最近、ツン読しておいた本を読んだり片付けているので、『異国の窓から』を図書館で予約した。ご推薦ありがとう。 トランプ大統領がテレビに出てくると、フロリダの光景が嫌でも目に映る。この時期でも当たり前のようにTシャツ姿で歩き回る気候に、南国の木々で囲まれた通り。アンダルシアに住むスペイン人が、フロリダは暑過ぎると言っていたが、私にはちょうどいい。いつになったら行けるか分からないが、その時には、ご招待申し上げる。 昔、フロリダの友人の別荘の隣人女性がコンサルタントで週1回、New Yorkに通っていた。もう20年位前の話である。その頃から、アメリカではリモートワークと言うのが始まっていたのだと思う。何しろ、国が広いので通信機器をフルに使おうという発想が働くのであろう。 アメリカで通勤1時間と言うと、距離にして通常、60キロくらいはあることが多い。東京圏だと、乗換の時間や駅から歩く時間、電車待ちの時間、電車が駅で停車している時間が入るので、ドアトゥードアで1時間と言うと、だいたい20キロから30キロくらいであることが多い。国が広いというのは、人間の精神構造にも大きな影響を与えると思うことが、アメリカにいると多い。まず意固地になるという発想が、なくなる。常に目の前に広がる広大な土地を眺めていると、自分がチッポケな存在であることを嫌でも認識させれるから。
『東欧遍歴もうひとつのヨーロッパ』著者佐久間穆をメルカリで見つけたので、早速購入した。冷戦後の東ヨーロッパを周遊する旅行記は多いが、たいてい内容が薄いため余り食指が動かない。しかし70年代の状況をばりばりの経歴の著者がどのように綴っているかという点でこの本に興味を持った。
こちらからはドナウの旅人の著者宮本輝が80年代にドナウ川流域まで取材に行った体験を綴った紀行文『異国の窓から』を推奨しておく。本家の『ドナウの旅人』の内容はかなりイマイチだった記憶があるが。
東欧事情の本を読んでアメリカとの差異で気づいたのは、東欧では、どうやら民族意識が宗教を超えているように見えることである。 唯一、例外と思ったのは、ポーランドでは、カトリックの勢力が強く、教会が人々の行動や団結心と深く関わっているきがするが。研究不足なので、間違っているかもしれない。あくまでも一冊の本を読んだだけの感想とご理解いただきたい。 一方、アメリカでは、今回、トランプが獲得した州を中心にして、宗教の影響が日本人には考えられないほど、大きい。キリスト教原理主義と言ってもいいと思う。 日本の田舎で村の祭りや会合があるが、アメリカではそれを教会が、それぞれの宗派ごとに分かれて行っている。 また、日曜日ともなれば、新興宗教の教祖がテレビで説話を述べるのが常態化している。 もちろん、人種差別はあるのであるが、教会ごと、グループごとに分かれるなかで、人種はごちゃ混ぜになるのが多いと認識している。 日本の地縁、血縁と言うのが、アメリカでは、大都市以外、教会の繋がりであると言える。 モルモンの人は、クリスマスパーティーでもジンジャエールで乾杯し、コカ・コーラさえ口にしないのが多数派だったりするのもその一例。コーヒーや紅茶ですらトンデモナイ。
数年前、New Yorkに行った時に、ブロードウェイ劇場前の大きなレストランのトイレが男女一緒だったのにはビックリした。 手を洗っていると隣でご婦人が化粧直しをしていたし、一緒にブロードウェイ鑑賞にでかけた女の子も近くで手を洗っている。オバマ大統領政権下で進めたLGBT推進のためだが、こんなのが敬虔なクリスチャンの多い田舎で許されるはずがない。 そんな敬虔なクリスチャンの信仰心に素直に響くトランプの言葉が、多少、失言、暴言があっても、ポリティカルコレクトネスで固めLGBTを進めるリベラル派よりも、響くのは当然であろう。
トランプはそれ以外の地域の保守層や中流層以下から支持されたという事か。
これも事実であろうが、インテリ層でもトランプ支持はいると思う。私の友人もハリス候補の次のような特徴が、無理矢理同意を求める嫌なタイプの女の特徴だと言っていた。
1)頷く回数が多く、まるで同意を求めるような仕草である。 2)表現の最後をまるで質問のような形で文章を終え、聞き手の同意を求める。 3)会話の途中に"Right?" を入れ、聞き手の同意を求める。
まあ、これがアメリカ人の総意と言うわけではないかもしれないが、ハリスは、そもそも時の権力者に上手く取り入ることで、のしあがってきた政治家である。時には女を武器にして。だからかもしれないが、部下にはめっぽう厳しく、いわゆるパワハラ上司。次の二つの記事にその様子が書かれているが、ホワイトハウスで、ハリスの元で働くと離職率が90%を超えていたという。
https://lyu1.com/211207harris-stuff-exodus/
http://totalnewsjp.com/2024/07/31/harris-66/
そもそもハリスが副大統領になれたのも、20年の大統領選の予備選挙に出た時に、勝ち目がないと思ったら、当時、サンダース上院議員の後塵を拝していたバイデンにいち早く取り入り、予備選を降りるから副大統領候補にしてくれ、と交渉したからである。 バイデンは、本来、ハリスが副大統領になれた恩人のはずなのに、バイデンが討論会の後、評判が悪くなり、自身が大統領候補になると、疫病神扱いで、さっさと一線を画してきた。先日のゴミ発言の後、それが顕著で、実際、ハリスの応援にバイデンは殆ど入らせてもらっていない。クリントンやオバマ夫妻が何度も応援入りしているのに。 あと個人的にドン引きだったのは、キリスト教徒の学生を嘲笑して追い出した件だな。
https://x.com/tweet_tokyo_web/status/1849061562964926916
https://anonymous-post.mobi/archives/53935
トランプ次期大統領は、人が殺されているのを座視できないという信条だと思う。 それにひきかえ、バイデンやハリスは、ウクライナやガザで戦闘が長引いても、当たらず触らずで、戦闘を止めさせるよりも、無難な立場を取り続け、その間に何人殺されようと関係ないという態度に見える。 ウクライナを支援するために兵器を供与するのであれば、徹底的に供与すればいいものを、中途半端に使用の制限をつけたりするところにそれが現れていると思う。 ウクライナやガザの戦闘を終わらせるために、暴言を吐いてもなんでも手段を選ばずにトランプ次期大統領は向かうことを期待する。
やはりトランプが勝った。フロリダを除きリベラルや富裕層が多そうな西海岸、東海岸北部、イリノイ州ではハリスが勝っている。トランプはそれ以外の地域の保守層や中流層以下から支持されたという事か。プーチン、ネタニヤフ、オルビーから祝電が送られているだろう。北の将軍様は傍観か。
これでウクライナ紛争が終結に向かうと思いきや、そうは問屋は卸さない。石破はトランプとどのように対峙するのだろうか。
>> 8929 テキサス州だけをバルカン半島に重ねてもこんな感じ。 テキサス州も国境線が動いた土地だし、白人とヒスパニックが入り混じって多民族共存と言えなくもないが 何しろ、人数の割に広い。 風力発電を巨大な砂漠のど真ん中で堂々とやっており、環境アセスメントがドウタラコウタラとか言う問題を聞いたことがない。 以前、アストロドームにロデオショーを観に行ったことがあるが、天井の高さに圧倒された。 ゴミ問題もアメリカではあまり聞いた事がない、何しろ、広い砂漠のどこかに捨てに行けばいいだけなんだから。 昨年、ユニバーサルスタジオに行った時、通りかかった英国人のご婦人と世間話をした時、なんでこんなにプラスチックのゴミ袋やら何やら、アメリカは使い放題なんだ、という旨の文句を言っていたが、そんなことを気にするのもフロリダ人はいない。 陽気で楽天的にもなるわけだ。
ハンガリーに移住したらアメリカへ一度は行くと思う。ヨーロッパに住んでいると国家・民族・宗教その他もろもろの軋轢から息苦しさを感じる事がある。旧市街の街並みや教会などの歴史的建造物も時として食傷気味になる。そういう時にアメリカの広大で陽気で楽天的な側面が美化されて映る。いずれにせよ、シリコンバレーのその後は見てみたい。
サンフランシスコは驚異的な住宅価格の上昇とダウンタウンの荒廃が問題となってきていると聞く。その為、隣のユタ州に多くの企業が移り始め、ユタ州ではモルモン教徒の割合が半分か 半分を切ったくらいにまでなった。ちなみに モルモン教徒は異教徒に対して寛容であり、ソフトレイククシティには、創価学会の建物まである。 初めてアメリカ旅行に行った時、何十年もサンフランシスコでミュージシャンをやっている日本人にレストランを案内してもらったが、帰りに湾の上の大きな橋を運転中に、長く住んでいて 実にいいところだと言っていたのを覚えている。
トランプが当選すれば盟友のオルビー(オルバン・ヴィクトール)も喜ぶしね。
アメリカは出張で行ったニューヨークとサンフランシスコ近郊しか知らない。以前も書いたようにニューヨークは全く肌に合わなかったので、もし住むのならシリコンバレー一択。すぐ近くで霧深いサンフランシスコから一転して太陽がふりそそぐシリコンバレーの90年代は天国に思えた。しかしあそこに住んで仕事があるうちは楽しいかもしれないが、老後になったらどうだろうかと思ってしまう。余程友人に恵まれない限り、一か月で飽きて3か月でおかしくなってしまうかもしれない。
>> 8925 ハリスは、チェイニー女史と一緒に行動していたが、これは軍産複合体とズブズブの現れだと思う。 ハリスは、イスラエルを支持するとともに、軍産複合体に取り入るのであろう。 ケネディは、軍産複合体に逆らって暗殺されたとの説があるが、トランプの暗殺未遂もその可能性があるのかもしれないと思ったりする。
トランプ大統領時代、大きな戦争がなかったのは、トランプさんは、信条として、人が殺されるのを見ていられないのがあると言う人もいる。
「ウクライナ問題をすぐにでも終わらせる」と豪語していたトランプを最初はいいと思った。でもイスラエルの全面支持を聞いた時点でハリスの方がいいかもと思うようになった。結局ハリスも金に惹かれてイスラエルを支持するだろうから、やっぱトランプでいいやと思っている。 笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
なるほど。ポリティカルコレクトネスや、セクハラ発言に通ずるところがあるかもしれない。
