批評家 という職業はどういうためにあるの? 美術批評家というのもいるけどダンス批評家とは、、、 また、美術批評家にはダンスは批評されないのか?
一昔前は、お客さんのナビゲーター的な役割を担ってたって聞いたことある
正直、今のままじゃ厳しいんじゃね。。シーンが閉鎖的すぎて、一般人の入る余地なし 美術批評家は畑違い感ある
お互い成長って言うか、批評家と作家が切磋琢磨できるような環境って作れないのかなー
ダンス批評家あるある
・一方的な妄想ブッコミがち ・「え?招待扱いでしょ?」という顔 ・終演後、100%聞き役に徹するダンサー ・たまに飛び出すトンデモ発言 ・若手批評家いなさすぎ
そのとおりですね
批評家ってどこから批評家って名乗れるんだろう 名乗ったもんがちならダンサーから批評家に転身する人とかいっぱいいてもいいのになあ
ダンサーから批評家になった人が少ない、というのが現状だと思い、そこにダンス(ダンサー)との距離感の原因があるように思ったりします。
確かにそうですね、その距離を埋めるにはどうしたらよいものか
ダンサー側が積極的に言葉にすることも必要だよねぇー まぁダンスやったことない批評家ならではの目線も大事だし、その良さもあるっちゃある
ダンスの批評家さんが言った言葉は、ダンスの世界でしか響かないじゃない? だから、ダンスを知ってる人ってダンスの世界の人しかいないよね。 じゃあ批評家の人たちが軽い気持ちではなく、ちゃんと素直に色んなことを考えて切磋琢磨して書いたであろう、あの言葉たちは誰が見るの? 数の少ないダンスの世界の住民たち? その人たちのなかで、「あの人はああ言われてたからすごい!私もああ言ってもらえるように頑張ろう!」とか言い合うの?それって、書かれた文章の本当の目的なのかしら。
批評=よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること。
その価値を伝えたいのは業界内の人たち?そこに伝えて何か変わるものがあるのかな?
観客もダンサーも批評を拠り所にせずに自分の目を信じて好きなものを応援できたらいいね。 でもそれって淘汰されることのない、個々のダンスがそれぞれ乱立する状態。 それじゃ業界は活性化しないのかしら?
業界を盛り上げるためのカリスマ、トップを走り続ける人を生むために批評がある、のか? 淘汰と渇望、それともいわゆるダンス業界の外へリーチアウトするための宣伝?
批評家の目に触れることが、淘汰されていくものなのか。 それとも、単純に見てくれる人に触れて淘汰されていくのか。 こうなると、もう自分たちで選んでいくしかないのかな? カリスマ・トップにしても少数の知識人が知識を元に評価したものか、多数の一般人が何となくの感覚で良いと思ったものか。
批評家自身、誰に向けて書くかも重要だと思います 観劇した人々や作家へ向ける言葉と合わせて、ある程度外側(業界の外)を取り込もうとする貧欲な姿勢も必要かと。このままだと現状維持どころか、衰退していく予感がします
http://www.realtokyo.co.jp/whatwedo/
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美術批評家というのもいるけどダンス批評家とは、、、
また、美術批評家にはダンスは批評されないのか?
一昔前は、お客さんのナビゲーター的な役割を担ってたって聞いたことある
正直、今のままじゃ厳しいんじゃね。。シーンが閉鎖的すぎて、一般人の入る余地なし
美術批評家は畑違い感ある
お互い成長って言うか、批評家と作家が切磋琢磨できるような環境って作れないのかなー
ダンス批評家あるある
・一方的な妄想ブッコミがち
・「え?招待扱いでしょ?」という顔
・終演後、100%聞き役に徹するダンサー
・たまに飛び出すトンデモ発言
・若手批評家いなさすぎ
そのとおりですね
批評家ってどこから批評家って名乗れるんだろう
名乗ったもんがちならダンサーから批評家に転身する人とかいっぱいいてもいいのになあ
ダンサーから批評家になった人が少ない、というのが現状だと思い、そこにダンス(ダンサー)との距離感の原因があるように思ったりします。
確かにそうですね、その距離を埋めるにはどうしたらよいものか
ダンサー側が積極的に言葉にすることも必要だよねぇー
まぁダンスやったことない批評家ならではの目線も大事だし、その良さもあるっちゃある
ダンスの批評家さんが言った言葉は、ダンスの世界でしか響かないじゃない?
だから、ダンスを知ってる人ってダンスの世界の人しかいないよね。
じゃあ批評家の人たちが軽い気持ちではなく、ちゃんと素直に色んなことを考えて切磋琢磨して書いたであろう、あの言葉たちは誰が見るの?
数の少ないダンスの世界の住民たち?
その人たちのなかで、「あの人はああ言われてたからすごい!私もああ言ってもらえるように頑張ろう!」とか言い合うの?それって、書かれた文章の本当の目的なのかしら。
批評=よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること。
その価値を伝えたいのは業界内の人たち?そこに伝えて何か変わるものがあるのかな?
観客もダンサーも批評を拠り所にせずに自分の目を信じて好きなものを応援できたらいいね。
でもそれって淘汰されることのない、個々のダンスがそれぞれ乱立する状態。
それじゃ業界は活性化しないのかしら?
業界を盛り上げるためのカリスマ、トップを走り続ける人を生むために批評がある、のか?
淘汰と渇望、それともいわゆるダンス業界の外へリーチアウトするための宣伝?
批評家の目に触れることが、淘汰されていくものなのか。
それとも、単純に見てくれる人に触れて淘汰されていくのか。
こうなると、もう自分たちで選んでいくしかないのかな?
カリスマ・トップにしても少数の知識人が知識を元に評価したものか、多数の一般人が何となくの感覚で良いと思ったものか。
批評家自身、誰に向けて書くかも重要だと思います
観劇した人々や作家へ向ける言葉と合わせて、ある程度外側(業界の外)を取り込もうとする貧欲な姿勢も必要かと。このままだと現状維持どころか、衰退していく予感がします
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