>> 9286 チュルク系は、モンゴルに人種的起源を求める説もあるようだ。(Wikipedia) ウエストファリア条約の前の世界は、勝手に外から移住して、勝手に勢力圏を拡げて民族ごとの勢力圏が決まり国境と言う概念が薄かったであろうから、強い部族の生き残りがブルガリア人の一部を形成したのであろう。 ブルガリア語は、言語的には、スラブ系だが、民族もアジアの血は限られているのかな。
スペインは南部に行くと、イスラムとアフリカの香りがする。アンダルシアの海岸沿いのウェイター、ウェイトレスにはアフリカからの移民が多いし、そびえたつ遺跡群もイスラム時代に建てられたものが数多く存在する。アルハンブラ宮殿が代表的。それから、人種的にも、色白で顎の突き出たスペインの顔つきよりも、イスラムの血が入っているのか、エキゾチックな顔つきが多い。 ただ、アメリカにいると、スペイン語=メキシコ、若しくは中南米 と言う意識。 スペイン人がアメリカはスペイン語だけで旅行できると言うくらい、ヒスパニック系の移民は多い。 米西戦争でスペインをフロリダから追い払ったのは、最近、話題になるマッキンリー大統領の時代。アメリカが帝国主義国家への転換を明確にした戦争で、この戦争の話をするときに、アメリカ人が盛り上がっていたのを覚えている。 それ以降、スペイン語は、スペインではなく、メキシコ語と言うイメージが、アメリカの田舎者にあっても不思議ではない。何しろ、国民の半数以上は、自分の州から外に出たことがない国で、アメリカ人は世界の田舎者、とも言われるのだから。
チュルク系の各部族は乗馬術を駆使した長距離の民族移動に通じていた。恐らく騎馬軍団の編成による武力行使もあったと思う。つまり悪い言い方をすると原住民を蹴散らしてそこへ定住するというやり方。
ところでスペインはアフリカと見做されなくてよかったね。
これは失礼。ご指摘の通り、ゴチャマゼになっていました。ご指導感謝。 念の為、Wikipediaを調べたら下記の記載あり。
ブルガール人(ブルガールじん、ブルガリア語: Прабългари、英語: Bulgars)は、テュルク系遊牧民のうち中世に中央アジア西部から移動して東ヨーロッパに定着した人々。ブルガール語を用いた。
ブルガール人の中で広い地域に分散した部族のうち、バルカン半島のドナウ川下流域からトラキア地方に侵入した一派はブルガリア帝国を建国、キリスト教の正教会信仰を取り入れ、先住民であるコーカソイドの南スラヴ人に言語的にも人種的にも同化されて、現在のブルガリア人の先祖となった。そのためにプロト・ブルガリア人ともいう。
時々、こういう勘違いをするのは、記憶を想起する力が弱いためなのかもしれない。 ところで、次のようなmemeを見つけた。 バルカン半島に関心を抱くまでは、私も似たようなものだったかもしれない。
なるほど、これで、ハンガリーはアジアの言語体系を持っているわけだ。人種的にはアジアとスラブの交配種だから
ん?、ブルガリア人の祖先 Bulgars の話がハンガリー人の祖先 Magyar に入れ替わっている。あのブログの人がハンガリー在住だと誤解している向きもあったし。
Bulgars と Magyarは、それぞれウラル山脈付近を起源とするが、厳密には異なる部族。Magyar は西ヨーロッパ諸国迄侵略した Tatar と混同されてきた。
この地図で示されるBULGARSは、中央アジアから移動してきたテュルク系の遊牧民。
なるほど、これで、ハンガリーはアジアの言語体系を持っているわけだ。人種的にはアジアとスラブの交配種だから 東北地方の色白系の人に近いのかな? マケドニアは、立ち位置が微妙ゆえに、自分達のアイデンティティを意識させ、人口を増やすのに必死だと想像する。
この地図で示されるBULGARSは、中央アジアから移動してきたテュルク系の遊牧民。彼らは大ブルガリア帝国を築き、先住のスラブ系と同化して現在のブルガリア人の祖先となった。恐らくその後のユーゴスラビア領のスラブ人との同化は少なく、それがブルガリア系とユーゴスラビア系を分ける線引きになった。北マケドニアは両者の中間に位置した関係上、立ち位置が微妙なのだろう。
サッカーのPK戦と言うのは、もっとも選手にとって残酷なものだとも言われるが、観ている方も緊張する。 今、思ったのだが、アメリカンフットボールがあれほど人気があるのは、一回一回のプレイが雌雄を決すると言う点で、サッカーのPK戦に似ているからではなかろうか。 サッカーも野球も、どうしても球を置きに行くとか、流す、様子見をすると言う場面が時間の半分以上を占める。 その点、アメフトは、殆どのプレイでクウォーターバックがどこのパスするか、そして、ファーストダウンを獲得できるのか、手に汗を握ってみることができる。 大リーグを球場観戦してご存じだと思うが、アメリカ人は試合が盛り上がらない時は、食べ流し食べて、大きな声でおしゃべりばかりしているが、ここぞと言う試合の勝負どころでは、急に全員、立ち上がり大声で応援する。 ジャズバーに行っても同様で、前座が適当に流しているときには、殆どの観客がろくに音楽も聞かずに周りとペチャクチャ大声で話すので、演奏が聴き取れなかったりするが、演奏者が急に熱を入れて演奏し出すと、みんな急に静かになり、演奏に聴き入る。 アメフトでは、常にプレイを注視するのが人気の理由だろう。 もっともベースボール好きの人に言わせれば、間を楽しむのがnational pastimeと言われる由縁ということになるのであろうが。
ところで、またバルカン半島の地図。今度は700AD.の民族構成。 ブルガリア人とローマ人、そして、スラブ人、ヴラフ人が入り混じっているが、現在の版図の原型を見ることができる。 ブルガリア人がマケドニア人をブルガリア人の一種だと考えるのも。地図の左下のブルガリア人のことを言っているのであろうか。ギリシア人が昔から、エーゲ海やイオニア海沿いのリゾート地を占めているのが分かる。
ドクトル・ジバゴはかって全編を観て昨年後半だけ観たので、今回は前半だけと思って見始めた。で結局全部観てしまったという感じ。映画の後半は試合も後半の勝負所に入ったのだが、オープン戦の緊張感のなさで映画を中心に観ていた。
一方夕べのU20アジア杯サッカー準々決勝イラン戦は緊迫したいい試合だった。とは言うものの、U20なので大喜利や大河と重なった時間帯は見なかった。結果は1-1, 4PK3 で勝ち。水曜日の準決勝の相手はオーストラリア。今度は集中して観れるか。
二つ画面を見るのは、私も良くやる。野球は間のスポーツなので、待っている間に他の映像を見ることも出来る。 良く二つの試合を同時に見たりもする。野球以外のものと野球を観るのは、チト厳しいのでは。ストーリーが追い切れなくなる
今日のヤクルトとのオープン戦はBSのドクトル・ジバゴとの2元放送で見た。たけちゃんまんやポランコは最初から最後迄オープン戦中継に被りつき、一喜一憂、大興奮するのだろう。そうでない者にとってはオープン戦を観るだけではあれなので情報流入量の程度としてはこの位が丁度よい。 とはいうものの、頻繁にどちらかを見るのが途切れるため内容把握の点で中途半端感があるのは否めないが。 ドクトル・ジバゴは、去年の正月に途中から観ており、ロットスタイガー演じる男がジバゴとラーラに嫌われる原因が今回わかった。
そろそろサッカーU20アジア杯ベスト16のイラン戦が始まるので観よっと。
>> 9276 スターリンは、自分の息子がドイツ軍の捕虜になり、交換を持ちかけられたときにも拒否し、息子が処刑されたという話がある。その時、理由を聞かれて、「私はスターリンだから。」と言ったらしい。 イラン侵攻については、分からない。第二次世界大戦後にソ連がイケイケで、イランにも簡単に手を出せたのか、それとも危険を感じてやめたのか。
スターリンが脇の甘さを示した稀な例としてまことしやかに広まった話かもしれないけど、どうかね。
ロシアは2度に渡るロシア・ペルシア戦争の結果奪った現コーカサス3国の領土をソ連崩壊まで支配し続けた。一方、現在のイランの領土は一時的な植民地化を除きロシアが支配した経緯がないので、簡単に手を出せなかったというところでは。
>> 9274
実際、イランにもソ連が侵攻しようとしたのをイランの女王がスターリンに取り入って止めたとの話もある。 これってホンマ?