話はアメリカに飛ぶが、トランプ大統領の魅力は、こういったポリティカルコレクトネスお構いなしに、自分達の伝統や、信条、家族の価値観、が重要だと前面に押し出し、失言に対する批判や裁判覚悟で立ち向かうところだと思う。 年末年始をアメリカで過ごしたことは何度もあるが、ホテルのロビーでも、友人同士がパーティーで集まっても(仮にユダヤ人が混ざっていても) Merry Christmasと言うのに、政治家や公の看板等は、段々とHappy Holidaysになったときは、かたぐるしさを感じたものだ。
トランプを支持する理由として He is only as bas as he speaks. というのがある。
トランプに問題発言やスキャンダルがあるとしても、隠すのが下手なだけで、誰でもやっていることなんだから、それ以外の実力で評価しろ、ということだ。 バイデン大統領もいいオヤジを演じているが、過去にいろんな女を囲っていたし、危ない取引がいくらでもある。 野球も同様で、原辰徳やイチローなどは手切れ金をめぐって話題になったが、本来、話題にならないように抑えるのは球団の仕事である。
一方、リベラル派に言わせると、上記のトランプ評に対し、 That is ENOGH. と言い返してくる。
杉村太蔵と杉山元駐米大使が対話しているYouTube動画を見たが 杉山氏が言うには、トランプさんは実際に会って話してみると、人間的魅力があるとのことであるが、腑に落ちる。
https://youtu.be/dEOQbkvvo2k?si=HtHD8tiEoRpwyhIF
拉致被害者に対する対応も、かつては被害者代表夫婦がホワイトハウスまで赴き数分会っただけだったり、オバマが事務的に対応したのに比べて、メラニア夫人まで連れて、十分と時間をかけて全員と丁寧に接したりするのは、パフォーマンスを超える何かがある。
ところで、湯浅卓氏が話していたが、安倍総理にトランプ大統領が、 「今度、金正恩に会うから、拉致問題も解決してやろうか」とまで話してくれたことがあったらしい。 安倍首相は、なぜか断ったとのこと。自分で解決したかったのか、それとも、借りを作りたくなかったのか。
ポランコをポリティカルコレクトネスに準じて呼ぶとしたら、何であろうか。
掲示板のジプシー 鉄道オタク崩れ 疫病神のカマッテちゃん
知人が開催するZOOM会に常連が持ち回りで発表する場なので気楽にやっていたのだが、参加者次第で発言内容には気を付けるという事を学んだ。しかしあまり意識しすぎると他者の発表に対しても思った事を言えなくなってしまうので、難しいところはある。その辺り言い方次第というところか。
丁寧に「この人達は、いわゆるジプシーと言われるアジア系の民族で、そう大きな格差を意識せず、鋳掛け、伯楽、熊使い、楽師、占いなどをして、村から村を回って共存していると言われています。」 あたりが、妥当なところであろうか。 主題から外れた話をするときに、ジプシーは、門外漢だ、と差別的にはじき出す雰囲気になりそうなところにストップをかけたのかもしれない。 議題と議案がなんだかわかりませんが。
恐らく道端で物売りをしている人達の写真を見せて『この人達はジプシーです』と説明したら、そういう偏見に満ちた発言は控えなさいという事だったと思う。大学の教授ともなればそういう立場になるのだろうが、在住者の感覚からは事実を言った迄というところ。
ジプシーをロムと言えば良かったのかな?自らはそう呼ぶらしいし、どこかで聞いた記憶がある。 ルーマニアでは、ディガンカ、ポーランドなどスラヴ系の言葉でもチガンとかチガニ。ドイツ語では、ツィゴイナーで、語源は不可触を意味するギリシア語のアツィガノイだというのが定説。このアツィガノイと言うのは、ギリシア正教を破門された小アジアのキリスト教団の名前で、異教徒とか他所物の蔑称として用いられたが、ジプシーはその転訛した意味をひきずってヨーロッパ大陸に移ってきたというわけである。 ということは、ジプシーの存在を指摘すること自体がポリティカルコネクティネスに反する? しかし、定住していなかったり、時々悲惨な事件も起こすわけだから、リベラル系の人の前では、住所不定のアジア系民族、とか、反グレとか言えばいいのであろうか。闇バイトみたいな組織が出来ていて、犯罪を繰り返す集団だと思う。日本は、家族制度が社会の最後の砦になっているが、それさえ、現地の民族の繋がりから断ち切られているので、せめて定住させようと政権が努力しているのかもしれない。
ポーランドがロシアを強く意識しているのは分かるが、その逆はそれ程あるのかなという感じ。まあ客観的見て日本と韓国はライバルとされるだろうが、日本の言い分は向こうが強く意識するのでこちらも意識せざるを得ないというのと同様だろう。
あと上に書いてあるItaly VS Pineapple Pizza というのはイタリア人にとってハワイピザなんてあり得ないという事か。ハワイピザは個人的に悪くないと思っている。オランダ対海はオランダで海水浴なんてあり得ないという事か。
ハンガリー人はルーマニアと同等かそれ以上にスロバキアへの意識も強い。ハンガリー人の普通にインテリの同僚は、『スロバキアは世界で最も馬〇な国の一つ』と言い放っていた。他の隣国への悪印象は現地のハンガリー人マイノリティー数に比例してセルビア、ウクライナの順に下がる。マイノリティがほぼ0のクロアチア、スロベニアに対してはニュートラル。一般的にオーストリア人とハンガリ人ーの関係は良いとされているが、多分オーストリア側からの見解。ハンガリー人にとってはハプスブルグ帝国及びオーストリア・ハンガリー二重帝国時代の経緯からそれ程単純なものではなさそう。
ロンドンのパブでドイツ対ルーマニアのEURO選手権の試合を見ていたら、ルーマニアが先制した途端にそれまで静かに観戦していた人々から拍手が巻き起こった。それを見てイギリス人のドイツへの対抗心は強いんだと改めて感じた。
>> 8917 落ち着いたら、是非、行きたい。ありがとう。 私は永住となると、やはりアメリカかな。あんな広大な、そして美しい土地をアメリカ人と流入する不法移民だけのものにしているのは、モッタイナイ。フロリダに住む友人は、手伝ってやるから、日本に住む理由がなくなったら来い、と言ってくれている。 昔、家族でニューヨークに行った時、母が、若ければ、ここに住んでもいいと思う、と数日いただけで、街の雰囲気を気に入っていた。身内が、New Yorkに住んでいたので、車で色々と回ったり、身内の知合いと触れ合ったり、普通の旅行者とは違う旅だったので、本音だと思う。 文化や伝統、食事は?と思うこともあるし、人種差別もあるが、長い歴史の伝統から来る縛りがないおかげで、常に発展し、新しいものを受け入れる気風は、自分を若くしてくれる気がする。
一方、ヨーロッパは、国ごと地方ごとに多種多様な民族、風習、宗教があり、多様性を認めるというのか、やり過ごすしかない。東欧はいったことがないので、驚きの連続だろう。アメリカも地域ごとに差異は大きいし、最近では、スペイン語も話せた方がいいが、欧州ほどの多様性はない。経済的には、言語と通貨、そして分断が進んだと言われていても共通の連邦国家であり、効率がよく、それが人々の生活水準の向上に反映されていると思う。
ハンガリーは来年のシルクロード旅の最終目的地で、その後ブダペストに永住する予定。落ち着いたら遊びにおいで。ハンガリーに初めて訪れたのは社会主義の雰囲気が色濃く残る90年夏で、暑くて埃っぽいしトラバントやラダがまき散らす排煙でゼホゼホで旅行者へのサービスレベルは低いしもう二度と来たくないと思った。その頃とはだいぶ変わったけど、当時のまんまのエリアもまだ残っている。以前とあるハンガリーに関するZOOM討論会で「この写真に写っているのはジプシーです」と発表したら、北大でハンガリーを研究している先生にポリティカルコレクトネスに考慮しなさいと怒られてしまった。 旧共産圏では全体主義という枠組みの元で民族間、宗教間の対立は抑圧されていた。クロアチア出身のティトーが70年代にクロアチア民族主義者を弾圧したので、クロアチアでは彼の話はタブーになっている。かつてマケドニアで民泊したらティトーの写真が部屋に飾られていたのにはちょっと驚いた。 冷戦時から燻っていたナゴルノカラバフ紛争が昨年秋に突然終結してしまったのは以外というか、アルメニア側から行けなくなってしまい残念。代わりにアゼルバイジャンの飛び地のナヒチェバンに行こうかと思っている。
カレメグダン公園の踊りの件は、読んだ本が70年代後半なのでその通り。現在は、どうなっているのか。ちなみにペテン師はジプシーだったか?東欧では、ジプシーが多いとの記述があった。74年のイギリスの民俗学教会の発表によると ポーランド80万、ユーゴスラヴィア30万、チェコスロヴァキア22万6500、ルーマニア20万、ハンガリー20万、ブルガリア20万で、東欧全体だと192万人とのこと。チェコスロヴァキアの東部、ルーマニアのトランシルヴァニア地方、マケドニア共和国、ハンガリーのバラニヤ地方に多いとのこと。土地勘がないので、これがどういう意味を示しているのかは、分からないが、ポーランドは、公式には、77年に1万2千と発表しているので、社会を乱す要因と政府は捉えているのであろうか。
初めてのイタリア旅行で、レオナルドダヴィンチ空港からのバスをテルミナ駅で降りた直後、複数のジプシーの子供が手を伸ばして洋服に近づいてきたので、手に持っていた段ボールの筒で思いっきり叩いたら、ものすごい音がして駅のホールに響き、一瞬、周りがシーンとなったことがあった。フォロ・ロマーノの横を歩いていた時も、女の二人組のジプシーが近くにきて財布を狙ってきたので、思いっきり殴ってやろうとしたら、向こうも引っ掻き返そうとポーズを取り、にらみ合いになったことがあった。
その後、イタリアではサッカーワールドカップがあり、ジプシーは一掃されたと聞いたがどうなのであろうか。 前回、イタリアに行った時には、ローマはテルミニ駅で乗り換えただけだったので、街中には出ていないが、ナポリやシチリア島、そして、フィレンツェ、ミラノ等では遭遇しなかった。 東欧でも憲章77とか、人権抑圧に対する反対の声や、ジプシーに文化的な生活を送らそうという考えもあるようだが、かなり根気のいる、そしてリスクの高い仕事である。ルーマニアが1866年まではジプシーを奴隷として扱っていたとか、ナチスが数十万人のジプシーをガス室送りにしたというのも、ヨーロッパあるあるだと思わざるを得ない。とにかく彼らと街中で遭遇したら、野良犬に対するような態度で接するようにせざるを得ない。
