のらてつの雑記帳

Web記事感想 / 21

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noratetsu 2023/04/20 (木) 09:54:12
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    noratetsu 2023/04/20 (木) 09:58:08 修正 >> 21

    ぼくたちの望みの多くは言葉にできる形なんかしていないのではないか。「夢」や「やりたいこと」として具体的な言葉にできる望みの方が、むしろ例外なのではないか。

    「将来の夢は?」と問うて「具体的な職業名」を答えさせるとか、「何を成し遂げたいか?」を言わせるとか、社会に貢献する方法で自分を定義しようとする感じがする。でも自分の望みというのはふつう「社会に貢献する方法」の中にはないのだと思う。
    如何にも利他的な職種や手段でなくとも、余程の野心家でなければ、思い描くのは人に良い影響をもたらしうる何かだろうと思う。それはやはり「社会に貢献する方法」の中から最も自分が惹かれるものを選んでいるということになると思う。

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    noratetsu 2023/04/20 (木) 10:16:08 >> 21

    それを読み返していて気づくのは、少なくともぼくの場合、望みの多くは名前がつけられるような具体的な行動や成果なんかではなく、ぼんやりした「情景」の形で存在しているということだ。

    「夢」や「やりたいこと」がうまく言葉にできないという人の中にも、この種の「情景」ならあるという人はいるんじゃないかと思っている。

    自分に最適な「社会に貢献する方法」が見つからない状態を「夢がわからない」と思ってしまうのは、まさに私自身がそうだったが、多分ただただ不幸な苦しみなのだろうと思う。自分に何か欠陥があるかのような気持ちになった。空っぽという感じがした。
    今でも所謂「夢」とか「やりたいこと」というのは別にない。ひねり出そうとしてこれかなと言うことはあるが、正直に言えば「ない」と言っていいと思う。
    でも、自分がどういう人間であるかを語る力はそんなに乏しくないと思う。これだけ色々言えるのに、どうして自分が空っぽだとか欠陥があるとかいうことになるんだろう? 途中からそう思い始めた。

    多分私も、Tak.さんが仰るような「『情景』ならある」タイプの人間なのだと思う。
    自分の望みに名前はつけられないし、「名前がつけられないタイプの望み」という概念をピッと指し示す名前も無いような気がする。
    望みに名前をつけたいわけではない。でも、名前がつかないことによって遠回りする必要に迫られたというところはあるのだと思う。