実際、イランにもソ連が侵攻しようとしたのをイランの女王がスターリンに取り入って止めたとの話もある。
これってホンマ?
ネットで確認しようとしたが出来なかった。 この話は、落合信彦の『アメリカが日本を捨てる日』の中にあった。アメリカはパーレビ王朝も見捨てるくらいだから、いつ日本を見捨てるか分からないと言う話の中の中で出て来た。パーレビ王朝の王女がいかに国家に貢献したのか、そして、ソ連の侵攻を止めた王女も簡単に見捨てるアメリカの冷徹さを説明していた。 落合信彦氏によると確か、第二次世界大戦直後、ソ連は、弱体化していたイランに簡単に侵攻できるチャンスがあったのに、王女がスターリンと直接交渉して、なぜか不思議と急にソ連が撤兵しイランの国土が守られたとのこと。氏によると、王女がスターリンと寝たとの噂もあるそうであるとのこと。 記憶を辿って書いているだけだが、これって事実と符合する?
トルコは、第二次世界大戦では、一応、連合国側で、戦後はソ連の進出を警戒していた。
Wikiによると西側はソ連との緩衝地帯としてトルコをNATOに迎え入れた模様。
『第二次世界大戦では中立を維持したが、末期の1945年になり連合国の勝利が確定的になると、その圧力により2月23日にナチス・ドイツと大日本帝国に対して宣戦布告した。第二次世界大戦後は、ソ連に南接するため、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、1952年には北大西洋条約機構(NATO)に、また1961年には経済協力開発機構(OECD)に加盟した。』
一方、1960年代にキプロス島問題が発生する以前のギリシャは、意外にもトルコと良好な関係だった模様。
『1948年以降ユーゴスラビアとソ連が対立し、ギリシャの共産勢力はソ連を支持したため、ユーゴスラビアからの援助が失われ、内戦は1949年に共産主義勢力の敗北によって終結した。 1952年に北大西洋条約機構(NATO)へ加盟、1953年に隣国のユーゴスラビアおよびトルコとの間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、 1954年にはトルコとユーゴスラビアとの三国でバルカン軍事同盟を締結。外交的にもようやくの安定をみた。』
『一方、ソビエト軍はイラン北西部からの撤兵を拒んだのみならず、1945年末にイラン領アゼルバイジャンのアゼルバイジャン国民政府とクルド人民共和国という親ソビエト国家設立の反乱を支援した。北西部のソビエト傀儡政権は非常に短命に終わり、1946年5月、両国とソビエト連邦で石油採掘契約が締結され、後にソビエト連邦軍が撤兵すると両共和国はすぐに倒され、石油採掘権は取り消された。』
アイルランドのことをネットで見たが、アイルランドがイギリスから独立したのは、1937年で、英米は天敵との意識がしばらくは続いていたとのこと。心情的に、イギリスと一緒の軍事同盟には入れなかったのだろう。韓国がいまだに、日本の軍備に嫌悪感をもっているのと同様なのかもしれない。 トルコは、第二次世界大戦では、一応、連合国側で、戦後はソ連の進出を警戒していた。実際、イランにもソ連が侵攻しようとしたのをイランの女王がスターリンに取り入って止めたとの話もある。 ギリシアは、第二次世界大戦でドイツに占領されている。 どちらも、別の思惑から、NATOに入ったのではないであろうか。
アイルランドが加盟していないをの知らなかった。
政治・軍事面で対立しているトルコとギリシャが同時期に加盟しているのも変な話。
NATOに加盟した年を見てみた。 下は外務省の資料で分かりづらいが、上の方がNATOの拡大する様子が分かり易いと思う。
これだと確かに、ロシアがウクライナに侵攻する前、ウクライナで右派が騒いで危険を感じたロシアの気持は、ロシアが20世紀初頭に朝鮮半島に勢力を伸ばそうとし、危機感を感じた大日本帝国の気持に近いのかも知れないと思う。 ところで、ポルトガルは何で1949年から参加しているんだろう。隣が枢軸国の生き残りスペインだったからか? スペインは、1975年にフランコ将軍が亡くなった後、1982年に加盟を果たしているが、これは妥当なところだろう。
なるほど。そうかもしれない。 スティーブ・ジョブスも親がシリアからの移民だ。(難民ではないようだ) これからしばらくは、アメリカが移民の門戸を閉ざすと、相対的にエウロパに行く難民、移民が増えるのではないかと思ったが、中東情勢が安定すれば、そうは大幅に増えないのかもしれない。
昨日、記事で読んだが、フランスでは確か15歳未満の親と離れ離れの子供は、難民であれ何であれ、政府が保護して教育を受けさせなければならないそうで、それを狙っていると思われる難民が大勢いて問題になっているそうである。15歳以上かどうかを調べる身分証も持っていないので、骨密度測定で年齢を推定すると、成人と思われる難民も多いとのこと。 19世紀中ごろまでは、エウロパはアフリカから奴隷を連れて来たのに、現在では、移民や難民が問題となっているとは 皮肉な話である。
「学校に行かせて」海渡る少年移民の急増に悩む欧州 子供条約の保護義務でジレンマ https://www.sankei.com/article/20250220-D3XT7HKQ4BK2DGXBEVUGV5GEEE/
言い方は悪いが、エウロパは難民の掃き溜めになるのかもしれない。
EUROPAの難民数は2010年代のシリア内戦とここへ来てのウクライナ戦争で激増した。前者は終結したし、後者は停戦に向かうという前提の元で、当面のところ減少傾向となるだろう。 アフリカから地中海経由のボードピープルは、イタリア・スペインの海岸管理が徹底されたのか、最近は大きな問題になっていない。
