解釈ができないことの理由が経験則とかどこで言ってる?
なんでって?
詠み人はボクシングの例、問題ないと思ってるの?だとしたらなんで?
違和感の少ない解釈を重視すべきってのなら「喧嘩をしましょう」を選ぶべきってことですか?
「喧嘩でみせろ」の意を汲み取れなかった受け手のことをバカにしてるわけで。発信者側にその理屈が適応されるとは思わないけど。
ある親子がいて、外は雨が降ってます。息子が傘を持たずに外に出ようとして「雨降ってるよ」と傘を持っていけと読み取れるような話をしたとします。
息子は「降ってるね」とだけ返しました。
この場合違和感の少ない解釈すべきって前提で、受け手側の解釈を非難するのなら、同様に発信者が「雨降ってる」ではなく「傘を持っていけ」と言えよ。って話だろうけど、発信者側の話はしてません。
この場合は息子がバカです。
で、「同様」ってどの観点、抽象度での話?
仮に同様に成立するとしたら何?
・A「喧嘩で見せろ」→意図が読み取れない可能性が上がる
・B「喧嘩しましょう」→意図は確実に読み取れる
だからこの理屈だとBにしろってことでしょ?w
「複数の解釈」とか言ってるけど、お前の解釈は違和感ありありなんだってば...
「拾いやすい・発展しやすい」「喧嘩に発展するまでの段取りをなるべく短縮して合理化したい」とか書かれてないんだって、そこで別に共通認識とろうとはしてない。
「拾いやすい」とか「合理的」は俺にとってこっちのがこういうメリットがあるしなーって言ってるのに過ぎないわけで、それを押し付けてるわけでもないので拾わなくていい。
問題はそこじゃないのよ。俺の経験則を流すのはおかしい!とか言ってる訳じゃないのよ...
詠み人「違和感少ない解釈を重視すべきってのなら、喧嘩しよう!って書いとけよ」
俺「喧嘩しようは嫌だよ。経験的に発展しにくいし。実力を見せてのが拾いやすいからねー」
詠み人「拾いやすいって前提として喧嘩したいという意図がないと成り立たない。」
問題視してるのは、詠み人の「拾いやすいというのは喧嘩する意図があるという前提がないと成り立たない」
ここなんだよ...俺は最初から詠み人が喧嘩をしたい!という意図の有無は置いてないのよ。あるかどうかとかめちゃくちゃどうでもいいわけ。
客を家に招くとき水を置く理由として「乾いた喉を潤すため」と言いました。これ客の意図がなくても成り立ちますよね?
客が水を飲まなくてもこの発言はおかしくないですよね?
ラーメン二郎でエプロンを置いてる理由は「食べるときに服を汚さないようにするためです」って客の汚したくない!って意図は関係ないですよね?
お前はそのレベルの発言を拾って、
詠み人「前提がないと成り立たない」
俺「こういう理由で成り立つじゃん。」
詠み人「ふーん、そうなんだで終わる話」
...って開いた口が塞がらないですが。
どこで足踏みしてるねん。うどんでも捏ねるのか?
自分から経験則で終わる話を拾って「成り立たない!」とかがいじムーブかましといて、そこに反論されたら「どうでもいい」って腰抜けますわ。
喧嘩しようって書いとけよ→え~嫌だよ。喧嘩で見せて、のが発展しやすいし!→そうなんだ。
これで終わっとけば良かったのに「前提がないと成り立たない!」とか破綻するような発言をしたせいで、俺に銃をこめかみにつきつけられてんだよ。なにが虚無なんだ...苦境のあまり夢だとでも思ってんの?