坂本:もともとアメリカ人の気質としては、国というのはちいさくていい、みんなばらばら、州単位でいい、という感じなんです。ふだんは「お国のために」なんて考えない。ましてや遠いヨーロッパ大陸とか、世界のほかの国のことなんか知ったこっちゃない、というのがアメリカ人なんですが、ときどきぐっと団結するんですよ。それが米西戦争、ベトナム戦争、そして9.11。そのうちふたつはアメリカ政府の自作自演ではじまっている。
だからといって9.11も自作自演だとはいえませんけれど、一晩にして、ニューヨークというアメリカのなかで一、二を争うリベラルな街の人たちがぐっと愛国主義に傾いた。こわかったです。
坂本:ナチスも1939年のポーランド侵攻をきっかけに戦争をはじめるわけですけど、その名目はポーランドにいる自国民を救うため、ということだったんですよ。「自分たちの仲間があぶない目に遭っているからそれを救いだしにいくんだ」といって攻めいった。
大義名分というのはかならずそうなんです。なにか犠牲があって、わっと集まる。このあいだのボストンマラソンのテロ(2013年4月16日)もほんとうに不可解で目的もよくわかりませんが、結果的にあれのせいでアメリカ人の4割が「公民権が多少制限されてでもテロ対策をしてもらったほうがいい」と答えているんです。あの個人主義のアメリカ人が、ですよ。だからほんとうにきくんですよね、ああいうのって。統治する側からいえば、ああいうできごとがちょっとあると。
日本でもテロが「本当に起こること」になりつつあるが、先日の岸田首相を襲った件に対する反応を見ても本当に危ういと感じる。
秘密にするのは簡単だが、クリアにするのは難しい。「ちょうどよい秘密さ」なんてものはなく、秘密にしていいとなったら果てしなく秘密にされる。
統治者という存在の恐ろしさを日本はよく知っているはずなのに、一件二件のショッキングな出来事でワーッとなってしまうのは、戦争のことをもうほとんど忘れてしまったということかなと思う。