エウロパの芸術家や学者も域内の戦乱から逃げて、アメリカには相当の人材を供給してきたと言う過去がある。 ロシア革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦で、かなりの数にのぼるであろう。 そもそもアメリカ合衆国の成り立ち自体が、エウロパでの迫害や貧困を逃れて来た人達を中心に建国され、また、発展してきたわけだから、エウロパはアメリカに対して、かなりの貢献をしているとも言える。
一方、現在、エウロパに移民してくる人達は、アフリカや中東の貧しい難民が中心である。 今後しばらくアメリカは、難民を受け入れない方向に舵を切るであろうから、エウロパへの難民の数は、増すかもしれない。 言い方は悪いが、エウロパは難民の掃き溜めになるのかもしれない。
一方、文化や芸術面では各国間で適度な競争と交流を続けてきた歴史的経緯から、そのレベルは素晴らしいものがある。あとサッカーの盛り上がりも各国間及び各都市間の対抗意識があってのもの。いいところはそんなものか
**** 確かにいいところはそんなものだ。 この不協和音は、スターリンにもプーチンにも足元を見抜かれている。 古くはスターリンは、独日で軍事同盟が結ばれていたので、兵力を西に向けるべきか、東に向けるべきか、緊張の日々を過ごしていた。半藤一利著のノモハンの夏を読むと、スターリンは、ドイツに宣戦布告した英仏をまるで頼りにしていないし、一考に付してもいなかったように思える。要は、アメリカと日本がどう動くかに関心があったようで、日本海軍が真珠湾攻撃をした報を聞いた時には、大喜びしたそうだ。 今回もプーチンは、英仏独がどう動こうと尻切れトンボのフェイドアウトだと思っているだろう。アメリカだけ、相手にしていればいいと思っているはず。EU諸国と英国は、コケにされており、さらに、バンス副大統領は、堂々とミュンヘン会議の場でエウロパ諸国を馬鹿にしたが、何もできないエウロパ諸国。いつの時代も会議は踊る。 !
確かにEUROPAの政治に関する不協和音はかなり顕著で息苦しい。EUを作ったのはそれを緩和する目的もあったのだろうが、たいして機能していない。ウクライナに対してもやれNATO入りだ、EU入りだと囁いて右派をそそのかし、ロシアと決別させようとしたが、戦争を引き起こした挙句その後の終戦フェーズに入ったらトランプとプーチン会談の様子見になっている。
一方、文化や芸術面では各国間で適度な競争と交流を続けてきた歴史的経緯から、そのレベルは素晴らしいものがある。あとサッカーの盛り上がりも各国間及び各都市間の対抗意識があってのもの。いいところはそんなものか。
こんな風刺画があるみたいだが、右側は、エロパの首脳や官僚がいがみ合って話がまとまらない絵の方がいいと思う。 ニュースで読んだが、バンス副大統領が、ミュンヘンの会議で、エウロパは協議はするが、何も決定事項として行動することがない、と皮肉ったらしい。また、エウロパが作ったミンスク合意が失敗したんだから、エウロパの協議はロクなもんじゃない、だから米露でウクライナのことは協議して決める。アメリカは、アジアパシフィックで忙しいから、エウロパのことはエウロパで後は、どうにかしろ、と言ったらしいが、まさに正論で、歴史は繰り返すと言うことだろう。 エウロパは、歴史的に常にお互い足を引っ張り合い、それに関わらないアメリカが国力をつけ、主導権を握るという構図である。
アメリカが、20世紀に入り、世界一の大国になったのは、エウロパのもめ事に関わらず、自国の産業育成に注力したからである。(中南米地区との貿易もあるが。) それに対し、エウロパは、第一次世界大戦の後も、フランスの強硬主張を抑えられず、第二次世界大戦の種を蒔き、ヒトラーが台頭すると、融和性格で時間稼ぎをしただけで根本的な解決を先送りにしたのが後々に高くついた。おまけにポーランドが侵略された後も、英仏はドイツに宣戦布告をしても、実際の戦闘をすぐには始められず、最終的には、チャーチルがルーズベルトに拝み倒してアメリカ軍をヨーロッパ戦線にも来てもらい、第二次世界大戦を勝利に持ち込んだのであって、何もエウロパは主導権を取っていない。 トランプ政権の米露だけでさっさと話を決めると言うのは、アメリカの立場としては正しいと思う。バイデン政権は、バイデンの息子がウクライナに利権をもっていたので、しがらみがあったのかもしれないが、トランプ政権になれば関係がない。 トランプ大統領からすれば、ウクライナは資源の採掘国としての価値しか見出さないし、戦争でドイツのメルケル首相等に見られたロシアとエウロパの国のエネルギー供給等を通じた密接な経済関係も弱まったし、ロシアの国力も弱まったので、これ以上、ウクライナに金を使う意義は見出さない。
もっともウクライナにしてみれば、民主党政権のアメリかに乗せられて、ロシアに対する強硬な立場を取ったのでアメリカに裏切られた思いがするかもしれないが。 エウロパで評価の高いアメリカ大統領は、大した業績をアメリカ国内で挙げられない、と言うジンクスを聞いたことがある。トランプ大統領は、まさにその逆を行こうとしているのではないか。 また日米同盟が重要で、アメリカがアジアパシフィック地域に注力するのも、単に地政学的な理由であり、エウロパ各国が争いばかりしているからではないとは思うが。