トランシルヴァ地方の話は、興味深い。今回、本を読んだのと、投稿を読んで、俄然、マケドニアやアルバニア、コソヴォやトランシルバニア地方に行ってみたいと思うようになった。 昔、ニュージーランドで1週間がかりくらいのトラッキングに参加した時、ハンガリー人がいて、ハンガリーは、大戦に負けておかしくなったのではなく、大戦が(確か第一次世界大戦)終わった後に、共産主義者が出て来て、国がおかしくなったと、嘆いていたのを覚えている。また、ハンガリーは素晴らしい国だから、是非来てくれと、みんなに宣伝しており、それは、オーストリアハンガリー帝国の時代に比べ、世界の中の地位が下がり、相手にされなくなっている寂しさの裏返しなのだろうと感じた。ちなみに、日本人は、1回目のトレッキングでは、私の他に新婚夫婦の2人組がいた。2回目は、私一人。 3回目に、2日かけてマウントクックの雪原を歩きまわるツアーも行ったが、日本人は私一人だった。
中国も民族構成がそれなりに複雑だが、バルカン半島から中東にかけては、地続きで東西の通り道なので、その比ではないと分かった。ただ、バルカン半島は、宗教よりも民族対立、中東は、宗教対立とのイメージが強く、後者の方が、妥協点を見つけるのが難しいと思う。 これはどこの話だか忘れたが、ミサの前に食べるパン屑をワインに浸けてから口にするか、口にしてからワインに浸けるかの儀式の違いで、宗派同士で戦争が何十年も続いたりしたこともあるらしい。 一方、バルカン半島では、ハンガリー動乱、プラハの春、コソヴォ紛争のようなこともあるが、曲がりなりにも共産主義とソ連の圧力と経済援助のもと、民族間の対立も一定の妥協がなされたと言えるのではないか。第二次世界大戦の終結からソ連崩壊までの40年以上は、中東戦争のような大規模な戦火を交えることがなかったのだから。
ハンガリー語は驚くほど日本語に似ていると書いてあるガイドブックがあったが、文章で近いのは塩気が足りない事を『ショータラン』と言う位。一方で単語の同音異義語はたくさんある。ビンボー(蕾)、キーライ(王様)、バカ(軍隊の階級の一つ)、ウソダ(プール)、カキ(ウンチ)、ウンチ(甥っ子)、下ネタ系もあるが割愛、など枚挙にいとまがない。 トランシルバニア地方でハンガリー系セーケイ人が多く住んでいるのは本国から遠く東に離れたモルドバに近いセーケイランドという谷沿いの地。辺境地域の警備に配された模様で、同様の理由でドイツ系のザクセン人は南部のブラショフやシビウ近辺に多かった。チャウシェスク時代にドイツから金をとってザクセン人を帰国させた経緯もあり、現在ザクセン人の数は5万人程度だと思う。
モルドバはロシアの傀儡政権が支配しロシア軍も駐留する沿ドニエストル共和国との対峙という問題を抱えている。一時期ウクライナ南部を攻撃するロシア軍がオデッサから沿ドニエストルまで抜く回廊を確保するのではという見方があった。昨日のモルドバ大統領選挙ではロシアの大規模介入にも関わらず、EU加盟を目指す現職サンドゥ氏が勝利したとの事。
カレメグダン公園の踊りの件はユーゴスラビア解体前の話だろう。解体前に行った事があるが見なかった。サイコロを使ったペテン師にはめられて巻き上げられそうになったところを地元民に助けられた覚えがある。
チェックありがとう。 ハンガリーは、東欧諸国の中では人種的、言語的に異質であり、その為かどうか知らないが、ルーマニアとはドナウを挟み、歴史的に敵対してきたと初めて知った。また、ハンガリー語は、インド・ヨーロッパ語に属さないので、商店の看板等の類推も難しいらしい。是非、行ってみたくなった。 ハンガリーは、オーストリアハンガリー帝国時代のハンガリーの領域から3割になっているそうで、トランシルヴァ地方にも70年代で170万人が取り残されているらしい。(ほかにドイツ人が40万人と言うのも驚く。) 観光番組で東欧を取り上げると、民族舞踊が定番となっている感があるが、民族舞踊がその民族のアイデンティティの重要な部分を占めているのだろう。 ベオグラードのカレメグダンの丘では、日曜日に軍服姿の兵士が、それぞれの共和国の踊りの輪に加わって、ジプシーの楽師のもと踊るとの記述があった。これは、是非見てみたい。 メキシコシティでは、いまだにアステカ帝国時代の踊りを市街の中心部で力強く、夜間に踊っているのを見て、圧倒された記憶があるが、それが複数あるのかと思うと、どんな感じなのだろうか。 アルバニアには、イスラム教、ギリシア正教、キリスト教と色々な宗教が入り乱れているらしいが、世界で初めて無宗教国家を宣言したというのは面白い。民族の地の結束がより重要だということなのであろうが、ひょっとしたら家族制度を基本とする日本に近いかもしれない。アルバニア人が夫婦別姓があるのかどうか、聞いてみたくなった。
モルドバ人と言う名は、ロシアの主張で、ルーマニアは、この地方の370万人の65%がルーマニア人と主張していたらしい。チャウチェスク大統領は、ソ連からの経済援助を引き出すために、領土問題は存在しない、と言っていたが、現在は、ロシアに対して、どのような立場なのだろうか。
ところで、ロシアと言うのは、西方進出が上手く行かなくて、中国の沿海州や樺太等、東方に進出してきたという歴史がある。ウクライナに進出しているということは、かつて、日ソ不可侵条約を結んだように、当分は、東は中国や北朝鮮とおとなしくやっていこうということだと思う。だから、ウクライナ戦争が終われば、急に態度を変えるであろうし、中国や北朝鮮もそれは、織り込み済みだろう。
内容はほぼ問題ないと思う。
ロシアとルーマニアの間のモルダヴィ地方の併合問題にも似ているか。
についてちょっと補足しておく。
モルダビア地方というのはルーマニア北東部のモルドバ地方と現在のモルドバ共和国とほぼ同一のベッサラビア地方を合わせた地域を指す模様。 ソ連とルーマニアで領有権を争ったのはベッサラビア地方で、その結果ソ連解体に伴いモルドバ共和国が独立した。モルドバ人(除くマイノリティー)は自らの言語をルーマニア語とみなし、人種的にもルーマニア人と同系という意識がある。このため独立後の一時期はルーマニアへの統合という動きがあったが、いつの間にか沈静化している。理由としてはルーマニアの一部になっても所詮後進地域と差別化されるだけでたいしてうまみはないという政治的な要因が大きいと思う。総合されればEUからの補助金が得られるし西側への出稼ぎがし易くなるという利点はあるのだが。
この状況は第二次大戦直後にアルバニアがティトーよりユーゴスラビア連邦への参画を提案されたが、断って独立を選択した背景にやや似ていると思う。
ルーマニアのモルドバ地方にもチャンゴ―と呼ばれるハンガリー系の少数民族が住んでいる。本国のハンガリー人にとってはトランシルバニア地方のハンガリー人と同様かそれ以上に郷愁を感じるらしく、ブダペストでチャンゴ―民謡のコンサートに何回か行った事がある。
>> 8902
ミュンヘンで世話になったブルガリア人は『マケドニアはブルガリアだ』と断言していた。マケドニアの首都スコピエでアルバニアの民族帽子を被っていた知人は、現知人から『それをかぶるな』と言われた。
マケドニアでアルバニアの帽子をかぶるとマズイんだろう。何しろ、アルバニアは、血族間のかたき討ちの風習が依然として残っているらしい。マケドニア人とブルガリア人は、同文同種であったものの、ブルガリア人はマケドニア語をブルガリア語の方言としてしかとらえない。一方で、マケドニア語は独自の文法と文学を完成したらしいが、日本語とハングル語の違いと比べてどうなのであろうか。分からない。 マケドニアは実は、アレクサンダー大王とは人種が異なり、スラブ人。ビザンチン帝国の影響を受けて、中世にはかなり高い文化を育て、9世紀にはキリル文字をギリシャ文字から考案したとあった。ちょうど、日本が漢字から仮名文字を考案した時代だ。 そこから1,100年の歴史で、ブルガリアに100年、トルコに500年支配されて20世紀を迎える。 バルカン戦争の後、セルビア王国に編入されるが、南部はギリシア、東の一部は、ブルガリア領に組み込まれた。 第二次世界大戦が始まるまでは大セルビア主義の犠牲となったが、大セルビア主義とクロアチア民族主義と言うのが、バルカン半島には、存在して、ワケワカメ。 第二次世界大戦では、ブルガリアがマケドニアを解放したものの、その支配がセルビア支配より過酷だったので、パルチザンが誕生し、チトーの解放軍と協力し、ユーゴスラヴィア全土が解放されると、連邦共和国となったという歴史。 おそらくだが、自分達はトルコ支配に反旗をひるがえして、独立を勝ち取り、さらにブルガリアを追い出したという自負がマケドニア人にはあるのであろう。一方、ブルガリアの人口統計では、マケドニア人と言うのが存在せず、これをマケドニアは統計ジェノサイドと非難するとか。 マケドニア民族の存在を否定するブルガリアの立場に異議を挟まないのと、アドリア海へのアクセスを求めるソ連の立場に脅威を感じたユーゴスラビアが、この問題に神経質だったのは分かる。 ロシアとルーマニアの間のモルダヴィ地方の併合問題にも似ているか。
一方、コソヴォは、セルビア軍がかつてトルコ軍に滅ぼされた屈辱の地である一方、アルバニア人が人口の大部分を占めたという怪奇な運命の土地。セルヴィアはコソヴォを手放すわけにはいかないが、人口の対部分を占めるアルバニア人には、アルバニア語の使用等で配慮。 一方、ボッジャ第一書記のアルバニアは、独自の道を歩み、殆ど鎖国主義。
話は、ハンガリーに飛ぶが、ハンガリーはアジア人種に近く、ハンガリー語も西シベリアが源流とか。オーストリア・ハンガリー王国の地だったトランシルヴァニア地方がルーマニアから第二次世界大戦で一度は、取り返したものが第二次世界大戦後にまた奪われている。したがって、ハンガリー国外に住むハンガリー人は、多い。国境線の変更と言えば、ポーランドも第二次世界大戦後、東部と西部の国境が変わり、これに伴う、民族の大混乱と、ポーランド国内に残されたドイツ人の問題も存在したと初めて知った。 ルーマニアは、ナチスを自分達で追い出して、ソ連の力添えをしたとの自負があり、また、豊富な天然資源と工業化の進展で、自由化が早く進んで、チャウチェスクがあんなふうな最期を遂げたのかもしれない。ルーマニアの名前からも分かるようにダキア人がローマ人に征服されてできた国で、民族大移動の通路に当たりながら、トルコの圧政の元でもヨーロッパ文化を守ってきたとの自負があるらしい。こういう感覚は、日本人には分かりづらいと思う。 チェコスロヴァキアは、一つのまとまりだと思っていたが、スロヴァキアは、上部ハンガリーと1000年言われた過去しか有せず、1918年にオーストリアハンガリー帝国が崩壊して、初めて、登場しており、ハンガリー貴族の搾取により、チェコに比べ、工業化が遅れたとあった。 まだまだ初めて知ったことはあるが、このような複雑な民族と宗教が入り乱れる国を共産主義の名のもとに縛っていたソ連も、とどのつまりは原油や電力の安値での供給で繋ぎとめただけで、資源の切れ目が縁の切れ目になって現代にいたるのではないか。 「東欧遍歴 もうひとつのヨーロッパ」 佐久間穆 著 と言う70年後半に書かれた本であるが、この時に、コソヴォ紛争やチトー亡き後の懸念が書かれていた。 ザっと読んだだけなのと、この地域の歴史に疎いので誤りがあったら、ご指摘願いたい。
