SNSって見ていてどんどん馬鹿になっていく気がする。情報量は莫大なのに。
まるで世界は自分の手のひらのなかにおさまるかのように感じてしまいますね
たしかに、その気持ちは分からなくないです。SNS見るよりも本読んでる方が欲しい情報会ったりしますもんね!
情報は偶発的に巡り会うもので、無理やり探そうとしても無駄だと思いました。SNSでも本でも、うまく使える人も使えない人もいる。
その通りですね。向き不向きがあるのにも関わらず、そのバーチャルな場所に定期的に登場することが義務付けられているような風潮には、初めから疑問を抱いていました。
snsで欲しい情報は本に載ってるような情報では無いなぁ。電車の遅延とか当日券あるのかとかタイムリーなこと。sns使ってる人は限られているからそれが全てだと信用しすぎると危ない。
SNSは金儲けのためのツールだよ。フォロワー140万人とかの有名人に、企業が広告費出して宣伝してもらってるだけじゃん
うん、確実に馬鹿になってきてる いらない情報が多すぎて疲れる
そうなんです。そして、中毒性があります。 読書との比較はあまり的を得ていませんが、時間の意識的な使い方という意味ではもちろん一考の価値があります。 私は潔く身を引き、心の平穏を求めることを選びました。
平穏は手に入りましたか。
いいね! てな
9さんへ。snsを辞めて得られる心の平穏は程度が知れていますが、少なくとも、毎朝Facebookを開け、他人のあれこれを見るルーティーンによる気怠さからは解放されました。
そういう意味では、平穏に近づいた(または、戻った)という表現があっているかもしれません。
情報にまみれることで心の平穏を得てる人もいそうだけどね
それは一理ある
でも、知らないことって、怖いなって思うときある。
SNSでないと知ることができず、命に関わるような情報があるのでしょうか。災害時のことですか?何が怖いのでしょうか。
多分だけど、共通のタイムリーな話題を持つことで安心するんだろうね
でた!シェア!共有!
そしていいねだよね
SNSってやめられないんだよねぇ
すごく魅力的ということか
魅力的というか気休めか
少し疑問に思ったのですが、ここで話されているのは”情報源”としてのsnsなのか、"交友関係維持ツール”としてのsnsなのか、どちらなのですか?また、皆さんはこの二つをどう区別されているのですか?
わたしは情報源かな
なるほど、それは具体的に何というsnsですか?(Twitterのこと?)もともと、ソーシャルネットワークサービスとして、人々の繋がりを目的として始まったものが、新聞やラジオ、ましてや個々のウェブサイトやニュースサイトにまで勝る情報源になりつつあるということですね?
自分の認識するSNSはどっちも混ざってるから、あまり区別できない 見たくないものだって見てしまうのがSNSじゃない?
ここで言うSNSはFacebook、twitter、instagramの3つのことでいいのですか?そうですね。見たくないもののほうが、見たいものより圧倒的に多い気もしますが。
この当時(2001年)から随分と状況が変わりましたね。時が変わっても、人が人と繋がっていたい気持ちは一緒で、問題は、その方法です。
なんで誰にも強制されていないのに気だるさ感じるんだろう 病気なのか
気だるさの程度によっては、辞めることをご一考してみては! ある意味、病気、というか菌なのだと思います。だんだん免疫のできてゆく人もいれば、どうしても身体が受け付けない人もいるような。そしてアレルギーのように、突然発症して拒絶反応を起こしてしまう人も、これから出てくるのでは?
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SNSって見ていてどんどん馬鹿になっていく気がする。情報量は莫大なのに。
まるで世界は自分の手のひらのなかにおさまるかのように感じてしまいますね
たしかに、その気持ちは分からなくないです。SNS見るよりも本読んでる方が欲しい情報会ったりしますもんね!
情報は偶発的に巡り会うもので、無理やり探そうとしても無駄だと思いました。SNSでも本でも、うまく使える人も使えない人もいる。
その通りですね。向き不向きがあるのにも関わらず、そのバーチャルな場所に定期的に登場することが義務付けられているような風潮には、初めから疑問を抱いていました。
snsで欲しい情報は本に載ってるような情報では無いなぁ。電車の遅延とか当日券あるのかとかタイムリーなこと。sns使ってる人は限られているからそれが全てだと信用しすぎると危ない。
SNSは金儲けのためのツールだよ。フォロワー140万人とかの有名人に、企業が広告費出して宣伝してもらってるだけじゃん
うん、確実に馬鹿になってきてる
いらない情報が多すぎて疲れる
そうなんです。そして、中毒性があります。
読書との比較はあまり的を得ていませんが、時間の意識的な使い方という意味ではもちろん一考の価値があります。
私は潔く身を引き、心の平穏を求めることを選びました。
平穏は手に入りましたか。
いいね!
てな
9さんへ。snsを辞めて得られる心の平穏は程度が知れていますが、少なくとも、毎朝Facebookを開け、他人のあれこれを見るルーティーンによる気怠さからは解放されました。
そういう意味では、平穏に近づいた(または、戻った)という表現があっているかもしれません。
情報にまみれることで心の平穏を得てる人もいそうだけどね
それは一理ある
でも、知らないことって、怖いなって思うときある。
SNSでないと知ることができず、命に関わるような情報があるのでしょうか。災害時のことですか?何が怖いのでしょうか。
多分だけど、共通のタイムリーな話題を持つことで安心するんだろうね
でた!シェア!共有!
そしていいねだよね
SNSってやめられないんだよねぇ
すごく魅力的ということか
魅力的というか気休めか
少し疑問に思ったのですが、ここで話されているのは”情報源”としてのsnsなのか、"交友関係維持ツール”としてのsnsなのか、どちらなのですか?また、皆さんはこの二つをどう区別されているのですか?
わたしは情報源かな
なるほど、それは具体的に何というsnsですか?(Twitterのこと?)もともと、ソーシャルネットワークサービスとして、人々の繋がりを目的として始まったものが、新聞やラジオ、ましてや個々のウェブサイトやニュースサイトにまで勝る情報源になりつつあるということですね?
自分の認識するSNSはどっちも混ざってるから、あまり区別できない
見たくないものだって見てしまうのがSNSじゃない?
ここで言うSNSはFacebook、twitter、instagramの3つのことでいいのですか?そうですね。見たくないもののほうが、見たいものより圧倒的に多い気もしますが。
この当時(2001年)から随分と状況が変わりましたね。時が変わっても、人が人と繋がっていたい気持ちは一緒で、問題は、その方法です。
なんで誰にも強制されていないのに気だるさ感じるんだろう
病気なのか
気だるさの程度によっては、辞めることをご一考してみては!
ある意味、病気、というか菌なのだと思います。だんだん免疫のできてゆく人もいれば、どうしても身体が受け付けない人もいるような。そしてアレルギーのように、突然発症して拒絶反応を起こしてしまう人も、これから出てくるのでは?