何年か前の元旦明けの2日にアンダルシア地方を一人でドライブした時、どこまで行っても丘の昇り降りと平原の中の一本道をひたすら走ったのを覚えている。日本だったら森林と山道、若しくはトンネルの組み合わせなのかもしれないが、スペインだと森林を切り崩し、牧畜業を行い、草が枯れたら別の場所に移動し、禿山が拡がっていったのであろう。 エウロパの国の森林率が低いのは、田舎の隅々までこういった場所が多いのではないかと想像する。 スイスもテレビコマーシャルや映画で出てくるところも、森林の中、木々を伐採して牧畜業を行っている。 一度、森林の伐採をしたら、その地域は広がっていくであろうから、森林の面積は少なくなる。また、石畳と城壁の城下町には必然的に緑も少なくなる。多少の庭園があるだけだ。
日本は、森林とそこから育まれる豊かな湧き水、そして清流を守ってきたため、素材を活かした料理の食文化が発達したと思う。
ユーロスターに乗り木々の多いイギリスからフランスに入ると一面畑が広がっている印象があるので、フランスの方が森林率が高いのは意外。フランスは東部から南部にかけて山がちなので、そこで率が向上しているのか。それにしてもフランスとスイスがほぼ同じで、スペイン、ポルトガルがスイスを上回っているのはちょっと疑問。
数値的にはノルウェィの森ではなくフィンランドの森だ。
ハンガリーとウクライナの数値が低いのは、集団農場風の畑が多い景色通り。トルコの低さは乾燥気候によるはげ山が多いせいだろう。
ドナウ川の源流は良く分からないが、ミュンヘンあたりの森のあたりなのであろうか。
ドナウの源流はシュバルツバルド(黒い森)内にあるドナウエッシンゲン。これは宮本輝のもうひとつの著書ドナウの旅人の話の起点になっている。そういえば、ノルウェィの森とドナウの旅人のストーリーはなんか被るイメージがある。
ドナウ川の源流は良く分からないが、ミュンヘンあたりの森のあたりなのであろうか。 そこから、ブタペストまでは、比較的急こう配なのか。 日本の川は、大抵、細くて急なのが特徴である。したがって、川の氾濫にも古代から悩まされてきた。 また、稲作の為に田んぼに水を引くために、森が多く残っている。 一方、エウロパは、放牧の為、森林伐採がなされてきたのではないかと思う。 そして大きな川がユッタリと流れている印象がある。そうすると、ドナウ川の雄大な眺めを楽しむには 先日、紹介してもらった本のように、ブタペストから河口に至る東欧寄りを旅しなければならないのであろう。
個人的には、クロアチアと言えば、赤と白のチェック模様を思い出す。サッカー選手のユニフォームが思い出されるからだろう。 国旗の意味をググったら、次のような説明がWikipediaにあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー 赤・白・青:スラブ民族国家の象徴色で、赤は尊い血の犠牲、白はまばゆく輝く光明、青は澄みわたる空を意味する 赤白チェック(シャホヴニツァ):チェス盤を意味し、赤はクロアチアの内陸部、白は海岸部を象徴する 5つの紋章:クロアチア王国の5地域の紋章で、ドブロヴニク、ダルマチア、イストラ、スラヴォニアを表している
ちなみにブダペストの標高は100M、ドナウ川の河口から1500キロ遡ってこの高さ。
ブダペストから250キロ上流のウィーンの標高は200M、ウィーンから300キロ上流のミュンヘンは500Mなので、ブダペストを境に勾配が急になるのが分かる。
ハマスタも、先日、カーリング大会をした横浜BUNTAIのあたりも、江戸時代の前には海か河口の沼地。 大雨の時に大岡川の水が溢れた記憶はないが、そもそもは海だったところだから、水位が上がれば水没かもしれない。 そうしたら、念願のドーム球場を丘の上にでも造ればいい。 みなとみらいの開発初期に、ベイスターズの球場をみなとみらいに造る案もあったそうだが、あの時に移しておけば、横浜もドーム球場だったのに、今となっては惜しまれる。
ハンガリーは、山脈に囲まれているから安心なのかも。ドナウ川は氾濫するかもしれないが。 山に囲まれているからか、調べてみたら比較的乾燥した気候で、夏と冬の寒暖差が激しいとあった。
個人的には1947-1990のユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国旗への思い入れが強い。 イタリア90W杯のスタジアムで数少ないサポーターが揺らしていたこの国旗を見て、ユーゴスラビアへの興味を抱いた。
デンマークもほぼ全没している。標高何メートル迄水が来る想定なのだろう。ハマスタは水没だろうね。 世界最大の自然破壊と言われている海水の干しあがったアラル海に水が戻るのは不幸中の幸いとは言えないか。 とりあえずブダペストが水没地域ではなくてよかった。
ヨーロッパの氷河が全部溶けると、こんな感じになるらしい。 西欧では、オランダ、ベルギー、ドイツがかなり水面下になる。 オランダ人が背が高いのは、干拓地が多いので、洪水で水かさが増した時にも息ができるよに進化したと言うジョークがあるが、笑えなくなるかもしれない。
東欧・アジア地域では、ロシア、トルクメニスタン、カザフスタンか黒海やカスピ海の膨張によって地表の領土が減少する。 ウクライナ・ロシア戦争では、地球温暖化の様々な取り組みで1年に達成する削減目標値の二酸化炭素排出量を上回る排出量を、たった一日の戦闘で産出するとニュースで見た覚えがある。 これを見ると、ロシアの占領地域もいずれ水面下に沈む。無駄になるのか、不凍港が増えて有利になるのか分からないが。 カスピ海沿岸も早くに行かないと、景色がドンドンと変わっていくのかもしれない。
全部、歴史を追い切れないが、クロアチアで使われている国旗は、こんなに変遷しているらしい。 オーストリア・ハンガリー帝国の時代を含めると、こんなになるんだろう。
これは知らなかった。早速、アトランタの人達に知らせてみよう。
スロバキアが独立した理由は、民族の独自性を求め、それが飲料の好みや選択にも現れたと言うこと?
