1960東大理化卒同期生

御難、水難 / 1

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Yamagata 2017/12/29 (金) 09:57:07 ab5f4@42c01

YOさんは何だか水難の相に取り憑かれていますね。お気の毒です。

ぼくが被害者になったのは中国にいたときに2回だけで、あとは、住宅公団にいたときに1回、名古屋大学では大洪水を1回惹き起し、東京工業大学では階下に2回水漏れを起こした時の加害者でした。いまは知りませんが、あの頃の日本のコンクリート建築は、床がザルでした。

40歳の頃、青葉台の住宅公団の5階に住んでいました。最上階なので階上からの音もなし、水漏れもなしなのですが、小さな住宅で、洗濯機はトイレと風呂場の間の狭い廊下に置くしかなく、風呂場から給水、そして排水管は風呂場の敷居をまたいで風呂場のタイル越しに風呂場に水を捨てていたのです。

日曜日の朝、寝坊をして寝起きのまま洗濯機を回しはじめてから、歯を磨きながらトイレと風呂場の間の狭い空間をウロウロしていたら、排水管を足で引っ掛けて、排水が廊下に溢れ出てしまいました。

もちろんすぐに排水管を戻し、傍にかかっていたタオルを投入して、更にタオルを出してきて床の水を吸収しようと努めました。でももう、そのときには下の階の奥さんが階段を上がってきてうちのドアを開けていました。「水が漏っていますよ!」

ぼくは、まだパジャマのまま、しかも、股のところが裂けたままのパジャマのズボンを履いて、尻を玄関に向けて床を拭いていたのです。ぼくは、忙しいのと恥ずかしいのとで後ろを振り向けませんでした。

それ以来、股の裂けたパジャマのズボンを履くことは二度とありません。

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