「学者が説く仏教」を学んであやまった仏教観に陥っている人達は、「自分は存在しない」と思い込んで「五蘊はもとから存在しない」などとおかしな主張をされたりもしますが、「仏が説く仏教」では五蘊をどのように説いているのかを紹介します。
五陰とは、「色・受・想・行・識」のことで人間が外の世界を認識する働きを示したものです。
色(しき)は、色相(姿・形)を意味し、受(じゅ)はそれを感じ取る感覚いわゆる五感を意味します。人は外界のありさま(色相)を自身の肉体に具わる感覚器官である五感をもって感じ取り、感じ取った情報を脳の中の記憶と照らし合わせて行動に転じます。この記憶と照らし合わせる作業を想像の「想」をもってあわらし、「行」としての行動に転じてその一連の結果が意識(識)として統合され記憶に蓄えられていきます。
例えば、職場で苦手な上司がいるとします。なぜ苦手なのかと言えば、過去にその上司との間で嫌な経験があったからです。ですからその上司の顔(色相)を見る(受)と過去の嫌な記憶がよみがえって(想)、避けるように身を隠します(行)。その一連の行動が自身の記憶の中に識として蓄えられていきます。認識出来る意識層が第六識の表層意識ですが、本人の意識が及ばない深層意識にトラウマとなって無意識的に潜在的に働く意識(第七末那識)もありますが、初期仏教ではそこまで詳しくは明かされておりません。
正確に言えば初期仏典においてお釈迦さまは全てを説かれておりますが、簡単に理解出来る内容から順に解き明かされ次第に高度な教えがひも解かれていきます。それが「蔵教・通教・別教・円教」といったの四教の教えの区分です。
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