チェコスロバキア政府はスロバキア住民に永年コカ・コーラを与えないという差別政策を取ったため、それに不満を募らせたスロバキア人はチェコから分離独立した。スロバキアでは独立記念日にコカ・コーラで乾杯すると言われている。
ホントだ、Wikipediaに次のような記述があった。
アメリカに行くと、ペプシは北部の飲み物、コカ・コーラは南部の飲み物と言う意識が、東海岸ではある。 アトランタの家庭に行って、ペプシが出たことは記憶にない。 ドライブに行くときも、大抵、コカ・コーラをパックでクーラーに入れて持って行ったし、スーパーでもペプシを見かけた覚えがない。
確か旧共産圏ではコカ・コーラの代わりにペプシが普通に流通していた。旧ソ連圏にはクワスというライ麦を発酵させて作る微炭酸、微アルコールの国民的清涼飲料が現存。 チェコが1945年でスロバキアが1971年というのが本当だとしたら、スロバキアが独立した理由もわかるというもの。
これを見ると、コカ・コーラは東欧に現れるのが遅かったのが分かる。 ポルトガルとスペインも、おそらく、後にコカ・コーラは禁止になったと思われるが、導入自体は比較的早いのが分かる。 ちなみに日本は1957年らしい。(Wikipedia)
クルド人のことは、よく知らなかったがトルコとイランにまたがっているから、なんとなくトルコ人の一派なのか、くらいの意識だった。 アメリカの友人が、世界のトラブルの殆どの源は英国にある、とよく言っていたが、クルド人の問題にサイクスピコ協定も絡んでいる。ロシア領内にはいないようなので、ロシアにとっては、民族意識を煽って西側への攪乱作戦として使えるのかもしれない。
クルド人ってアラブ系の民族だと思っていた。言語も含めてイラン系とは知らなかった。
>> 9286
チュルク系は、モンゴルに人種的起源を求める説もあるようだ。(Wikipedia)
ウエストファリア条約の前の世界は、勝手に外から移住して、勝手に勢力圏を拡げて民族ごとの勢力圏が決まり国境と言う概念が薄かったであろうから、強い部族の生き残りがブルガリア人の一部を形成したのであろう。
ブルガリア語は、言語的には、スラブ系だが、民族もアジアの血は限られているのかな。
スペインは南部に行くと、イスラムとアフリカの香りがする。アンダルシアの海岸沿いのウェイター、ウェイトレスにはアフリカからの移民が多いし、そびえたつ遺跡群もイスラム時代に建てられたものが数多く存在する。アルハンブラ宮殿が代表的。それから、人種的にも、色白で顎の突き出たスペインの顔つきよりも、イスラムの血が入っているのか、エキゾチックな顔つきが多い。
ただ、アメリカにいると、スペイン語=メキシコ、若しくは中南米 と言う意識。
スペイン人がアメリカはスペイン語だけで旅行できると言うくらい、ヒスパニック系の移民は多い。
米西戦争でスペインをフロリダから追い払ったのは、最近、話題になるマッキンリー大統領の時代。アメリカが帝国主義国家への転換を明確にした戦争で、この戦争の話をするときに、アメリカ人が盛り上がっていたのを覚えている。
それ以降、スペイン語は、スペインではなく、メキシコ語と言うイメージが、アメリカの田舎者にあっても不思議ではない。何しろ、国民の半数以上は、自分の州から外に出たことがない国で、アメリカ人は世界の田舎者、とも言われるのだから。
チュルク系の各部族は乗馬術を駆使した長距離の民族移動に通じていた。恐らく騎馬軍団の編成による武力行使もあったと思う。つまり悪い言い方をすると原住民を蹴散らしてそこへ定住するというやり方。
ところでスペインはアフリカと見做されなくてよかったね。
これは失礼。ご指摘の通り、ゴチャマゼになっていました。ご指導感謝。
念の為、Wikipediaを調べたら下記の記載あり。
ブルガール人(ブルガールじん、ブルガリア語: Прабългари、英語: Bulgars)は、テュルク系遊牧民のうち中世に中央アジア西部から移動して東ヨーロッパに定着した人々。ブルガール語を用いた。
ブルガール人の中で広い地域に分散した部族のうち、バルカン半島のドナウ川下流域からトラキア地方に侵入した一派はブルガリア帝国を建国、キリスト教の正教会信仰を取り入れ、先住民であるコーカソイドの南スラヴ人に言語的にも人種的にも同化されて、現在のブルガリア人の先祖となった。そのためにプロト・ブルガリア人ともいう。
時々、こういう勘違いをするのは、記憶を想起する力が弱いためなのかもしれない。
ところで、次のようなmemeを見つけた。
バルカン半島に関心を抱くまでは、私も似たようなものだったかもしれない。
ん?、ブルガリア人の祖先 Bulgars の話がハンガリー人の祖先 Magyar に入れ替わっている。あのブログの人がハンガリー在住だと誤解している向きもあったし。
Bulgars と Magyarは、それぞれウラル山脈付近を起源とするが、厳密には異なる部族。Magyar は西ヨーロッパ諸国迄侵略した Tatar と混同されてきた。
なるほど、これで、ハンガリーはアジアの言語体系を持っているわけだ。人種的にはアジアとスラブの交配種だから
東北地方の色白系の人に近いのかな?
マケドニアは、立ち位置が微妙ゆえに、自分達のアイデンティティを意識させ、人口を増やすのに必死だと想像する。
この地図で示されるBULGARSは、中央アジアから移動してきたテュルク系の遊牧民。彼らは大ブルガリア帝国を築き、先住のスラブ系と同化して現在のブルガリア人の祖先となった。恐らくその後のユーゴスラビア領のスラブ人との同化は少なく、それがブルガリア系とユーゴスラビア系を分ける線引きになった。北マケドニアは両者の中間に位置した関係上、立ち位置が微妙なのだろう。
サッカーのPK戦と言うのは、もっとも選手にとって残酷なものだとも言われるが、観ている方も緊張する。
今、思ったのだが、アメリカンフットボールがあれほど人気があるのは、一回一回のプレイが雌雄を決すると言う点で、サッカーのPK戦に似ているからではなかろうか。
サッカーも野球も、どうしても球を置きに行くとか、流す、様子見をすると言う場面が時間の半分以上を占める。
その点、アメフトは、殆どのプレイでクウォーターバックがどこのパスするか、そして、ファーストダウンを獲得できるのか、手に汗を握ってみることができる。
大リーグを球場観戦してご存じだと思うが、アメリカ人は試合が盛り上がらない時は、食べ流し食べて、大きな声でおしゃべりばかりしているが、ここぞと言う試合の勝負どころでは、急に全員、立ち上がり大声で応援する。
ジャズバーに行っても同様で、前座が適当に流しているときには、殆どの観客がろくに音楽も聞かずに周りとペチャクチャ大声で話すので、演奏が聴き取れなかったりするが、演奏者が急に熱を入れて演奏し出すと、みんな急に静かになり、演奏に聴き入る。
