね
この文では、意識して行為しながらも、それをしらずしらずというのは筋違いだと言っています
これを端的にまとめると、意識ある能動的行為に対して”知らずしらず”は適さないということになります
あなたの例に当てはめると、意識してチャンネルを回しておきながらも知らずしらず回していたっていうのは通らないということを言っているのであり、決して無意識でチャンネルを回すようなことがありえないと言っているのではありません
その上で、今回あなたは無意識のうちに、かつ能動的に今大会に参加したのでしょうけど、そんなことが本当に起こるのかをただ疑問に感じているだけで、論理的にありえないと考えているわけではありません
指摘2
凡ゆる事象に、どちらかが必ず正解なんて事は言うまでもなく…
言うまでもなく・・・?
その先を言ってほしかったですね(笑)
もちろん正解のない事柄をより説得力をもって主張できるのは強者の証でしょう
しかしあなたが提示したテーマは、いわばどちらも正解なわけですよね
喧嘩というのはその性質上、対立の構造を必要としますが、どちらも正解である場合、その対立構造を築けないという状態が発生するわけであって、そうしたものをテーマに選ぶことをセンスがないと評しています😄