価値とは何か。何に価値があるのか。それはどうやったら作り出せるのか。
ある意味で「知的生産性」を測定するその土台の部分について正面から疑問を抱えることこそが、知的生産においては必要である。逆に言えば、それを何かのメジャーで測れると考えている時点ですでにドツボにはまりこんでいる。
新しくなくても価値がある、ということも考えなくてはいけないなと思う。
インターネットによって世界に繋がりすぎて「絶対的に新しいもの」のことに意識を向けてしまうが、普通、人間というのは、その短い人生、狭い視界の中で偶然何かを知るということをもたらしてもらえれば十分にありがたい。どこかで誰かが絶対的に新しいものを発見して発表していたとしても、それを自分が生きている間に自分の視界に入れてくれる存在がなければ無いのと同じだ。
ただ、「情報としては新しくないが魅力を持っているもの」は「コピペで作ったもの」とは根本的に違う。そりゃそう。
その「魅力」の部分というのは、その書き手を通さなければ出てこないのだから、表現としては新しい何かを含んでいる。いや、新しいというか、「十分稀な」もの、と言った方がいいのかもしれない。
「十分稀な」ものを作るためには真剣にならなければならない。適当にやったものは「十分稀」にはなり得ない。記事にあるように「何かのメジャーで測れる」と考えていても駄目だ。そうやって測れるなら容易に量産可能なはずだが、そこに「十分稀な」何かはないだろう。
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