【橋蔵若さま四方山談義】おしゃべりコーナー♪

下から[303]~[314]

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[314] 家紋 投稿者: 古狸奈  投稿日:2019年 1月17日(木)23時12分
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上から「違い柏」、「抱き柏」です。
「重柏」は見つからなかったので、3番目が重ねの例。

[313] 画像の紋は「違い柏」ですね 投稿者: 古狸奈  投稿日:2019年 1月17日(木)20時09先にお送りしたのが、今回問題になった家紋の書かれている写真ページ。
「重柏」と書かれていますが、紋の図はXに交わっている柏の図柄。
「違い柏」というのが正しいようです。
それにしても橋蔵さんの愛らしいこと。

Hさまからお借りしている、これら歌舞伎若手時代の資料、
いずれまとめてUPしますが、ちょっとお披露目。

[310] 若手歌舞伎の橋蔵さん 投稿者: 古狸奈  投稿日:2019年 1月17日(木)19時55分
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橋蔵さん、可愛いでしょう。
「若手歌舞伎」の写真です。

[309] 抱き柏 とは 投稿者: 小雪 投稿日:2019年 1月17日(木)13時35分
富 様
   写真の送り方を知りませんので ごめんなさいね

   でも前に 抱き と 違い   との 違いは 説明したと思いますが・・・
    抱き とは 左右の手を 上に 大きく 輪を描く様にした様な形ですから
   「違い」とも 「重ね」共  全然 違う 図柄です

  だから 橋蔵様の紋の形は 同じ柏葉であっても 【重ね柏】でも 【抱き柏】 でもなく
    【違い柏】紋 です
           因みに 私の実家の紋は  抱き茗荷  今の家紋は 違い鷹の羽
            (確か 映画 赤穂浪士 浅野家の紋 と同じ だったと思いますが) です

[308] 紋のこと 投稿者: 富 投稿日:2019年 1月17日(木)12時08分
重ね柏と違い柏、お写真があればよくわかりますけど、まだよく理解できないでいます重ね柏、違い柏、だき柏とも言われみんな同じように思っていますっていました、頭を整理してみます、橋蔵様の紋は違い柏、だき柏とも言う、ですか

[307] 紋と 役者文様 投稿者: 小雪 投稿日:2019年 1月17日(木)07時44分
   呉服屋さんには 紋の一覧の本を見せて頂きに行きました
家紋は 替える事が出来ますが 全く別の紋にしないのが通常です
もしかしたら  お若い頃の芸紋は 重ね柏 だったのかもしれませんね

家紋は表紋 と裏紋がありますので 表紋( 丹羽家の家紋は 違い棒紋 お墓に刻まれています)
で 裏紋として 違い柏 紋にされたのでは
丹羽家の「違い」と橋蔵様が 最も尊敬された六代目の定紋 「 重ね扇にだき柏」 から
「柏」 を合わし  「違い柏」を 定紋に そして 替紋は「 檜扇」 これも丹羽扇に通じますね

さらに 役者文様は 三代名目菊五郎( 初代大川橋蔵)が 大変好まれた「 斧琴菊」
良き事を聞く ①斧の絵②菊の絵③琴柱(ことじ)の絵又は 漢字琴 を 順に並べた
謎染めの絵柄です
橋蔵様は 銭形平次でも 何回か 着られていますね
   映画では  美男の顔役  で 山形勲さんが着られていましたね

でも同じ柄でも  橋蔵様が羽織られると とっても粋だと思いました

[306] 橋蔵さんの家紋 投稿者: 古狸奈  投稿日:2019年 1月16日(水)18時39分
橋蔵さんの家紋を「重柏」と書きましたら
小雪さんから「違い柏」が正しいだろうとのご指摘をいただきました。

Xに重なっているのが「違い」で、
上下、左右または三つ巴の部分が少し重なっているのが「重ね」なのだそうです。
呉服屋さんまで行って聞いてくださったそうです。
ありがとうございました。

ということはミスプリなのでしょうかね。
「若手歌舞伎」のプロフィール欄に書かれていたのですが・・・
「違い柏」が正しいのでしょうね。

その欄の橋蔵さんの写真が可愛いので添付しようとしたのですが、
今日はネットの接続が悪くて・・・
以上、ご報告。

[305] 家紋「重柏」 投稿者: 古狸奈  投稿日:2019年 1月15日(火)11時23分
>ももんがさま

このたびはいろいろとありがとうございます。
急ぎませんがお送りいただけるなら、送付先をメールでお知らせしますね。
12月に来ていただいた所は郵便受けを封鎖して、使えなくしているのです。
宛先不明で戻ってしまうといけませんので。

それと着払いで送ってください。よろしくお願いいたします。

今、歌舞伎若手時代の資料をスキャンしているのですが、橋蔵さんの家紋は「違い柏」だと思っていましたら、「納涼名作八月興行 尾上菊五郎劇団若手歌舞伎」(東横ホール、奥付なし年不明 30年?)に家紋は「重柏」と書かれていました。
ごめんなさい。訂正させていただきますね。

このプログラムの本文中に、遠藤為春氏が「六代目が没してもう七年~」とありますので、
30年の5月に「尾上菊五郎7回忌追善」興行が歌舞伎座で開かれているので、
この若手歌舞伎も30年8月だったのではないでしょうか。

ということは30年は毎月のように「6代目」の追善興行が行われていたわけで、
それだけでもいかに6代目が名優で、惜しまれていたかがわかりますね。
そんな菊五郎丈の薫陶を受けた橋蔵さん、そんじょそこらの役者とわけが違うよ、ですね。

[304] 紙です 投稿者: ももんが 投稿日:2019年 1月14日(月)19時41分
紙なので送りますね。
すごい読み応えありました。日記みたいな感じで
橋蔵さまがその日何をしていたかがわかるので楽しいです。撮影の合間に"ひばりさんといずみさんと食事"みたいな感じで。

[303] ももんがさま 追伸 投稿者: 古狸奈  投稿日:2019年 1月14日(月)12時41分
>ももんがさま
追伸。
お持ちの資料は紙のコピーですか?
デジタルファイルですか?

紙コピーでしたら急ぎませんので、次回、神戸にお出でになられるときにでも。
パソコンに保存されたデジタルファイルでしたら、
小分けにしてメールに添付していただけるとありがたいです。
受け取った時点でハードディスクに保存させていただき、順次作業をさせていただきます。
よろしくお願いいたします。

まっつん
作成: 2022/07/03 (日) 07:52:19
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