もう10年位前になるであろうか、日本人女性の大富豪がロシアの確かエルミタージュ美術館に大変な額の寄付をしてプーチンに記念式典で表彰されていた。粗野なイメージが一般的なロシアだが、芸術はレベルが高く、軍事費で困っても芸術関係の出費は削らないのではないか。バレーも同様だと思う。 現在の西側先進国の消費と言うのは、不要不急なものにお金を回していることにより成り立っているとも言える。ロシア国民が現在、戦争経済を耐えていられるのは、そのような資本主義に染まっていないからだと思う。もしかすると、耐えているという意識も希薄かもしれない。 もっとも、無駄なことにお金を使うことこそが自由であるとも言え、それらの消費社会が西側諸国と人的交流もあった東欧諸国では抑えきれずに、ベルリンの壁の崩壊に至ったのだと思う。 本日、読み終わった東欧の本では、ポーランドでの闇ドル取引や、ドル限定の店、ルーマニアやユーゴスラビア、ハンガリーで西側文化や商品の流入があり、いつまでそれを抑えきれるのか、人々の欲望を充足させることのできる経済成長を計画経済で成し遂げられるのかという危惧を70年代に東欧諸国の政権がもっていたことが伺える。ポーランドでは、売春関係のビジネスはドル限定だという記事が、70年代にポーランドの新聞に出ていたというから、恐れ入る。カトリックと共産党が共存し、そのカトリックの司教がローマ法王になった国の懐の深さであろうか。そのカトリック司教は、新興工業地域で国が金を出さないので、寄付を募って作った教会の司教だったらしい。 話をベルリンの壁に戻すと、80年代後半になると、商品や人の流入はある程度制限できても、情報は制限できなかったので起きた帰結だと思う。
食についてはあまり知られていないがロシアがいいと思っている。中央アジア然り、東と西のうまい物が融合している。日本人にとってロシアは落ちぶれた大国という印象だろうが、行ってみると文化や芸術、街並みなど様々な点で懐の深さを感じる。またポーランドの食事もいいと思うが、これはロシアの影響だと思う。 バルカンの食事は悪くないが基本的に肉料理が中心。旧ユーゴスラビア地域の国民食チャバブチチをたまに料理する。アドリア海沿岸のビーチリゾートにはイタリアンレストランが軒を連ねているが。 中華はほとんどが炒め物なので油の使い廻し状況で味が分かれる。Europaの中華はグルタミン酸というオブラートにくるまれているので、何を食べても同じ味がする。日本食については素材系であり、一部を除きうまみ系ではないと思う。
そうか、宮廷料理だったからか。納得。実は前から違和感があった。 フランスの街中のレストランは、確かにちょっと味が違う。これは、日本の味付けと違うからかと思ったが スペインやイタリアに行けば、ちょっとしたバールや街中の出店でも普通に美味しいし、寿司も美味い。 トルコ料理や中東料理は、マンハッタンに1か月くらい居候していた時に、良く近所で食べたが、美味しかったのを覚えている。
スペイン料理、イタリア料理、トルコ料理、どれもB級グルメではなく、素材の良さを活かしていたり、オリーブオイルや塩味が抜群に上手かったりする。 中華料理は、不味くはないが、一定の枠にはまっていて、素材の良さを活かすという観点では、負けているのではないかと思う。 また、ちょっとした街角のバールとか、出店で美味しいという点で、スペイン、イタリア、中東の料理に負けていると思う。
バルカン半島も民族が複雑なのは、東西の交流の要だったからであろうが、料理については、みんな美味しいものを受け入れるのに躊躇がなかったのだと思う。それと地中海と言う具だくさんと美味しい塩が取れる地域だったというのが大きな要素ではないか。 日本食が美味しいのは、水が豊富だったからで、生の素材の良さを活かす料理法が、そのため発達したのだと思う。
世界三大料理はフランス、トルコ、中国とされているが、これはかつての宮廷料理を対象にしていると思う。フランスの普通のレストランで出される料理は?なものが多い。トルコ料理はトルコ以外含めどこで何を食べてもほぼおいしい。中国の中華は店をちゃんと選べばおいしいのだろう。 一方シルクロード近辺の料理は素朴だが口に合う。中央アジア風焼飯のプロフ、中央アジア風皿うどんのラグマン、ロシア由来の串焼きシャシリック、ショルポと呼ばれるスープ類、プロフに欠かせない付け合わせサラダのアッチクチチュクなど。 様々な人種が行き交うルートに位置している経緯から、美味しいものが集まっているように思う。
シルクロードの続報を楽しみにしております。 東欧と西アジア、中東は実感がない。
まだ読み進めているところだが、1970年代、ユーゴとその周辺国もソ連がアドリア海まで進出を目指していると認識していたらしい。 プラハの春と似たようなことがあった時代のことを読むと、ホッジャの政策も理解できないこともない。 ところで アルバニアには 仇討の風習が残っているらしい。
現在のバックパッカーの聖地はトルクメニスタン。コロナ禍前迄はトランジットビザで5日間自由旅行できたが、今はそれもできず、ソ連自体同様のツアー予約をしてビザ手配する必要がある。唯一の見どころは地獄の門と呼ばれる陥没した大穴から噴き出す天然ガスに自然発火した砂漠の一画。CO2削減を考慮して閉鎖するという噂が常にある。
アゼルバイジャンもコロナ禍以来未だ陸路国境が閉鎖されており、空路のみ入国可能。
イランは相変わらず西側からの制裁によりBookin.com等ホテル予約サイトから予約ができないので、現地旅行代理店経由か直接メールして予約する必要あり。なおクレカも使えないので、USDキャッシュが必要。
来年シルクロードからEuropa迄陸路で行く予定なので、このあたりの状況を注視している。 笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
>> 8899 ミュンヘンで世話になったブルガリア人は『マケドニアはブルガリアだ』と断言していた。マケドニアの首都スコピエでアルバニアの民族帽子を被っていた知人は、現知人から『それをかぶるな』と言われた。
冷戦末期に鎖国主義を取っていたアルバニアはバックパッカーにとってある意味聖地であり、ハンガリーでビザを取得して訪問するのが一般的だった。90年代半ばに宿泊したプダペストの日本人宿にあった旅行ノートには首都ティラナの詳細な情報が手書きされていた。その翌年突然アルバニアへビザなしで行けるようになり、行ってみたら至るところブンカと呼ばれるトーチカだらけだった。これは鎖国時代にソ連が攻めてくるという妄想に囚われた当時の独裁者ホッジャが、国民に建造を奨励(義務付け?)したもの。 笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
>> 8900 高校時代、甲子園に行くときに青春18きっぷを使ったことがあるが、帰りはさすがに耐えきれず、寝台列車で帰った。 3日どころか2日連続でも使う人がいるのかと思う。 バラで使えないとなると、実質、廃止の方向と言うのがJRグループの意向か。 ポランコの宿泊場所のアップは見た記憶がないが、ネットカフェを堂々と載せれば褒めて使わす😀
別記事で読んだが新幹線の延長により第三セクター路線が増え、JRしか使えない18切符ではシームレスな旅ができない点が足枷になって来ているとの事。この改悪で益々ジリ貧に向かうだろう。金があるなら今も昔もEurailパスがベスト。
ポランコは常に一人旅だから複数人利用できなくても問題なし。しかしバラで使えずかつ日時指定というのは制約になるだろう。とりあえず3日連続を買い、今まで通りネットカフェ2泊で運用か。 笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
試合がないので東欧の歴史本を読んでいるときに、ちょうどこの地図を見つけた。 1840年の欧州とその人口らしい。 バルカン半島が、スマントルコ帝国に支配されている露土戦争前。 ブルガリアがロシアに好意的なのは、ロシアの支援で、オスマントルコ帝国から独立を果たしたからだとか、 ヨハン・シュトラウスは、美しき青きドナウと言うワルツを作曲したが、ブルガリア人は、静かなる白きドナウと呼び、 実際は、淡い褐色らしい。 オスマントルコ帝国の400年余りの支配から独立したアルバニアは、国防のために、産めよ増やせよの政策を取り、かつては、人口の70%が30歳以下であり、遠祖をイリュニアであるとし、ヨーロッパ最古の民族であると自称しているらしい。 その他、スターリン批判の批判や、ユーゴとの決別、中国との関係とか、ちょっと読んだだけで興味深い。 ブルガリアは、いまだにマケドニア人の存在を認知していないとか、ユーゴの独自の社会主義の話とか、ちょっと読んだだけで、この狭い地域に色々な話が詰まっている。 オスマントルコ帝国の支配下にあったことと、西ヨーロッパとロシアと三方に囲まれているので、キリスト教、ロシア正教、イスラム教と宗教は色々存在するが、宗教問題がかすむくらい、民族の独自の考えがぶつかり合う地域のようで こういうのが第一次世界大戦のキッカケの地だった所以であろうか。
青の掲示板は、少し前までの投稿しか検索で引っかからず、また、直近数日より前の物はアーカイブに格納されると分かりました。
ポランコが投稿を控えたから、予想もしない敵地3連勝があったのか。納得。 これは、明日も期待できるかもしれない。 自覚してオトナシクしているなら、褒めて差し上げよう。
これ迄ポランコがYoutube垂れ流しや意味なし文末語呂合わせという恥ずかしい投稿パターンを俺が注意した時のリアクションは、『俺はこのスタイルで行くんだ~』と意固地になっていた。そのくせその後パッタリとその手の投稿はなりを潜めた。つまり表面的に強がる一方、書き込み内容のくだらなさを認識した。今回はガキンチョ燥ぎを指摘したら同じ状態に陥ったようだがどうなるか。 笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
>> 8895
しばらく投稿しないとこの様になるようだ。本人は願掛けして投稿を控えておるな。ホント、分かりやすいホラ吹きザルだわな♪マンキーホラ吹き大爆笑
厄払いで、ポランコは自分の投稿を消去と言う願掛けですか?
