考察素人なので肝心なところを詰められてないじゃないかと言われる気しかしませんが、>69の書き込みも含めて上から順に私の意見を述べさせて頂きます
・対立目線で言えば
目覚めてすぐ目の前にいた光に対して何か尋ねようとする→ 尋ねようとしたところで光が口を閉じたのを見て「起きた途端に口閉じたが、光も何か尋ねようとしたところだったのか」と判断→礼儀を弁えたかなにかにより、光に対して何か尋ねることをやめて日傘を強く握る
という流れと見ております
・どこの世界の終わりか、世界が終わる経緯は何であるかの肝心なところはまだ分かりませんが、Switch版で追加された2-8の挿絵によれば炎上していることだけは間違いないと言えます。VS-???みたいに万物万象が無に帰る事態に限らず、世界が炎に包まれることもこの世の終わりと表現できるものの一種なのかなと。
・対立が本当の名前を知っていれば迷宮に入り込まないことの因果関係は推察できていないので※への意見だけになりますが、2-Dの地の文では「しかし彼女は知らなかった」ともあることや、名前を知ってたら黒い迷宮にわざわざ入らないはずのところ実際には入り込んだことから2-D時点で対立はまだ自身の名前を知らないと考えるのが自然であり、2-DからV-2の間でも名前を知るような場面は特にないため、V-2時点の対立は自分の名前を知らないままではないかと考えております
・巡り合わせが悪いだけと思ってました。ですが、対立と光が活動している時点でサイドストーリーの人物は既に亡きものになっている可能性の表れになっているかもしれないようにも思えてきます(それなら、どこかにあるべき亡骸が見つからないのはどういうことだと言われるかもしれませんが)
・2-7は2-Dの途中から分岐した場面と考えること前提ですが、幸せ求めて負の記憶のアーケアを破壊していたら世界の終わりの記憶を見せつけられて絶望し、対立にとってアーケア世界は絶望の塊でしかないと考えるようになった状態のまま光と出会い、V-3にて光の温厚性(長くなるので要約になりますが、光が『傷つけたくて堪らないとか自分の心は壊れてるとか言ってるけど実際その衝動に耐えてるから、貴方は私より強いし心も壊れてない』と言ったことなど)に触れたことで「黒の彼女が一縷の望みさえ抱けないような何か」「最後かつ一縷の光」と認識し、しかし対立の価値観もあって素直に認められないがために心が痛んだと考えています