アメフトでは、常にプレイを注視するのが人気の理由だろう。
もっともベースボール好きの人に言わせれば、間を楽しむのがnational pastimeと言われる由縁ということになるのであろうが。
ところで、またバルカン半島の地図。今度は700AD.の民族構成。

ブルガリア人とローマ人、そして、スラブ人、ヴラフ人が入り混じっているが、現在の版図の原型を見ることができる。
ブルガリア人がマケドニア人をブルガリア人の一種だと考えるのも。地図の左下のブルガリア人のことを言っているのであろうか。ギリシア人が昔から、エーゲ海やイオニア海沿いのリゾート地を占めているのが分かる。
ドクトル・ジバゴはかって全編を観て昨年後半だけ観たので、今回は前半だけと思って見始めた。で結局全部観てしまったという感じ。映画の後半は試合も後半の勝負所に入ったのだが、オープン戦の緊張感のなさで映画を中心に観ていた。
一方夕べのU20アジア杯サッカー準々決勝イラン戦は緊迫したいい試合だった。とは言うものの、U20なので大喜利や大河と重なった時間帯は見なかった。結果は1-1, 4PK3 で勝ち。水曜日の準決勝の相手はオーストラリア。今度は集中して観れるか。
二つ画面を見るのは、私も良くやる。野球は間のスポーツなので、待っている間に他の映像を見ることも出来る。
良く二つの試合を同時に見たりもする。野球以外のものと野球を観るのは、チト厳しいのでは。ストーリーが追い切れなくなる
今日のヤクルトとのオープン戦はBSのドクトル・ジバゴとの2元放送で見た。たけちゃんまんやポランコは最初から最後迄オープン戦中継に被りつき、一喜一憂、大興奮するのだろう。そうでない者にとってはオープン戦を観るだけではあれなので情報流入量の程度としてはこの位が丁度よい。
とはいうものの、頻繁にどちらかを見るのが途切れるため内容把握の点で中途半端感があるのは否めないが。
ドクトル・ジバゴは、去年の正月に途中から観ており、ロットスタイガー演じる男がジバゴとラーラに嫌われる原因が今回わかった。
そろそろサッカーU20アジア杯ベスト16のイラン戦が始まるので観よっと。
>> 9276
スターリンは、自分の息子がドイツ軍の捕虜になり、交換を持ちかけられたときにも拒否し、息子が処刑されたという話がある。その時、理由を聞かれて、「私はスターリンだから。」と言ったらしい。
イラン侵攻については、分からない。第二次世界大戦後にソ連がイケイケで、イランにも簡単に手を出せたのか、それとも危険を感じてやめたのか。
スターリンが脇の甘さを示した稀な例としてまことしやかに広まった話かもしれないけど、どうかね。
ロシアは2度に渡るロシア・ペルシア戦争の結果奪った現コーカサス3国の領土をソ連崩壊まで支配し続けた。一方、現在のイランの領土は一時的な植民地化を除きロシアが支配した経緯がないので、簡単に手を出せなかったというところでは。
>> 9274
ネットで確認しようとしたが出来なかった。
この話は、落合信彦の『アメリカが日本を捨てる日』の中にあった。アメリカはパーレビ王朝も見捨てるくらいだから、いつ日本を見捨てるか分からないと言う話の中の中で出て来た。パーレビ王朝の王女がいかに国家に貢献したのか、そして、ソ連の侵攻を止めた王女も簡単に見捨てるアメリカの冷徹さを説明していた。
落合信彦氏によると確か、第二次世界大戦直後、ソ連は、弱体化していたイランに簡単に侵攻できるチャンスがあったのに、王女がスターリンと直接交渉して、なぜか不思議と急にソ連が撤兵しイランの国土が守られたとのこと。氏によると、王女がスターリンと寝たとの噂もあるそうであるとのこと。
記憶を辿って書いているだけだが、これって事実と符合する?
Wikiによると西側はソ連との緩衝地帯としてトルコをNATOに迎え入れた模様。
『第二次世界大戦では中立を維持したが、末期の1945年になり連合国の勝利が確定的になると、その圧力により2月23日にナチス・ドイツと大日本帝国に対して宣戦布告した。第二次世界大戦後は、ソ連に南接するため、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、1952年には北大西洋条約機構(NATO)に、また1961年には経済協力開発機構(OECD)に加盟した。』
一方、1960年代にキプロス島問題が発生する以前のギリシャは、意外にもトルコと良好な関係だった模様。
『1948年以降ユーゴスラビアとソ連が対立し、ギリシャの共産勢力はソ連を支持したため、ユーゴスラビアからの援助が失われ、内戦は1949年に共産主義勢力の敗北によって終結した。
1952年に北大西洋条約機構(NATO)へ加盟、1953年に隣国のユーゴスラビアおよびトルコとの間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、 1954年にはトルコとユーゴスラビアとの三国でバルカン軍事同盟を締結。外交的にもようやくの安定をみた。』
これってホンマ?
『一方、ソビエト軍はイラン北西部からの撤兵を拒んだのみならず、1945年末にイラン領アゼルバイジャンのアゼルバイジャン国民政府とクルド人民共和国という親ソビエト国家設立の反乱を支援した。北西部のソビエト傀儡政権は非常に短命に終わり、1946年5月、両国とソビエト連邦で石油採掘契約が締結され、後にソビエト連邦軍が撤兵すると両共和国はすぐに倒され、石油採掘権は取り消された。』
アイルランドのことをネットで見たが、アイルランドがイギリスから独立したのは、1937年で、英米は天敵との意識がしばらくは続いていたとのこと。心情的に、イギリスと一緒の軍事同盟には入れなかったのだろう。韓国がいまだに、日本の軍備に嫌悪感をもっているのと同様なのかもしれない。
トルコは、第二次世界大戦では、一応、連合国側で、戦後はソ連の進出を警戒していた。実際、イランにもソ連が侵攻しようとしたのをイランの女王がスターリンに取り入って止めたとの話もある。
ギリシアは、第二次世界大戦でドイツに占領されている。
どちらも、別の思惑から、NATOに入ったのではないであろうか。
アイルランドが加盟していないをの知らなかった。
政治・軍事面で対立しているトルコとギリシャが同時期に加盟しているのも変な話。
NATOに加盟した年を見てみた。
下は外務省の資料で分かりづらいが、上の方がNATOの拡大する様子が分かり易いと思う。
これだと確かに、ロシアがウクライナに侵攻する前、ウクライナで右派が騒いで危険を感じたロシアの気持は、ロシアが20世紀初頭に朝鮮半島に勢力を伸ばそうとし、危機感を感じた大日本帝国の気持に近いのかも知れないと思う。


ところで、ポルトガルは何で1949年から参加しているんだろう。隣が枢軸国の生き残りスペインだったからか?