ホラ吹きの野郎、また願掛けておるで♪
ホント、分かりやすい間抜けなだわな♪マンキー廃人大爆笑
最近、ツン読しておいた本を読んだり片付けているので、『異国の窓から』を図書館で予約した。ご推薦ありがとう。
トランプ大統領がテレビに出てくると、フロリダの光景が嫌でも目に映る。この時期でも当たり前のようにTシャツ姿で歩き回る気候に、南国の木々で囲まれた通り。アンダルシアに住むスペイン人が、フロリダは暑過ぎると言っていたが、私にはちょうどいい。いつになったら行けるか分からないが、その時には、ご招待申し上げる。
昔、フロリダの友人の別荘の隣人女性がコンサルタントで週1回、New Yorkに通っていた。もう20年位前の話である。その頃から、アメリカではリモートワークと言うのが始まっていたのだと思う。何しろ、国が広いので通信機器をフルに使おうという発想が働くのであろう。
アメリカで通勤1時間と言うと、距離にして通常、60キロくらいはあることが多い。東京圏だと、乗換の時間や駅から歩く時間、電車待ちの時間、電車が駅で停車している時間が入るので、ドアトゥードアで1時間と言うと、だいたい20キロから30キロくらいであることが多い。国が広いというのは、人間の精神構造にも大きな影響を与えると思うことが、アメリカにいると多い。まず意固地になるという発想が、なくなる。常に目の前に広がる広大な土地を眺めていると、自分がチッポケな存在であることを嫌でも認識させれるから。
『東欧遍歴もうひとつのヨーロッパ』著者佐久間穆をメルカリで見つけたので、早速購入した。冷戦後の東ヨーロッパを周遊する旅行記は多いが、たいてい内容が薄いため余り食指が動かない。しかし70年代の状況をばりばりの経歴の著者がどのように綴っているかという点でこの本に興味を持った。
こちらからはドナウの旅人の著者宮本輝が80年代にドナウ川流域まで取材に行った体験を綴った紀行文『異国の窓から』を推奨しておく。本家の『ドナウの旅人』の内容はかなりイマイチだった記憶があるが。
東欧事情の本を読んでアメリカとの差異で気づいたのは、東欧では、どうやら民族意識が宗教を超えているように見えることである。
唯一、例外と思ったのは、ポーランドでは、カトリックの勢力が強く、教会が人々の行動や団結心と深く関わっているきがするが。研究不足なので、間違っているかもしれない。あくまでも一冊の本を読んだだけの感想とご理解いただきたい。
一方、アメリカでは、今回、トランプが獲得した州を中心にして、宗教の影響が日本人には考えられないほど、大きい。キリスト教原理主義と言ってもいいと思う。
日本の田舎で村の祭りや会合があるが、アメリカではそれを教会が、それぞれの宗派ごとに分かれて行っている。
また、日曜日ともなれば、新興宗教の教祖がテレビで説話を述べるのが常態化している。
もちろん、人種差別はあるのであるが、教会ごと、グループごとに分かれるなかで、人種はごちゃ混ぜになるのが多いと認識している。
日本の地縁、血縁と言うのが、アメリカでは、大都市以外、教会の繋がりであると言える。
モルモンの人は、クリスマスパーティーでもジンジャエールで乾杯し、コカ・コーラさえ口にしないのが多数派だったりするのもその一例。コーヒーや紅茶ですらトンデモナイ。
数年前、New Yorkに行った時に、ブロードウェイ劇場前の大きなレストランのトイレが男女一緒だったのにはビックリした。
手を洗っていると隣でご婦人が化粧直しをしていたし、一緒にブロードウェイ鑑賞にでかけた女の子も近くで手を洗っている。オバマ大統領政権下で進めたLGBT推進のためだが、こんなのが敬虔なクリスチャンの多い田舎で許されるはずがない。
そんな敬虔なクリスチャンの信仰心に素直に響くトランプの言葉が、多少、失言、暴言があっても、ポリティカルコレクトネスで固めLGBTを進めるリベラル派よりも、響くのは当然であろう。
これも事実であろうが、インテリ層でもトランプ支持はいると思う。私の友人もハリス候補の次のような特徴が、無理矢理同意を求める嫌なタイプの女の特徴だと言っていた。
1)頷く回数が多く、まるで同意を求めるような仕草である。
2)表現の最後をまるで質問のような形で文章を終え、聞き手の同意を求める。
3)会話の途中に"Right?" を入れ、聞き手の同意を求める。
まあ、これがアメリカ人の総意と言うわけではないかもしれないが、ハリスは、そもそも時の権力者に上手く取り入ることで、のしあがってきた政治家である。時には女を武器にして。だからかもしれないが、部下にはめっぽう厳しく、いわゆるパワハラ上司。次の二つの記事にその様子が書かれているが、ホワイトハウスで、ハリスの元で働くと離職率が90%を超えていたという。
https://lyu1.com/211207harris-stuff-exodus/
http://totalnewsjp.com/2024/07/31/harris-66/
そもそもハリスが副大統領になれたのも、20年の大統領選の予備選挙に出た時に、勝ち目がないと思ったら、当時、サンダース上院議員の後塵を拝していたバイデンにいち早く取り入り、予備選を降りるから副大統領候補にしてくれ、と交渉したからである。
バイデンは、本来、ハリスが副大統領になれた恩人のはずなのに、バイデンが討論会の後、評判が悪くなり、自身が大統領候補になると、疫病神扱いで、さっさと一線を画してきた。先日のゴミ発言の後、それが顕著で、実際、ハリスの応援にバイデンは殆ど入らせてもらっていない。クリントンやオバマ夫妻が何度も応援入りしているのに。
あと個人的にドン引きだったのは、キリスト教徒の学生を嘲笑して追い出した件だな。
https://x.com/tweet_tokyo_web/status/1849061562964926916
https://anonymous-post.mobi/archives/53935
トランプ次期大統領は、人が殺されているのを座視できないという信条だと思う。
それにひきかえ、バイデンやハリスは、ウクライナやガザで戦闘が長引いても、当たらず触らずで、戦闘を止めさせるよりも、無難な立場を取り続け、その間に何人殺されようと関係ないという態度に見える。
ウクライナを支援するために兵器を供与するのであれば、徹底的に供与すればいいものを、中途半端に使用の制限をつけたりするところにそれが現れていると思う。
ウクライナやガザの戦闘を終わらせるために、暴言を吐いてもなんでも手段を選ばずにトランプ次期大統領は向かうことを期待する。
やはりトランプが勝った。フロリダを除きリベラルや富裕層が多そうな西海岸、東海岸北部、イリノイ州ではハリスが勝っている。トランプはそれ以外の地域の保守層や中流層以下から支持されたという事か。プーチン、ネタニヤフ、オルビーから祝電が送られているだろう。北の将軍様は傍観か。
これでウクライナ紛争が終結に向かうと思いきや、そうは問屋は卸さない。石破はトランプとどのように対峙するのだろうか。
>> 8929
テキサス州だけをバルカン半島に重ねてもこんな感じ。
テキサス州も国境線が動いた土地だし、白人とヒスパニックが入り混じって多民族共存と言えなくもないが
何しろ、人数の割に広い。
風力発電を巨大な砂漠のど真ん中で堂々とやっており、環境アセスメントがドウタラコウタラとか言う問題を聞いたことがない。
以前、アストロドームにロデオショーを観に行ったことがあるが、天井の高さに圧倒された。
ゴミ問題もアメリカではあまり聞いた事がない、何しろ、広い砂漠のどこかに捨てに行けばいいだけなんだから。
昨年、ユニバーサルスタジオに行った時、通りかかった英国人のご婦人と世間話をした時、なんでこんなにプラスチックのゴミ袋やら何やら、アメリカは使い放題なんだ、という旨の文句を言っていたが、そんなことを気にするのもフロリダ人はいない。
陽気で楽天的にもなるわけだ。
ハンガリーに移住したらアメリカへ一度は行くと思う。ヨーロッパに住んでいると国家・民族・宗教その他もろもろの軋轢から息苦しさを感じる事がある。旧市街の街並みや教会などの歴史的建造物も時として食傷気味になる。そういう時にアメリカの広大で陽気で楽天的な側面が美化されて映る。いずれにせよ、シリコンバレーのその後は見てみたい。
サンフランシスコは驚異的な住宅価格の上昇とダウンタウンの荒廃が問題となってきていると聞く。その為、隣のユタ州に多くの企業が移り始め、ユタ州ではモルモン教徒の割合が半分か 半分を切ったくらいにまでなった。ちなみに モルモン教徒は異教徒に対して寛容であり、ソフトレイククシティには、創価学会の建物まである。
初めてアメリカ旅行に行った時、何十年もサンフランシスコでミュージシャンをやっている日本人にレストランを案内してもらったが、帰りに湾の上の大きな橋を運転中に、長く住んでいて 実にいいところだと言っていたのを覚えている。
トランプが当選すれば盟友のオルビー(オルバン・ヴィクトール)も喜ぶしね。
アメリカは出張で行ったニューヨークとサンフランシスコ近郊しか知らない。以前も書いたようにニューヨークは全く肌に合わなかったので、もし住むのならシリコンバレー一択。すぐ近くで霧深いサンフランシスコから一転して太陽がふりそそぐシリコンバレーの90年代は天国に思えた。しかしあそこに住んで仕事があるうちは楽しいかもしれないが、老後になったらどうだろうかと思ってしまう。余程友人に恵まれない限り、一か月で飽きて3か月でおかしくなってしまうかもしれない。
>> 8925
ハリスは、チェイニー女史と一緒に行動していたが、これは軍産複合体とズブズブの現れだと思う。
ハリスは、イスラエルを支持するとともに、軍産複合体に取り入るのであろう。
ケネディは、軍産複合体に逆らって暗殺されたとの説があるが、トランプの暗殺未遂もその可能性があるのかもしれないと思ったりする。
トランプ大統領時代、大きな戦争がなかったのは、トランプさんは、信条として、人が殺されるのを見ていられないのがあると言う人もいる。
「ウクライナ問題をすぐにでも終わらせる」と豪語していたトランプを最初はいいと思った。でもイスラエルの全面支持を聞いた時点でハリスの方がいいかもと思うようになった。結局ハリスも金に惹かれてイスラエルを支持するだろうから、やっぱトランプでいいやと思っている。
笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
なるほど。ポリティカルコレクトネスや、セクハラ発言に通ずるところがあるかもしれない。
