モンブラン クロノグラフ タキメーター
MINERVA ミネルバの歴史 創業:1856年
~自社ムーブにこだわり続けた小規模メーカー~
ミネルバは1856年にチャールズ・イワン・ロバートにより、スイスのジュウ渓谷にある小さな村ヴィルレーで創業。1902年に自社ムーブメントの製造体制を確立する。1930年には独自に開発したストップウォッチ用の”コイルバネ"の特許を取得している。この”コイルバネ”は金属疲労が激しいこれまでの平らバネに比べて、高い柔軟性と耐久性を備えるなど、当時としては画期的なアイデアだった。 36年にはドイツで開催された冬季オリンピックのスキー競技において、クロノグラフとストップウォッチが正式採用されている。この頃からすでにミネルバのストップウォッチは評価が高く、第二次世界大戦中にはドイツ空軍・海軍、フランス空軍、スペイン空軍4にクロノグラフとストップウォッチを供給している。もちろん戦争時だけでなく、テレビ局やラジオ局でもストップウォッチが採用され、NHKでも使われていた時期があったという。 このように機械式ストップウォッチの評価ばかりが目立つが、じつは腕時計においても、自社内でムーブメントを生産する数少ないメーカーとして時計マニアには人気が高い。 そんなミネルバでもっとも有名な自社製クロノムーブメントといえばCal.20CHである。1923年から1960年代初め頃まで生産され、パーツひとつひとつの面取りや仕上がりが丁寧で素晴らしい。実用重視だけのメーカーでなかったことを物語っている。自社製以外ではバルジュー社からCal.72ベースの供給を受けて、クロノグラフやトリプルカレンダー・クロノグラフを70年代までに生産し続けた。変わったところでは40年代にアンジェラスCal.215を搭載したクロノグラフも存在している。またクロノグラフ以外では自社ムーブメントのCal.48が知られており、1943年から現在に至るまで生産されている。最近では伝説のクロノグラフキャリバー、ヴィーナスCal.175を搭載した「ヘリテージA175-A8B」が記憶に残っている。 同社は年間数千本生産する小規模のメーカーに過ぎず、社員の数もオーナーも含めてわずか13人。工場の1階から3階でプレス、部品の組み立て旋盤、仕上げの作業が行われている。忙しい時期になると、村の住人である50から60人加わるという。 そんな牧歌的なメーカーであったが、ある企業に買収され、社長のフレイ氏も退社してしまった。
「ウオッチ・ア・ゴーゴー No.38」より引用
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MINERVA ミネルバの歴史
創業:1856年
~自社ムーブにこだわり続けた小規模メーカー~
ミネルバは1856年にチャールズ・イワン・ロバートにより、スイスのジュウ渓谷にある小さな村ヴィルレーで創業。1902年に自社ムーブメントの製造体制を確立する。1930年には独自に開発したストップウォッチ用の”コイルバネ"の特許を取得している。この”コイルバネ”は金属疲労が激しいこれまでの平らバネに比べて、高い柔軟性と耐久性を備えるなど、当時としては画期的なアイデアだった。
36年にはドイツで開催された冬季オリンピックのスキー競技において、クロノグラフとストップウォッチが正式採用されている。この頃からすでにミネルバのストップウォッチは評価が高く、第二次世界大戦中にはドイツ空軍・海軍、フランス空軍、スペイン空軍4にクロノグラフとストップウォッチを供給している。もちろん戦争時だけでなく、テレビ局やラジオ局でもストップウォッチが採用され、NHKでも使われていた時期があったという。
このように機械式ストップウォッチの評価ばかりが目立つが、じつは腕時計においても、自社内でムーブメントを生産する数少ないメーカーとして時計マニアには人気が高い。
そんなミネルバでもっとも有名な自社製クロノムーブメントといえばCal.20CHである。1923年から1960年代初め頃まで生産され、パーツひとつひとつの面取りや仕上がりが丁寧で素晴らしい。実用重視だけのメーカーでなかったことを物語っている。自社製以外ではバルジュー社からCal.72ベースの供給を受けて、クロノグラフやトリプルカレンダー・クロノグラフを70年代までに生産し続けた。変わったところでは40年代にアンジェラスCal.215を搭載したクロノグラフも存在している。またクロノグラフ以外では自社ムーブメントのCal.48が知られており、1943年から現在に至るまで生産されている。最近では伝説のクロノグラフキャリバー、ヴィーナスCal.175を搭載した「ヘリテージA175-A8B」が記憶に残っている。
同社は年間数千本生産する小規模のメーカーに過ぎず、社員の数もオーナーも含めてわずか13人。工場の1階から3階でプレス、部品の組み立て旋盤、仕上げの作業が行われている。忙しい時期になると、村の住人である50から60人加わるという。
そんな牧歌的なメーカーであったが、ある企業に買収され、社長のフレイ氏も退社してしまった。
「ウオッチ・ア・ゴーゴー No.38」より引用