>> 175
おや、と思った。
フォン・ノイマンという人物が、過去にかかずらうような人物であるイメージがなかったからだ。
しかし、その提案自体は魅力的なものだった。この左京で、そのような一種懐古的な性質を持つ組織が存続しているということ自体が、驚嘆に値する事実である。その実情を知ることができるというのならば、赴いてみるのもアリだと、そうも思った。
だから、肯定の返事をしようとして……この御苑、否、京都という都市と彼の持つ縁が、記憶の中から掘り出されてきた。
しばし、黙考。何を感じているか。成る程。であれば、返事は決まっている。
「……それでも、まだこの街は生きている。なら、記憶も歴史も、まだ死にきっていない」
「だからこそ、俺は此処に何度でも来ます。何度でも、例えモノが無くなったとしても」
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