スペインは、1975年にフランコ将軍が亡くなった後、1982年に加盟を果たしているが、これは妥当なところだろう。
なるほど。そうかもしれない。
スティーブ・ジョブスも親がシリアからの移民だ。(難民ではないようだ)
これからしばらくは、アメリカが移民の門戸を閉ざすと、相対的にエウロパに行く難民、移民が増えるのではないかと思ったが、中東情勢が安定すれば、そうは大幅に増えないのかもしれない。
昨日、記事で読んだが、フランスでは確か15歳未満の親と離れ離れの子供は、難民であれ何であれ、政府が保護して教育を受けさせなければならないそうで、それを狙っていると思われる難民が大勢いて問題になっているそうである。15歳以上かどうかを調べる身分証も持っていないので、骨密度測定で年齢を推定すると、成人と思われる難民も多いとのこと。
19世紀中ごろまでは、エウロパはアフリカから奴隷を連れて来たのに、現在では、移民や難民が問題となっているとは
皮肉な話である。
「学校に行かせて」海渡る少年移民の急増に悩む欧州 子供条約の保護義務でジレンマ
https://www.sankei.com/article/20250220-D3XT7HKQ4BK2DGXBEVUGV5GEEE/
EUROPAの難民数は2010年代のシリア内戦とここへ来てのウクライナ戦争で激増した。前者は終結したし、後者は停戦に向かうという前提の元で、当面のところ減少傾向となるだろう。
アフリカから地中海経由のボードピープルは、イタリア・スペインの海岸管理が徹底されたのか、最近は大きな問題になっていない。
エウロパの芸術家や学者も域内の戦乱から逃げて、アメリカには相当の人材を供給してきたと言う過去がある。
ロシア革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦で、かなりの数にのぼるであろう。
そもそもアメリカ合衆国の成り立ち自体が、エウロパでの迫害や貧困を逃れて来た人達を中心に建国され、また、発展してきたわけだから、エウロパはアメリカに対して、かなりの貢献をしているとも言える。
一方、現在、エウロパに移民してくる人達は、アフリカや中東の貧しい難民が中心である。
今後しばらくアメリカは、難民を受け入れない方向に舵を切るであろうから、エウロパへの難民の数は、増すかもしれない。
言い方は悪いが、エウロパは難民の掃き溜めになるのかもしれない。
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確かにいいところはそんなものだ。
この不協和音は、スターリンにもプーチンにも足元を見抜かれている。
古くはスターリンは、独日で軍事同盟が結ばれていたので、兵力を西に向けるべきか、東に向けるべきか、緊張の日々を過ごしていた。半藤一利著のノモハンの夏を読むと、スターリンは、ドイツに宣戦布告した英仏をまるで頼りにしていないし、一考に付してもいなかったように思える。要は、アメリカと日本がどう動くかに関心があったようで、日本海軍が真珠湾攻撃をした報を聞いた時には、大喜びしたそうだ。
今回もプーチンは、英仏独がどう動こうと尻切れトンボのフェイドアウトだと思っているだろう。アメリカだけ、相手にしていればいいと思っているはず。EU諸国と英国は、コケにされており、さらに、バンス副大統領は、堂々とミュンヘン会議の場でエウロパ諸国を馬鹿にしたが、何もできないエウロパ諸国。いつの時代も会議は踊る。
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確かにEUROPAの政治に関する不協和音はかなり顕著で息苦しい。EUを作ったのはそれを緩和する目的もあったのだろうが、たいして機能していない。ウクライナに対してもやれNATO入りだ、EU入りだと囁いて右派をそそのかし、ロシアと決別させようとしたが、戦争を引き起こした挙句その後の終戦フェーズに入ったらトランプとプーチン会談の様子見になっている。
一方、文化や芸術面では各国間で適度な競争と交流を続けてきた歴史的経緯から、そのレベルは素晴らしいものがある。あとサッカーの盛り上がりも各国間及び各都市間の対抗意識があってのもの。いいところはそんなものか。
こんな風刺画があるみたいだが、右側は、エロパの首脳や官僚がいがみ合って話がまとまらない絵の方がいいと思う。
ニュースで読んだが、バンス副大統領が、ミュンヘンの会議で、エウロパは協議はするが、何も決定事項として行動することがない、と皮肉ったらしい。また、エウロパが作ったミンスク合意が失敗したんだから、エウロパの協議はロクなもんじゃない、だから米露でウクライナのことは協議して決める。アメリカは、アジアパシフィックで忙しいから、エウロパのことはエウロパで後は、どうにかしろ、と言ったらしいが、まさに正論で、歴史は繰り返すと言うことだろう。
エウロパは、歴史的に常にお互い足を引っ張り合い、それに関わらないアメリカが国力をつけ、主導権を握るという構図である。
アメリカが、20世紀に入り、世界一の大国になったのは、エウロパのもめ事に関わらず、自国の産業育成に注力したからである。(中南米地区との貿易もあるが。)
それに対し、エウロパは、第一次世界大戦の後も、フランスの強硬主張を抑えられず、第二次世界大戦の種を蒔き、ヒトラーが台頭すると、融和性格で時間稼ぎをしただけで根本的な解決を先送りにしたのが後々に高くついた。おまけにポーランドが侵略された後も、英仏はドイツに宣戦布告をしても、実際の戦闘をすぐには始められず、最終的には、チャーチルがルーズベルトに拝み倒してアメリカ軍をヨーロッパ戦線にも来てもらい、第二次世界大戦を勝利に持ち込んだのであって、何もエウロパは主導権を取っていない。
トランプ政権の米露だけでさっさと話を決めると言うのは、アメリカの立場としては正しいと思う。バイデン政権は、バイデンの息子がウクライナに利権をもっていたので、しがらみがあったのかもしれないが、トランプ政権になれば関係がない。
トランプ大統領からすれば、ウクライナは資源の採掘国としての価値しか見出さないし、戦争でドイツのメルケル首相等に見られたロシアとエウロパの国のエネルギー供給等を通じた密接な経済関係も弱まったし、ロシアの国力も弱まったので、これ以上、ウクライナに金を使う意義は見出さない。
もっともウクライナにしてみれば、民主党政権のアメリかに乗せられて、ロシアに対する強硬な立場を取ったのでアメリカに裏切られた思いがするかもしれないが。

エウロパで評価の高いアメリカ大統領は、大した業績をアメリカ国内で挙げられない、と言うジンクスを聞いたことがある。トランプ大統領は、まさにその逆を行こうとしているのではないか。
また日米同盟が重要で、アメリカがアジアパシフィック地域に注力するのも、単に地政学的な理由であり、エウロパ各国が争いばかりしているからではないとは思うが。
何年か前の元旦明けの2日にアンダルシア地方を一人でドライブした時、どこまで行っても丘の昇り降りと平原の中の一本道をひたすら走ったのを覚えている。日本だったら森林と山道、若しくはトンネルの組み合わせなのかもしれないが、スペインだと森林を切り崩し、牧畜業を行い、草が枯れたら別の場所に移動し、禿山が拡がっていったのであろう。
エウロパの国の森林率が低いのは、田舎の隅々までこういった場所が多いのではないかと想像する。
スイスもテレビコマーシャルや映画で出てくるところも、森林の中、木々を伐採して牧畜業を行っている。
一度、森林の伐採をしたら、その地域は広がっていくであろうから、森林の面積は少なくなる。また、石畳と城壁の城下町には必然的に緑も少なくなる。多少の庭園があるだけだ。
