私個人の考えですが、日本のユーザーはタルパをオカルト的な分類で捉えている方が多く、心理学的な考えのみで生まれた場合は、タルパではなくイマジナリーフレンドと呼ばれることが多いように思います。
心理学的な考えでタルパを作る人もいますが、それは人口の多いタルパコミュニティと交流を持つためか、心理学的な考えに魔術を上乗せしようとしている場合が多いようです。
例えば、元は心の中から生じたものとしつつも、霊的に体が存在することを目指すといったものです。
また、もっと軽く「空想や創作テクニックの延長線上のおまじない」などのように捉えるユーザーも多いように思われます。
以前行ったアンケートでは、タルパを扱うtwitterユーザー100人のうち、70%以上が、(タルパに関係のない道具を含めると)何かしらの魔術的な道具を持っていると回答しました。
また、持っていないユーザーの半分も、今後それが欲しいと回答しました。
少なくとも日本のタルパ界隈では、魔術的なことに対する期待があると言えそうです。
コミュニティを混乱させている原因の一つは、ここに「日本の土着信仰」が混ざることに起因します。
浮き草氏は確かに日本のタルパの基礎となる概念を作りましたが、一方で「憑依」や「依り代」「真名」などの手法は自然に生まれて使われ始めたように思います。
これらの手法は明らかに日本のアニミズム的手法に類似しています(あるいは、それをテーマにした漫画やアニメーションによるものです)。
中には、神社に赴いたとき、そこにいた霊的な存在をタルパとして連れてきた、という表現を使うユーザーも見られます。
(神社に限らず、霊的な存在はあらゆるところにいる可能性がある、といった価値観を持つ人は多いです)
これらはタルパではなく、それ以外の霊ではないかという意見は提起されるのですが、「邂逅型」という概念がこれらも内包してしまっているという問題があります。
一方で、「霊的なものを連れてきたイメージをしたものの、本当に連れてきたわけではなく、その場のイメージから連想して自ら作ったタルパだ」と表現するケースもあるため、霊とタルパの境界は曖昧です。
そのため、曖昧なものとして住み分けるための分類として「邂逅型」が使われてきたという側面はあるように思います。