橋を渡れるように軽量化するために正面以外のあまり使わない装甲を薄くしてたはず。
ソ連や中華戦車は小柄な車体と徹底した避弾経始で装甲厚を増してたから、車重もそこまで重くならず、渡河にも困らなかった。ただ、英米の戦車は装甲が垂直な部分が多く(砲塔側面など)、車体も搭乗員が快適に過ごせるように搭乗員スペースを大きくしたことから、ソ中よりも大柄となった。その分それらを覆うための装甲板の表面積も大きくなり、必然的に重量も増えた。
装甲を削れないと橋を通れないから、どこを削るかってなったら側面や背面が削られるのは火を見るよりも明らか。ただ、砲塔側面だけは装甲確保されていることが多いけど。
それにソ連や中華は側面装甲が垂直に見えて鋭く傾斜していて、空間装甲もあったから、より彼らの戦車の側面装甲は信頼性は上がっていることも、英米が側面薄いというイメージを増大させている。
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なるほど!ソ連はコンパクトに凝縮した結果として側面も強固になってますね。手越も書記長ファミリーも枝氏の解説がよく当てはまります。ありがとなす。