話はアメリカに飛ぶが、トランプ大統領の魅力は、こういったポリティカルコレクトネスお構いなしに、自分達の伝統や、信条、家族の価値観、が重要だと前面に押し出し、失言に対する批判や裁判覚悟で立ち向かうところだと思う。
年末年始をアメリカで過ごしたことは何度もあるが、ホテルのロビーでも、友人同士がパーティーで集まっても(仮にユダヤ人が混ざっていても)
Merry Christmasと言うのに、政治家や公の看板等は、段々とHappy Holidaysになったときは、かたぐるしさを感じたものだ。
トランプを支持する理由として
He is only as bas as he speaks. というのがある。
トランプに問題発言やスキャンダルがあるとしても、隠すのが下手なだけで、誰でもやっていることなんだから、それ以外の実力で評価しろ、ということだ。
バイデン大統領もいいオヤジを演じているが、過去にいろんな女を囲っていたし、危ない取引がいくらでもある。
野球も同様で、原辰徳やイチローなどは手切れ金をめぐって話題になったが、本来、話題にならないように抑えるのは球団の仕事である。
一方、リベラル派に言わせると、上記のトランプ評に対し、
That is ENOGH. と言い返してくる。
杉村太蔵と杉山元駐米大使が対話しているYouTube動画を見たが
杉山氏が言うには、トランプさんは実際に会って話してみると、人間的魅力があるとのことであるが、腑に落ちる。
https://youtu.be/dEOQbkvvo2k?si=HtHD8tiEoRpwyhIF
拉致被害者に対する対応も、かつては被害者代表夫婦がホワイトハウスまで赴き数分会っただけだったり、オバマが事務的に対応したのに比べて、メラニア夫人まで連れて、十分と時間をかけて全員と丁寧に接したりするのは、パフォーマンスを超える何かがある。
ところで、湯浅卓氏が話していたが、安倍総理にトランプ大統領が、
「今度、金正恩に会うから、拉致問題も解決してやろうか」とまで話してくれたことがあったらしい。
安倍首相は、なぜか断ったとのこと。自分で解決したかったのか、それとも、借りを作りたくなかったのか。
ポランコをポリティカルコレクトネスに準じて呼ぶとしたら、何であろうか。
掲示板のジプシー
鉄道オタク崩れ
疫病神のカマッテちゃん
知人が開催するZOOM会に常連が持ち回りで発表する場なので気楽にやっていたのだが、参加者次第で発言内容には気を付けるという事を学んだ。しかしあまり意識しすぎると他者の発表に対しても思った事を言えなくなってしまうので、難しいところはある。その辺り言い方次第というところか。
丁寧に「この人達は、いわゆるジプシーと言われるアジア系の民族で、そう大きな格差を意識せず、鋳掛け、伯楽、熊使い、楽師、占いなどをして、村から村を回って共存していると言われています。」
あたりが、妥当なところであろうか。
主題から外れた話をするときに、ジプシーは、門外漢だ、と差別的にはじき出す雰囲気になりそうなところにストップをかけたのかもしれない。
議題と議案がなんだかわかりませんが。
恐らく道端で物売りをしている人達の写真を見せて『この人達はジプシーです』と説明したら、そういう偏見に満ちた発言は控えなさいという事だったと思う。大学の教授ともなればそういう立場になるのだろうが、在住者の感覚からは事実を言った迄というところ。
ジプシーをロムと言えば良かったのかな?自らはそう呼ぶらしいし、どこかで聞いた記憶がある。
ルーマニアでは、ディガンカ、ポーランドなどスラヴ系の言葉でもチガンとかチガニ。ドイツ語では、ツィゴイナーで、語源は不可触を意味するギリシア語のアツィガノイだというのが定説。このアツィガノイと言うのは、ギリシア正教を破門された小アジアのキリスト教団の名前で、異教徒とか他所物の蔑称として用いられたが、ジプシーはその転訛した意味をひきずってヨーロッパ大陸に移ってきたというわけである。
ということは、ジプシーの存在を指摘すること自体がポリティカルコネクティネスに反する?
しかし、定住していなかったり、時々悲惨な事件も起こすわけだから、リベラル系の人の前では、住所不定のアジア系民族、とか、反グレとか言えばいいのであろうか。闇バイトみたいな組織が出来ていて、犯罪を繰り返す集団だと思う。日本は、家族制度が社会の最後の砦になっているが、それさえ、現地の民族の繋がりから断ち切られているので、せめて定住させようと政権が努力しているのかもしれない。
ポーランドがロシアを強く意識しているのは分かるが、その逆はそれ程あるのかなという感じ。まあ客観的見て日本と韓国はライバルとされるだろうが、日本の言い分は向こうが強く意識するのでこちらも意識せざるを得ないというのと同様だろう。
あと上に書いてあるItaly VS Pineapple Pizza というのはイタリア人にとってハワイピザなんてあり得ないという事か。ハワイピザは個人的に悪くないと思っている。オランダ対海はオランダで海水浴なんてあり得ないという事か。
ハンガリー人はルーマニアと同等かそれ以上にスロバキアへの意識も強い。ハンガリー人の普通にインテリの同僚は、『スロバキアは世界で最も馬〇な国の一つ』と言い放っていた。他の隣国への悪印象は現地のハンガリー人マイノリティー数に比例してセルビア、ウクライナの順に下がる。マイノリティがほぼ0のクロアチア、スロベニアに対してはニュートラル。一般的にオーストリア人とハンガリ人ーの関係は良いとされているが、多分オーストリア側からの見解。ハンガリー人にとってはハプスブルグ帝国及びオーストリア・ハンガリー二重帝国時代の経緯からそれ程単純なものではなさそう。
ロンドンのパブでドイツ対ルーマニアのEURO選手権の試合を見ていたら、ルーマニアが先制した途端にそれまで静かに観戦していた人々から拍手が巻き起こった。それを見てイギリス人のドイツへの対抗心は強いんだと改めて感じた。
>> 8917
落ち着いたら、是非、行きたい。ありがとう。
私は永住となると、やはりアメリカかな。あんな広大な、そして美しい土地をアメリカ人と流入する不法移民だけのものにしているのは、モッタイナイ。フロリダに住む友人は、手伝ってやるから、日本に住む理由がなくなったら来い、と言ってくれている。
昔、家族でニューヨークに行った時、母が、若ければ、ここに住んでもいいと思う、と数日いただけで、街の雰囲気を気に入っていた。身内が、New Yorkに住んでいたので、車で色々と回ったり、身内の知合いと触れ合ったり、普通の旅行者とは違う旅だったので、本音だと思う。
文化や伝統、食事は?と思うこともあるし、人種差別もあるが、長い歴史の伝統から来る縛りがないおかげで、常に発展し、新しいものを受け入れる気風は、自分を若くしてくれる気がする。
一方、ヨーロッパは、国ごと地方ごとに多種多様な民族、風習、宗教があり、多様性を認めるというのか、やり過ごすしかない。東欧はいったことがないので、驚きの連続だろう。アメリカも地域ごとに差異は大きいし、最近では、スペイン語も話せた方がいいが、欧州ほどの多様性はない。経済的には、言語と通貨、そして分断が進んだと言われていても共通の連邦国家であり、効率がよく、それが人々の生活水準の向上に反映されていると思う。
ハンガリーは来年のシルクロード旅の最終目的地で、その後ブダペストに永住する予定。落ち着いたら遊びにおいで。ハンガリーに初めて訪れたのは社会主義の雰囲気が色濃く残る90年夏で、暑くて埃っぽいしトラバントやラダがまき散らす排煙でゼホゼホで旅行者へのサービスレベルは低いしもう二度と来たくないと思った。その頃とはだいぶ変わったけど、当時のまんまのエリアもまだ残っている。以前とあるハンガリーに関するZOOM討論会で「この写真に写っているのはジプシーです」と発表したら、北大でハンガリーを研究している先生にポリティカルコレクトネスに考慮しなさいと怒られてしまった。
旧共産圏では全体主義という枠組みの元で民族間、宗教間の対立は抑圧されていた。クロアチア出身のティトーが70年代にクロアチア民族主義者を弾圧したので、クロアチアでは彼の話はタブーになっている。かつてマケドニアで民泊したらティトーの写真が部屋に飾られていたのにはちょっと驚いた。
冷戦時から燻っていたナゴルノカラバフ紛争が昨年秋に突然終結してしまったのは以外というか、アルメニア側から行けなくなってしまい残念。代わりにアゼルバイジャンの飛び地のナヒチェバンに行こうかと思っている。
カレメグダン公園の踊りの件は、読んだ本が70年代後半なのでその通り。現在は、どうなっているのか。ちなみにペテン師はジプシーだったか?東欧では、ジプシーが多いとの記述があった。74年のイギリスの民俗学教会の発表によると
ポーランド80万、ユーゴスラヴィア30万、チェコスロヴァキア22万6500、ルーマニア20万、ハンガリー20万、ブルガリア20万で、東欧全体だと192万人とのこと。チェコスロヴァキアの東部、ルーマニアのトランシルヴァニア地方、マケドニア共和国、ハンガリーのバラニヤ地方に多いとのこと。土地勘がないので、これがどういう意味を示しているのかは、分からないが、ポーランドは、公式には、77年に1万2千と発表しているので、社会を乱す要因と政府は捉えているのであろうか。
初めてのイタリア旅行で、レオナルドダヴィンチ空港からのバスをテルミナ駅で降りた直後、複数のジプシーの子供が手を伸ばして洋服に近づいてきたので、手に持っていた段ボールの筒で思いっきり叩いたら、ものすごい音がして駅のホールに響き、一瞬、周りがシーンとなったことがあった。フォロ・ロマーノの横を歩いていた時も、女の二人組のジプシーが近くにきて財布を狙ってきたので、思いっきり殴ってやろうとしたら、向こうも引っ掻き返そうとポーズを取り、にらみ合いになったことがあった。
その後、イタリアではサッカーワールドカップがあり、ジプシーは一掃されたと聞いたがどうなのであろうか。
前回、イタリアに行った時には、ローマはテルミニ駅で乗り換えただけだったので、街中には出ていないが、ナポリやシチリア島、そして、フィレンツェ、ミラノ等では遭遇しなかった。
東欧でも憲章77とか、人権抑圧に対する反対の声や、ジプシーに文化的な生活を送らそうという考えもあるようだが、かなり根気のいる、そしてリスクの高い仕事である。ルーマニアが1866年まではジプシーを奴隷として扱っていたとか、ナチスが数十万人のジプシーをガス室送りにしたというのも、ヨーロッパあるあるだと思わざるを得ない。とにかく彼らと街中で遭遇したら、野良犬に対するような態度で接するようにせざるを得ない。
トランシルヴァ地方の話は、興味深い。今回、本を読んだのと、投稿を読んで、俄然、マケドニアやアルバニア、コソヴォやトランシルバニア地方に行ってみたいと思うようになった。
