それも考えた。
が、過去にそういう処置がされてうまくいった事例を俺は知らない。
そもそもただでさえ少ない人口に対してサイトを二つに分けるってのも供給過多になる気しかしない。
という理由もあるが、俺としてはこの類のサイトの意義は、利用者の意向によってクロスオーバーが可能という部分だと思ってる。
「議論」というカテゴリで言えば、俺が昔運営してたサイトでは、科学者、哲学者、住職、法律家、思想家が一堂に会して「議論は不毛であるということから論じたい」という切り口と共に神スレになったという経験がある。
というか他であんなやりとりは見たことがない。
それぞれの視点から意見したときに、「あれ、その仏教の考え方は哲学で言うところのこれだけど、法律の観点から言うと…」というような実に興味深い話が展開されたのだ。
自分でそこかしこから論客をかき集めて企画しといて俺は恥ずかしながら途中から話についていけなかった。
まだ10代のクソガキであったというのもあるが、そんときにこういう自由をフル活用したサイトが全然ないということに気付いてしまったのだ。
とまあ、俺のルーツはそこにある。
そのサイトにも当然ルールは設けてなかった。
それはつまり従来の喧嘩サイトと同じ性質でありながら絶妙にクオリティの高いコミュニティが成立していたということなんだ。
たとえば「音壷」というトピックがここにもあると思うが、それは当時そのサイトを利用してくれていた女性DJが立てたスレタイの丸パクリだったりします。
そのスレではそれぞれのユーザーがおすすめの音楽やアーティスト、音楽に関係する商品を紹介するといった形で機能していたが、やっぱり音楽業界に精通してる人は全然知らない音楽を紹介してくれたりそれがきっかけで好きになったものもある。
利用者に何らかのいい影響を与え合っていたと思う。
俺のリアルが忙しくなって、俺の消失に合わせるようにみんな消えちまったがな…。
今でも一応関わってる人もいるけどね。
あの頃の勧誘マシーンと化した俺は創価学会もびっくりの異常なバイタリティだったと思うし、掲示板やチャット(つまりコミュニティサイト)だけじゃなくて、知的でおもしろい記事を発信してるブロガー(つまり一方的に情報を提供してる人たち)にまでアプローチしてたけど、今それと同じことをやれと言われたら正直しんどいというのが本音だ。
できなくはないが。
どちらかというとインバウンドでやっていきたい。
そこでなんだが、ひとつのトピックをトピ主専用のサイトのように考えて、各々がそこに適当に人を呼び込むのが手っ取り早い。
喧嘩したけりゃ(したい相手がいるなら)勝手に指名するなり裏で声かけるなりしてやってくれたらいいんだ。
サイトを二つ作るのではなくて、トピックをいちサイトと考えてトピ主が運用していくのが効果的な利用方法じゃないかな。
というかそれでこそ、王国制度のアレンジ版が価値を帯びてくると思う。
俺は一応仕掛け人だから本来3日後には沈没してそうなトピックにも「潜在的なおもしろさを引き出せるかも」と思って俺なりに善処はしてたんだが、そろそろ面倒臭さのほうが上回ってきたので、相手することも少なくなってくる(※ジャンルは何にせよ自分が好むやりとりだけやるようになる)と思う。
、(あろく信者) のトピック(≒サイト)はお前の裁量でどうとでもできて、なおかつ活かすも殺すも本人次第ということだよ。
仮にお前のトピックに「ああああ」とか連呼するだけの荒らしが現れて、普通に邪魔だと言ってくれたら削除するといった具合に対応できる。
玉石混淆の問題はこれで大体解決しそうやがどうじゃろ。