日本は、森林とそこから育まれる豊かな湧き水、そして清流を守ってきたため、素材を活かした料理の食文化が発達したと思う。
ユーロスターに乗り木々の多いイギリスからフランスに入ると一面畑が広がっている印象があるので、フランスの方が森林率が高いのは意外。フランスは東部から南部にかけて山がちなので、そこで率が向上しているのか。それにしてもフランスとスイスがほぼ同じで、スペイン、ポルトガルがスイスを上回っているのはちょっと疑問。
数値的にはノルウェィの森ではなくフィンランドの森だ。
ハンガリーとウクライナの数値が低いのは、集団農場風の畑が多い景色通り。トルコの低さは乾燥気候によるはげ山が多いせいだろう。
ドナウの源流はシュバルツバルド(黒い森)内にあるドナウエッシンゲン。これは宮本輝のもうひとつの著書ドナウの旅人の話の起点になっている。そういえば、ノルウェィの森とドナウの旅人のストーリーはなんか被るイメージがある。
ドナウ川の源流は良く分からないが、ミュンヘンあたりの森のあたりなのであろうか。

そこから、ブタペストまでは、比較的急こう配なのか。
日本の川は、大抵、細くて急なのが特徴である。したがって、川の氾濫にも古代から悩まされてきた。
また、稲作の為に田んぼに水を引くために、森が多く残っている。
一方、エウロパは、放牧の為、森林伐採がなされてきたのではないかと思う。
そして大きな川がユッタリと流れている印象がある。そうすると、ドナウ川の雄大な眺めを楽しむには
先日、紹介してもらった本のように、ブタペストから河口に至る東欧寄りを旅しなければならないのであろう。
個人的には、クロアチアと言えば、赤と白のチェック模様を思い出す。サッカー選手のユニフォームが思い出されるからだろう。
国旗の意味をググったら、次のような説明がWikipediaにあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
赤・白・青:スラブ民族国家の象徴色で、赤は尊い血の犠牲、白はまばゆく輝く光明、青は澄みわたる空を意味する
赤白チェック(シャホヴニツァ):チェス盤を意味し、赤はクロアチアの内陸部、白は海岸部を象徴する
5つの紋章:クロアチア王国の5地域の紋章で、ドブロヴニク、ダルマチア、イストラ、スラヴォニアを表している
ちなみにブダペストの標高は100M、ドナウ川の河口から1500キロ遡ってこの高さ。
ブダペストから250キロ上流のウィーンの標高は200M、ウィーンから300キロ上流のミュンヘンは500Mなので、ブダペストを境に勾配が急になるのが分かる。
ハマスタも、先日、カーリング大会をした横浜BUNTAIのあたりも、江戸時代の前には海か河口の沼地。
大雨の時に大岡川の水が溢れた記憶はないが、そもそもは海だったところだから、水位が上がれば水没かもしれない。
そうしたら、念願のドーム球場を丘の上にでも造ればいい。
みなとみらいの開発初期に、ベイスターズの球場をみなとみらいに造る案もあったそうだが、あの時に移しておけば、横浜もドーム球場だったのに、今となっては惜しまれる。
ハンガリーは、山脈に囲まれているから安心なのかも。ドナウ川は氾濫するかもしれないが。

山に囲まれているからか、調べてみたら比較的乾燥した気候で、夏と冬の寒暖差が激しいとあった。
個人的には1947-1990のユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国旗への思い入れが強い。
イタリア90W杯のスタジアムで数少ないサポーターが揺らしていたこの国旗を見て、ユーゴスラビアへの興味を抱いた。
デンマークもほぼ全没している。標高何メートル迄水が来る想定なのだろう。ハマスタは水没だろうね。
世界最大の自然破壊と言われている海水の干しあがったアラル海に水が戻るのは不幸中の幸いとは言えないか。
とりあえずブダペストが水没地域ではなくてよかった。
ヨーロッパの氷河が全部溶けると、こんな感じになるらしい。
西欧では、オランダ、ベルギー、ドイツがかなり水面下になる。
オランダ人が背が高いのは、干拓地が多いので、洪水で水かさが増した時にも息ができるよに進化したと言うジョークがあるが、笑えなくなるかもしれない。
東欧・アジア地域では、ロシア、トルクメニスタン、カザフスタンか黒海やカスピ海の膨張によって地表の領土が減少する。

ウクライナ・ロシア戦争では、地球温暖化の様々な取り組みで1年に達成する削減目標値の二酸化炭素排出量を上回る排出量を、たった一日の戦闘で産出するとニュースで見た覚えがある。
これを見ると、ロシアの占領地域もいずれ水面下に沈む。無駄になるのか、不凍港が増えて有利になるのか分からないが。
カスピ海沿岸も早くに行かないと、景色がドンドンと変わっていくのかもしれない。
全部、歴史を追い切れないが、クロアチアで使われている国旗は、こんなに変遷しているらしい。

オーストリア・ハンガリー帝国の時代を含めると、こんなになるんだろう。
これは知らなかった。早速、アトランタの人達に知らせてみよう。
チェコスロバキア政府はスロバキア住民に永年コカ・コーラを与えないという差別政策を取ったため、それに不満を募らせたスロバキア人はチェコから分離独立した。スロバキアでは独立記念日にコカ・コーラで乾杯すると言われている。
ホントだ、Wikipediaに次のような記述があった。
1959年には、かつて顧問弁護士であったリチャード・ニクソン副大統領の紹介でソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ書記長にペプシコーラを試飲させることに成功。1970年代にニクソンが大統領に就任、ペプシコーラはソビエト連邦政府と20年間の独占契約をした。これによりソ連と契約した最初のアメリカ製品となる。この後、ソビエト連邦ではペプシコーラは一般的に入手することが可能となり、他の共産圏諸国(東ドイツ、ルーマニアなど)でも販売された。
スロバキアが独立した理由は、民族の独自性を求め、それが飲料の好みや選択にも現れたと言うこと?
アメリカに行くと、ペプシは北部の飲み物、コカ・コーラは南部の飲み物と言う意識が、東海岸ではある。
アトランタの家庭に行って、ペプシが出たことは記憶にない。
ドライブに行くときも、大抵、コカ・コーラをパックでクーラーに入れて持って行ったし、スーパーでもペプシを見かけた覚えがない。
確か旧共産圏ではコカ・コーラの代わりにペプシが普通に流通していた。旧ソ連圏にはクワスというライ麦を発酵させて作る微炭酸、微アルコールの国民的清涼飲料が現存。
チェコが1945年でスロバキアが1971年というのが本当だとしたら、スロバキアが独立した理由もわかるというもの。
これを見ると、コカ・コーラは東欧に現れるのが遅かったのが分かる。

ポルトガルとスペインも、おそらく、後にコカ・コーラは禁止になったと思われるが、導入自体は比較的早いのが分かる。
ちなみに日本は1957年らしい。(Wikipedia)
クルド人のことは、よく知らなかったがトルコとイランにまたがっているから、なんとなくトルコ人の一派なのか、くらいの意識だった。
アメリカの友人が、世界のトラブルの殆どの源は英国にある、とよく言っていたが、クルド人の問題にサイクスピコ協定も絡んでいる。ロシア領内にはいないようなので、ロシアにとっては、民族意識を煽って西側への攪乱作戦として使えるのかもしれない。
クルド人ってアラブ系の民族だと思っていた。言語も含めてイラン系とは知らなかった。