昔、ニュージーランドで1週間がかりくらいのトラッキングに参加した時、ハンガリー人がいて、ハンガリーは、大戦に負けておかしくなったのではなく、大戦が(確か第一次世界大戦)終わった後に、共産主義者が出て来て、国がおかしくなったと、嘆いていたのを覚えている。また、ハンガリーは素晴らしい国だから、是非来てくれと、みんなに宣伝しており、それは、オーストリアハンガリー帝国の時代に比べ、世界の中の地位が下がり、相手にされなくなっている寂しさの裏返しなのだろうと感じた。ちなみに、日本人は、1回目のトレッキングでは、私の他に新婚夫婦の2人組がいた。2回目は、私一人。
3回目に、2日かけてマウントクックの雪原を歩きまわるツアーも行ったが、日本人は私一人だった。
中国も民族構成がそれなりに複雑だが、バルカン半島から中東にかけては、地続きで東西の通り道なので、その比ではないと分かった。ただ、バルカン半島は、宗教よりも民族対立、中東は、宗教対立とのイメージが強く、後者の方が、妥協点を見つけるのが難しいと思う。
これはどこの話だか忘れたが、ミサの前に食べるパン屑をワインに浸けてから口にするか、口にしてからワインに浸けるかの儀式の違いで、宗派同士で戦争が何十年も続いたりしたこともあるらしい。
一方、バルカン半島では、ハンガリー動乱、プラハの春、コソヴォ紛争のようなこともあるが、曲がりなりにも共産主義とソ連の圧力と経済援助のもと、民族間の対立も一定の妥協がなされたと言えるのではないか。第二次世界大戦の終結からソ連崩壊までの40年以上は、中東戦争のような大規模な戦火を交えることがなかったのだから。
ハンガリー語は驚くほど日本語に似ていると書いてあるガイドブックがあったが、文章で近いのは塩気が足りない事を『ショータラン』と言う位。一方で単語の同音異義語はたくさんある。ビンボー(蕾)、キーライ(王様)、バカ(軍隊の階級の一つ)、ウソダ(プール)、カキ(ウンチ)、ウンチ(甥っ子)、下ネタ系もあるが割愛、など枚挙にいとまがない。
トランシルバニア地方でハンガリー系セーケイ人が多く住んでいるのは本国から遠く東に離れたモルドバに近いセーケイランドという谷沿いの地。辺境地域の警備に配された模様で、同様の理由でドイツ系のザクセン人は南部のブラショフやシビウ近辺に多かった。チャウシェスク時代にドイツから金をとってザクセン人を帰国させた経緯もあり、現在ザクセン人の数は5万人程度だと思う。
モルドバはロシアの傀儡政権が支配しロシア軍も駐留する沿ドニエストル共和国との対峙という問題を抱えている。一時期ウクライナ南部を攻撃するロシア軍がオデッサから沿ドニエストルまで抜く回廊を確保するのではという見方があった。昨日のモルドバ大統領選挙ではロシアの大規模介入にも関わらず、EU加盟を目指す現職サンドゥ氏が勝利したとの事。
カレメグダン公園の踊りの件はユーゴスラビア解体前の話だろう。解体前に行った事があるが見なかった。サイコロを使ったペテン師にはめられて巻き上げられそうになったところを地元民に助けられた覚えがある。
チェックありがとう。
ハンガリーは、東欧諸国の中では人種的、言語的に異質であり、その為かどうか知らないが、ルーマニアとはドナウを挟み、歴史的に敵対してきたと初めて知った。また、ハンガリー語は、インド・ヨーロッパ語に属さないので、商店の看板等の類推も難しいらしい。是非、行ってみたくなった。
ハンガリーは、オーストリアハンガリー帝国時代のハンガリーの領域から3割になっているそうで、トランシルヴァ地方にも70年代で170万人が取り残されているらしい。(ほかにドイツ人が40万人と言うのも驚く。)
観光番組で東欧を取り上げると、民族舞踊が定番となっている感があるが、民族舞踊がその民族のアイデンティティの重要な部分を占めているのだろう。
ベオグラードのカレメグダンの丘では、日曜日に軍服姿の兵士が、それぞれの共和国の踊りの輪に加わって、ジプシーの楽師のもと踊るとの記述があった。これは、是非見てみたい。
メキシコシティでは、いまだにアステカ帝国時代の踊りを市街の中心部で力強く、夜間に踊っているのを見て、圧倒された記憶があるが、それが複数あるのかと思うと、どんな感じなのだろうか。
アルバニアには、イスラム教、ギリシア正教、キリスト教と色々な宗教が入り乱れているらしいが、世界で初めて無宗教国家を宣言したというのは面白い。民族の地の結束がより重要だということなのであろうが、ひょっとしたら家族制度を基本とする日本に近いかもしれない。アルバニア人が夫婦別姓があるのかどうか、聞いてみたくなった。
モルドバ人と言う名は、ロシアの主張で、ルーマニアは、この地方の370万人の65%がルーマニア人と主張していたらしい。チャウチェスク大統領は、ソ連からの経済援助を引き出すために、領土問題は存在しない、と言っていたが、現在は、ロシアに対して、どのような立場なのだろうか。
ところで、ロシアと言うのは、西方進出が上手く行かなくて、中国の沿海州や樺太等、東方に進出してきたという歴史がある。ウクライナに進出しているということは、かつて、日ソ不可侵条約を結んだように、当分は、東は中国や北朝鮮とおとなしくやっていこうということだと思う。だから、ウクライナ戦争が終われば、急に態度を変えるであろうし、中国や北朝鮮もそれは、織り込み済みだろう。
内容はほぼ問題ないと思う。
についてちょっと補足しておく。
モルダビア地方というのはルーマニア北東部のモルドバ地方と現在のモルドバ共和国とほぼ同一のベッサラビア地方を合わせた地域を指す模様。
ソ連とルーマニアで領有権を争ったのはベッサラビア地方で、その結果ソ連解体に伴いモルドバ共和国が独立した。モルドバ人(除くマイノリティー)は自らの言語をルーマニア語とみなし、人種的にもルーマニア人と同系という意識がある。このため独立後の一時期はルーマニアへの統合という動きがあったが、いつの間にか沈静化している。理由としてはルーマニアの一部になっても所詮後進地域と差別化されるだけでたいしてうまみはないという政治的な要因が大きいと思う。総合されればEUからの補助金が得られるし西側への出稼ぎがし易くなるという利点はあるのだが。
この状況は第二次大戦直後にアルバニアがティトーよりユーゴスラビア連邦への参画を提案されたが、断って独立を選択した背景にやや似ていると思う。
ルーマニアのモルドバ地方にもチャンゴ―と呼ばれるハンガリー系の少数民族が住んでいる。本国のハンガリー人にとってはトランシルバニア地方のハンガリー人と同様かそれ以上に郷愁を感じるらしく、ブダペストでチャンゴ―民謡のコンサートに何回か行った事がある。
>> 8902
マケドニアでアルバニアの帽子をかぶるとマズイんだろう。何しろ、アルバニアは、血族間のかたき討ちの風習が依然として残っているらしい。マケドニア人とブルガリア人は、同文同種であったものの、ブルガリア人はマケドニア語をブルガリア語の方言としてしかとらえない。一方で、マケドニア語は独自の文法と文学を完成したらしいが、日本語とハングル語の違いと比べてどうなのであろうか。分からない。
マケドニアは実は、アレクサンダー大王とは人種が異なり、スラブ人。ビザンチン帝国の影響を受けて、中世にはかなり高い文化を育て、9世紀にはキリル文字をギリシャ文字から考案したとあった。ちょうど、日本が漢字から仮名文字を考案した時代だ。
そこから1,100年の歴史で、ブルガリアに100年、トルコに500年支配されて20世紀を迎える。
バルカン戦争の後、セルビア王国に編入されるが、南部はギリシア、東の一部は、ブルガリア領に組み込まれた。
第二次世界大戦が始まるまでは大セルビア主義の犠牲となったが、大セルビア主義とクロアチア民族主義と言うのが、バルカン半島には、存在して、ワケワカメ。
第二次世界大戦では、ブルガリアがマケドニアを解放したものの、その支配がセルビア支配より過酷だったので、パルチザンが誕生し、チトーの解放軍と協力し、ユーゴスラヴィア全土が解放されると、連邦共和国となったという歴史。
おそらくだが、自分達はトルコ支配に反旗をひるがえして、独立を勝ち取り、さらにブルガリアを追い出したという自負がマケドニア人にはあるのであろう。一方、ブルガリアの人口統計では、マケドニア人と言うのが存在せず、これをマケドニアは統計ジェノサイドと非難するとか。
マケドニア民族の存在を否定するブルガリアの立場に異議を挟まないのと、アドリア海へのアクセスを求めるソ連の立場に脅威を感じたユーゴスラビアが、この問題に神経質だったのは分かる。
ロシアとルーマニアの間のモルダヴィ地方の併合問題にも似ているか。
一方、コソヴォは、セルビア軍がかつてトルコ軍に滅ぼされた屈辱の地である一方、アルバニア人が人口の大部分を占めたという怪奇な運命の土地。セルヴィアはコソヴォを手放すわけにはいかないが、人口の対部分を占めるアルバニア人には、アルバニア語の使用等で配慮。
一方、ボッジャ第一書記のアルバニアは、独自の道を歩み、殆ど鎖国主義。
話は、ハンガリーに飛ぶが、ハンガリーはアジア人種に近く、ハンガリー語も西シベリアが源流とか。オーストリア・ハンガリー王国の地だったトランシルヴァニア地方がルーマニアから第二次世界大戦で一度は、取り返したものが第二次世界大戦後にまた奪われている。したがって、ハンガリー国外に住むハンガリー人は、多い。国境線の変更と言えば、ポーランドも第二次世界大戦後、東部と西部の国境が変わり、これに伴う、民族の大混乱と、ポーランド国内に残されたドイツ人の問題も存在したと初めて知った。
ルーマニアは、ナチスを自分達で追い出して、ソ連の力添えをしたとの自負があり、また、豊富な天然資源と工業化の進展で、自由化が早く進んで、チャウチェスクがあんなふうな最期を遂げたのかもしれない。ルーマニアの名前からも分かるようにダキア人がローマ人に征服されてできた国で、民族大移動の通路に当たりながら、トルコの圧政の元でもヨーロッパ文化を守ってきたとの自負があるらしい。こういう感覚は、日本人には分かりづらいと思う。
チェコスロヴァキアは、一つのまとまりだと思っていたが、スロヴァキアは、上部ハンガリーと1000年言われた過去しか有せず、1918年にオーストリアハンガリー帝国が崩壊して、初めて、登場しており、ハンガリー貴族の搾取により、チェコに比べ、工業化が遅れたとあった。
まだまだ初めて知ったことはあるが、このような複雑な民族と宗教が入り乱れる国を共産主義の名のもとに縛っていたソ連も、とどのつまりは原油や電力の安値での供給で繋ぎとめただけで、資源の切れ目が縁の切れ目になって現代にいたるのではないか。
