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雑魚特有の定型句がふんだんにちりばめられた魚臭い投稿を寄こしてこないでくれるかな。
雑魚が熱心に読み耽る雑魚用喧嘩実用書でもあるのかってくらい、君ら雑魚の文章は一様に似通った文言が並べ立てられることが多いわけだけど、この理由を簡潔に説明してくれよ(笑)
「俺の文章を読んだか」や「理解力がない」という言葉を用いることで、自分の立ち位置をどのように演出しようとしているのか真意は定かではないけれど、実際のところ単なる雑魚にしか映らないのだから、今後は雑魚用実用書で学んだ文言の使用は差し控えることをおすすめするよ。
さて、余談はさておき中身についていくらか言わせてもらうけど、そもそもの話としてお前は私に向かって「自分で調べようという気概がおきないのは重症だ」という言葉を投げつけてきたわけだ。
まずこれが1つ目の主張だと理解できる。
次に、他人を頼りにしていると自立できないだめ人間になってしまうという旨の発言をしているわけであり、これが2つ目の主張だと理解できる。
要するにお前の発言には主張と取れる内容が2点あるわけであり、こちらはそのうちの1つ目について反論をしているのであって、2つ目の主張については賛否の立場を明らかにしていないことはおろか、一切触れることなく稿を締めている。
こうした反論構造であるのにそれを理解できず、私が2つ目の主張に反論をしてきているという甚だしくも恥ずかしい勘違いが露見する運びとなっている。
反論がどの主張に掛かっているのかが分からないという雑魚の十八番を見せられたところで、話をより進めていきたいが、そもそも「自分の力だけで調べる」とは一体どういうことだろうか。
今回の根本的な疑問は「漢字の読み方が分からない」ということだが、仮に私が不明な漢字をコピーし検索にかけて疑問を解決したとしてもそれは自分だけの力によるものだと言えるのだろうか。
否、自分だけの力とは言えない。
検索して結果が表示されるということは、その内容をこしらえた人間がいるということだ。
つまり、検索によって情報を知るというのは、他人に教えてもらうということにほかならない。
ネット検索だけでなく、辞書やその他、あらゆるツールであったとしても、本質的には知らない誰かに教えてもらうという構造は変わらずにあるわで、他人に聞くということと本質的には差異がない。
間接的か直接的かという違いがあるのみでしかなく、いずれにしても自分だけの力で疑問を解決したことにはならない。
だから私は声を大にして聞いてみたい。
「自分だけの力で調べる」とは一体どういうことなのかを。