おはようございます、こんにちは、こんばんは。
ナニツムこと某のかたつむり、管理人のあきらさんです。
一つ前の蜂山さんの日記から、半年も開いてしまいました!管理人の盛り上げ不足です。戒めに、書きます。
蜂山さんからの質問【何か最近うれしかったことありますか?】
最近めまぐるしく環境が変わったり、みんなが緊張感無くしたタイミングで流行病にかかったり、人との接し方、仕事との向き合い方がよく分からなくなったり、うれしいについて考えることを忘れておりました。
なんだろうなあ、すごく大きい嬉しかったことよりも、辛かったり苦しいことが出てきてしまう……。
あ、そういえば、今日ともだちからのショートメッセージが他愛もなくて嬉しかったんだった。
あとちょいちょい遊びの約束やらもきて嬉しい。この前の流行病のせいで数年ぶりに会う友だちとの約束がパーになって悲しかった。
今度山登りに行きます。嬉しい。けど、体力落ちて本当に登れるのかすごく不安。
流行病のときに、アイスやゼリーをたくさん楽しめたのも嬉しい。あと病人だから優しくしてもらえたのも嬉しい。
わたしの嬉しいはあまりにも些細ですね。ニュース性がないや。
天邪鬼なのです。健康なときに嬉しいことを素直に受け止められないのです。なにか良いことがあっても、次は良くないことが起きるんじゃ?と考えてしまうし、褒められても気を遣ってるんじゃ?と思ってしまう。
なので不健康なときは逆に手放しで喜べたり。だって身体が弱ってるのに心まで弱ってしまったら立ち直れなくなっちゃうから。
目の前のことに集中するのが苦手なんですね、良くない良くない。
こういうことってないですか? 楽しい最中に悲しいこと思い出しちゃうとか、ふつうの顔した人は警戒するけど、怖い顔したひとはもう怖いの分かるからたいして怖くないとか。
次の方への質問【あべこべなんだけど、自分の中では成立していること】を教えてください。
ちょっと答えづらいかな???我こそは天邪鬼er(アマノジャキラー)だよという方、ぜひ。
大きなうれしい出来事って波が大きい分なんとなく反動があったり一過性だったりなイメージがあるので、小さなうれしいことがちょこちょことある方がなんだか健康的な気もします。受験や就職のような人生の岐路みたいな出来事より、友だちと遊んだ帰り道にちょこっと言われた言葉の方が実は印象的だったり。些細なよいこと、いいと思います🍀
自分も最近お菓子を食べてたらレアなハート型が入っててうれしかったです。些細度高め。
こんばんは、蜂山さん!
なるほど!一過性とか自分ではドーニモできない大波って言葉、確かにしっくり来ます!
でも運って使い果たすとかなくて、運が良い人ってずっと良いよねっていう、バナナマン設楽さんの言葉も共感してしまう……。
嬉しいことを運が良かっただけ、と捉えるのがちがうのかもしれないですね。大波にのりたーい!
友だちの些細な言葉、プライスレス🍀
ささやかに些細なことで喜びたい🐟
レアなハートいいな!そういうのとか、お友だちがいることとか、けっきょくそれ!!