つまり喧嘩において足すべきものがあるということは、論理性欠如のフィールド(喧嘩)だから起こる…ということかな?
喧嘩だから論理性が欠如しているって結びつけたの?
論理的思考っていうのはつまり議論とかのことかな?議論において足すことが不要であるっていうこと?そういうことなら詳しく理由を聞きたいところ。
エンタメ的センセーションって、第三者により良く見せた方が美しい(勝ち)っていう、喧嘩サイトでよくある風潮のことか?
まあそこまで単純じゃないかもしれないけど、一応分かりやすく話を進める上でこの解釈が一番近いと思ったのでこう解釈させてもらった。
草を生やしているあたりエンタメ的センセーションに対して並々ならぬ憎悪を持っているように見えるが…。
喧嘩において論破をしたとしても、周りからみて負けていれば負けっていうのは往々にしてあるよね。
数年前、VELLEっていうネタ喧嘩師がいたんだけど。
VELLEが作ったしたらば掲示板でさ、彼が「ネタにマジレス乙」ってひとこと言うたびに周りが「これぞVELLEマジック!」「相手を一切寄せつけない!」「VELLE最強!」とか言って神格化されてたことがあったんだよ。
まあとっくに廃れたけど。当時は色んな喧嘩サイトが生まれては消えていったからね。そんな中でよくあれだけ長く続いたなって今でも思う。
俺がマトモに喧嘩することを馬鹿らしく感じたのはその頃あたりからだよね。それ以来、さんざっぱらネタに走る男として三流の風を吹かせてきた。
冷やしにいようとキャスフィにいようと、マジレスした分だけ損をする環境だったからな。
けど喧嘩サイトってそんなもんだよね。自分が上手いこと言ったつもりでも響かないなら仕方ない。
笑われるのなら、きっと大したことは言えてないんだろう。そう解釈するしかない。
愚痴を言っていても始まらない。
それに気付いたのが最近で、今の俺はこの喧嘩界で、自分の感性だけを信じてちゃんとマジレスする方向にシフトした。
…っていう身の上話とパルスのレスとなんの関係があるのかはこの際どうでもいい。
これを読んで何か思うことがあるなら幸いだ。