「東欧遍歴 もうひとつのヨーロッパ」 佐久間穆 著 と言う70年後半に書かれた本であるが、この時に、コソヴォ紛争やチトー亡き後の懸念が書かれていた。
ザっと読んだだけなのと、この地域の歴史に疎いので誤りがあったら、ご指摘願いたい。
もう10年位前になるであろうか、日本人女性の大富豪がロシアの確かエルミタージュ美術館に大変な額の寄付をしてプーチンに記念式典で表彰されていた。粗野なイメージが一般的なロシアだが、芸術はレベルが高く、軍事費で困っても芸術関係の出費は削らないのではないか。バレーも同様だと思う。
現在の西側先進国の消費と言うのは、不要不急なものにお金を回していることにより成り立っているとも言える。ロシア国民が現在、戦争経済を耐えていられるのは、そのような資本主義に染まっていないからだと思う。もしかすると、耐えているという意識も希薄かもしれない。
もっとも、無駄なことにお金を使うことこそが自由であるとも言え、それらの消費社会が西側諸国と人的交流もあった東欧諸国では抑えきれずに、ベルリンの壁の崩壊に至ったのだと思う。
本日、読み終わった東欧の本では、ポーランドでの闇ドル取引や、ドル限定の店、ルーマニアやユーゴスラビア、ハンガリーで西側文化や商品の流入があり、いつまでそれを抑えきれるのか、人々の欲望を充足させることのできる経済成長を計画経済で成し遂げられるのかという危惧を70年代に東欧諸国の政権がもっていたことが伺える。ポーランドでは、売春関係のビジネスはドル限定だという記事が、70年代にポーランドの新聞に出ていたというから、恐れ入る。カトリックと共産党が共存し、そのカトリックの司教がローマ法王になった国の懐の深さであろうか。そのカトリック司教は、新興工業地域で国が金を出さないので、寄付を募って作った教会の司教だったらしい。
話をベルリンの壁に戻すと、80年代後半になると、商品や人の流入はある程度制限できても、情報は制限できなかったので起きた帰結だと思う。
食についてはあまり知られていないがロシアがいいと思っている。中央アジア然り、東と西のうまい物が融合している。日本人にとってロシアは落ちぶれた大国という印象だろうが、行ってみると文化や芸術、街並みなど様々な点で懐の深さを感じる。またポーランドの食事もいいと思うが、これはロシアの影響だと思う。
バルカンの食事は悪くないが基本的に肉料理が中心。旧ユーゴスラビア地域の国民食チャバブチチをたまに料理する。アドリア海沿岸のビーチリゾートにはイタリアンレストランが軒を連ねているが。
中華はほとんどが炒め物なので油の使い廻し状況で味が分かれる。Europaの中華はグルタミン酸というオブラートにくるまれているので、何を食べても同じ味がする。日本食については素材系であり、一部を除きうまみ系ではないと思う。
そうか、宮廷料理だったからか。納得。実は前から違和感があった。
フランスの街中のレストランは、確かにちょっと味が違う。これは、日本の味付けと違うからかと思ったが
スペインやイタリアに行けば、ちょっとしたバールや街中の出店でも普通に美味しいし、寿司も美味い。
トルコ料理や中東料理は、マンハッタンに1か月くらい居候していた時に、良く近所で食べたが、美味しかったのを覚えている。
スペイン料理、イタリア料理、トルコ料理、どれもB級グルメではなく、素材の良さを活かしていたり、オリーブオイルや塩味が抜群に上手かったりする。
中華料理は、不味くはないが、一定の枠にはまっていて、素材の良さを活かすという観点では、負けているのではないかと思う。
また、ちょっとした街角のバールとか、出店で美味しいという点で、スペイン、イタリア、中東の料理に負けていると思う。
バルカン半島も民族が複雑なのは、東西の交流の要だったからであろうが、料理については、みんな美味しいものを受け入れるのに躊躇がなかったのだと思う。それと地中海と言う具だくさんと美味しい塩が取れる地域だったというのが大きな要素ではないか。
日本食が美味しいのは、水が豊富だったからで、生の素材の良さを活かす料理法が、そのため発達したのだと思う。
世界三大料理はフランス、トルコ、中国とされているが、これはかつての宮廷料理を対象にしていると思う。フランスの普通のレストランで出される料理は?なものが多い。トルコ料理はトルコ以外含めどこで何を食べてもほぼおいしい。中国の中華は店をちゃんと選べばおいしいのだろう。
一方シルクロード近辺の料理は素朴だが口に合う。中央アジア風焼飯のプロフ、中央アジア風皿うどんのラグマン、ロシア由来の串焼きシャシリック、ショルポと呼ばれるスープ類、プロフに欠かせない付け合わせサラダのアッチクチチュクなど。
様々な人種が行き交うルートに位置している経緯から、美味しいものが集まっているように思う。
シルクロードの続報を楽しみにしております。
東欧と西アジア、中東は実感がない。
まだ読み進めているところだが、1970年代、ユーゴとその周辺国もソ連がアドリア海まで進出を目指していると認識していたらしい。
プラハの春と似たようなことがあった時代のことを読むと、ホッジャの政策も理解できないこともない。
ところで アルバニアには 仇討の風習が残っているらしい。
現在のバックパッカーの聖地はトルクメニスタン。コロナ禍前迄はトランジットビザで5日間自由旅行できたが、今はそれもできず、ソ連自体同様のツアー予約をしてビザ手配する必要がある。唯一の見どころは地獄の門と呼ばれる陥没した大穴から噴き出す天然ガスに自然発火した砂漠の一画。CO2削減を考慮して閉鎖するという噂が常にある。
アゼルバイジャンもコロナ禍以来未だ陸路国境が閉鎖されており、空路のみ入国可能。
イランは相変わらず西側からの制裁によりBookin.com等ホテル予約サイトから予約ができないので、現地旅行代理店経由か直接メールして予約する必要あり。なおクレカも使えないので、USDキャッシュが必要。
来年シルクロードからEuropa迄陸路で行く予定なので、このあたりの状況を注視している。
笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
>> 8899
ミュンヘンで世話になったブルガリア人は『マケドニアはブルガリアだ』と断言していた。マケドニアの首都スコピエでアルバニアの民族帽子を被っていた知人は、現知人から『それをかぶるな』と言われた。
冷戦末期に鎖国主義を取っていたアルバニアはバックパッカーにとってある意味聖地であり、ハンガリーでビザを取得して訪問するのが一般的だった。90年代半ばに宿泊したプダペストの日本人宿にあった旅行ノートには首都ティラナの詳細な情報が手書きされていた。その翌年突然アルバニアへビザなしで行けるようになり、行ってみたら至るところブンカと呼ばれるトーチカだらけだった。これは鎖国時代にソ連が攻めてくるという妄想に囚われた当時の独裁者ホッジャが、国民に建造を奨励(義務付け?)したもの。
笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
>> 8900
高校時代、甲子園に行くときに青春18きっぷを使ったことがあるが、帰りはさすがに耐えきれず、寝台列車で帰った。
3日どころか2日連続でも使う人がいるのかと思う。
バラで使えないとなると、実質、廃止の方向と言うのがJRグループの意向か。
ポランコの宿泊場所のアップは見た記憶がないが、ネットカフェを堂々と載せれば褒めて使わす😀
別記事で読んだが新幹線の延長により第三セクター路線が増え、JRしか使えない18切符ではシームレスな旅ができない点が足枷になって来ているとの事。この改悪で益々ジリ貧に向かうだろう。金があるなら今も昔もEurailパスがベスト。
ポランコは常に一人旅だから複数人利用できなくても問題なし。しかしバラで使えずかつ日時指定というのは制約になるだろう。とりあえず3日連続を買い、今まで通りネットカフェ2泊で運用か。
笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
試合がないので東欧の歴史本を読んでいるときに、ちょうどこの地図を見つけた。
1840年の欧州とその人口らしい。
バルカン半島が、スマントルコ帝国に支配されている露土戦争前。
ブルガリアがロシアに好意的なのは、ロシアの支援で、オスマントルコ帝国から独立を果たしたからだとか、
ヨハン・シュトラウスは、美しき青きドナウと言うワルツを作曲したが、ブルガリア人は、静かなる白きドナウと呼び、
実際は、淡い褐色らしい。
オスマントルコ帝国の400年余りの支配から独立したアルバニアは、国防のために、産めよ増やせよの政策を取り、かつては、人口の70%が30歳以下であり、遠祖をイリュニアであるとし、ヨーロッパ最古の民族であると自称しているらしい。
その他、スターリン批判の批判や、ユーゴとの決別、中国との関係とか、ちょっと読んだだけで興味深い。
ブルガリアは、いまだにマケドニア人の存在を認知していないとか、ユーゴの独自の社会主義の話とか、ちょっと読んだだけで、この狭い地域に色々な話が詰まっている。
オスマントルコ帝国の支配下にあったことと、西ヨーロッパとロシアと三方に囲まれているので、キリスト教、ロシア正教、イスラム教と宗教は色々存在するが、宗教問題がかすむくらい、民族の独自の考えがぶつかり合う地域のようで
こういうのが第一次世界大戦のキッカケの地だった所以であろうか。
青の掲示板は、少し前までの投稿しか検索で引っかからず、また、直近数日より前の物はアーカイブに格納されると分かりました。
ポランコが投稿を控えたから、予想もしない敵地3連勝があったのか。納得。
これは、明日も期待できるかもしれない。
自覚してオトナシクしているなら、褒めて差し上げよう。
これ迄ポランコがYoutube垂れ流しや意味なし文末語呂合わせという恥ずかしい投稿パターンを俺が注意した時のリアクションは、『俺はこのスタイルで行くんだ~』と意固地になっていた。そのくせその後パッタリとその手の投稿はなりを潜めた。つまり表面的に強がる一方、書き込み内容のくだらなさを認識した。今回はガキンチョ燥ぎを指摘したら同じ状態に陥ったようだがどうなるか。
笑🤷♂️🤷♀️🤷🤦♂️🤦♀️🤦
>> 8895
しばらく投稿しないとこの様になるようだ。本人は願掛けして投稿を控えておるな。ホント、分かりやすいホラ吹きザルだわな♪マンキーホラ吹き大爆笑
厄払いで、ポランコは自分の投稿を消去と言う願掛けですか?
ホラ吹きの野郎、また願掛けておるで♪
ホント、分かりやすい間抜けなだわな♪マンキー廃人大爆笑